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罪ほろぼし

ちょうどインフルエンザでダウンしていた頃、原因不明の平衡感覚異常がピークだったこともあり、ひどくナーバスになっていた。というか激しく情緒不安定だった。Yさんも誰も彼も遠ざけて、ひとりになりたい、と強烈に思った。


今は憑きものが落ちたように、あの頃の自分の苛立ちを振り返ることができる。なんであんなに気が立っていたのか。ダイエットのストレスで心が疲れていたということか。それもゼロではないのかもしれない。完全否定はできない。月のものが重なっていたことも一因としてあったとも考えられる。


昨日Yさんに、そのことを話した。Yさんは、「それが自分でわかったならそれでいいんじゃないの」と言って、それだけだった。Yさんはいつもそうで、私を責めない。それにいつも甘えてしまうことを申し訳なく思う。なので今度からは、Yさんに攻撃的なほどにひとりになりたくなったときは、言葉できちんとそう報せるようにすること、Yさんが何かしたからとかではなく起こるであろうこと、Yさんを嫌悪しているわけではないことを理解してもらうよう説明した。これから歳を重ねて更年期になれば、ますますそういう現象に見舞われることが出てくるかもしれない、とも。

自分のことながら自分の意志でコントロールできないことなら、Yさんの理解をえて協力してもらう必要がある。自分のバイオリズムの波に巻き込んで、彼をいたずらに傷つけたい訳ではないのだから。


で、とばっちりで迷惑をかけたお詫びの気持ちに、ルミネ新宿にある銀座  甘楽(かんら)の豆大福と、繭衣(まゆごろも)を手みやげに帰宅。

豆大福の日持ちは今日中ということで、夕飯の後、Yさんと一緒にいただいた。手のひらサイズのおだいふく。1個206円。お店の人気No.1らしい。



私とYさんは、二人とも大の餅好きではあるけれども、豆大福はもともとはそんなに好きな方ではなく、和菓子、餅菓子の中での位置づけはどちらかというと低い。けれど、和菓子のあれこれを調べるうちに、東京の名物和菓子といえば豆大福なのだと知り、せっかくならと、今回試しに買ってみた。

食べてみると。

驚くほどやわらかく、餅もあんこもどこまでもなめらかだ。何よりも驚いたのは豆の存在感。豆が餅とあんこと完ぺきに一体化していて、口の中ではぐれていかない。

例えばスーパーのお徳用のまとめ売りの豆大福の場合、豆がもっさりもくもくしていて、口の中で独立してしまうというか、豆の粒だけ微妙な異物感があって、いっそ豆なしの方がいいと思うくらいに蛇足感を抱いていた。(あくまでこれは個人の好みで、それがいいという人も世の中にはいるんだろうけれど。)

さすが人気No.1商品だけある、と感服。これが豆大福の真の実力…!

夕飯の後にもかかわらず、私もYさんも、あと2個はいけるね、と意見が一致した。

口当たりが優しく、うっかりすると、あればあるだけ食べてしまいそうな、魅惑の別腹宇宙。

ダイエットなんてやめてしまいたくなる。なんて危険な食べものだろう(洋菓子よりはローカロリーだけれど)。知ってはいけない味を知ってしまったのじゃないだろうか、と思う一方で、この味を知らずに人生終わってしまわなくてよかったとも思う。

まだまだ知らない和菓子の世界。知識としてさまざまな和菓子の存在を頭では知ってはいても、そのほとんどは未経験のものばかりだ。日本中、自分のペースで一つずつ会いに行けばいい。今ならネットでお取り寄せできるものもたくさんある。もう数年で四十路になろうというこの歳で今さら過ぎるとも思うけれど、私の和菓子人生はまだ始まったばかりだと思うと、未来がひたすらに明るく希望に満ちて思えるのだ。

私には二つの伴侶がある。人間の伴侶はYさん。第二の伴侶は和菓子。これからの人生、残された時間すべてを懸けて探求したいもの。







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