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King Gnuと66歳と

 11月20日東京ドームの大歓声の中、満面の笑みで肩をくむ四人の若者。どこか見覚えのある光景だった。

 オードリーの若林さんによると、おじさんの定義は33歳から66歳までらしい。女性も同じとするならば、ぎりぎり土俵際のおばさんがなぜこんなにも彼らに惹かれるのか考えてみた。
 もうすでにいろいろな人がいろいろな表現であの二日間について言及しており、音楽的な素養なぞないただの音楽好きのおばさんが今さら何をと、思わないでもない。が、歳をとると見える景色が変わってくるものだ。それに、ここらできちんと言葉にしておかないと次に進めない。残り時間は多くはないのだ。

 11月18日、全くあきらめていたチケットを2枚用意しましたとメールがきた。サザンオールスターズ以来40年以上開いて参加したライブが20年12月のKing Gnuだった。21年12月、今年6月と行っての今回である。どうしたんだ、66歳?
 常田さんは「破壊と構築」と言っていたが、さまざまな対立項を内包する美しさが、彼らの大きな魅力だ。繊細で荒々しくて、尖っているけどまろやかで、清らかで濁っていて、、、。それらがKing Gnuという柔らかな容器の中にあって、歌声を伝って、リズムに弾んで舞い上がる。
 歌詞が描く世界にも強く惹かれる。同じ本でも、子どもの時に読み、子どもに読み、辛い夜に読む、その時々で違った景色が見えてくるものだ。だれともいっしょに笑ったり、背中をさすってくれたりする。強くても弱くても、大きくても小さくてもそのままでいい、そこにいていいという全肯定を、人生をちょっと斜めに見ながら生きてきたおばさんは受けとるのだ。ありがとう、人生3周目の常田さん。
 井上陽水さんの頭蓋骨は歌うのに最適な形だというのを何十年も前に読んだが、井口さんの頭蓋骨も、神様が何日も徹夜して設計してるはずだ。ブレス音?息継ぎする時の音さえも表現に組み込まれ、歌の世界がひろがっていく。

 人は大きくなるにつれ、夢だけでは生きていけないことを知る。潔くあきらめたり、泣く泣く手放したり、いつの間にか見失ったりしながら自分の居場所を見つけていく。人によっていろいろだと思うが、わたしはかつて夢見ていたことがあるいう事実を大切にしている。夢を見て果たせなかった息子たちのことを考える。夢から遠ざかって今を生きている人たちを思う。

 ドームの笑顔四人組。高校に入って初めての文化祭、音楽ってめちゃくちゃ楽しいね、なんか上手くやったよね俺たちって笑顔だった。音楽大好き、音楽たのしいの熱量を燃やし続けてきた少年の笑顔に見えた。それをいつかのわたしも持っていたのになぁと、来し方を振り返り、遠く小さな輝きを愛しむ。

 等身大でと井口さんは言ってたけど、もうすでにスカイツリーくらいの大きさになってる。その大きさを維持していくための力やストレスなどとても想像できないが、健やかでいてほしいと強く願っている。

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