カタカナ言葉と宗教用語の似ているところ。場と人に合った言葉を使おう

おこんにちは。慈岳でございます。令和の世にサスティナビリティとかアンバサダーとかのカタカナビジネス用語(以下カタカナ言葉)がまったく分からない、意味を調べても秒で忘れる老害です。まだ『ぴえん超えてぱおん』のほうが好きですアハハ。

……というわけで(?)、言葉は相手に伝わらないと意味がないんだべ!という記事です。まーごゆるりとどうぞどうぞ。


●カタカナ言葉とデキるビジネスパーソン

職場が職場なのもあり、私らは日本語(漢字とひらがな)で言えることは可能な限り日本語で言います。目安として『80歳でも分かるほど一般化されたカタカナ言葉』なら使いますが、お寺でお坊さんがフレキシブルとかオルタナティブとかばんばん言ってたら、もうそれ別の宗教です。

言葉にもTPOがありまして、一般企業ではもりもり使っておられるでしょうが、お寺でカタカナ言葉の濫用は『そぐわない』。お葬式の最中にEXILE歌うようなものです。

私らも、大手から中小企業まで、一般企業とのお取引はあります。しかしカタカナ語はほぼ耳にしません。お寺という特殊な顧客と接する場合、普段はカタカナ語を駆使しているであろうびじねすぱーそんの皆様も、ちゃんと日本語で商談されるのです。

うちに来られる担当営業マンは落ち着いた中堅~ベテランが多いので、もしかしたら企業側で、『場に合った言葉選び』ができる人選をしているのかも知れません。

●宗教用語も他の人からするとワケ分からない

どの『業界』にも専門用語があります。とりわけ宗教の専門用語は怪しさ満点で、日本語だからと言ってバカ正直にどんどん使ってしまうと、信者さんや一般の方を置き去りにしてしまいます。知的レベルの低い人や、流されやすい人だと「なんかすごい」って感覚的な理由で簡単に操作できてしまうため、宗教用語は甲種危険物なのですよ。

お坊さんは『お説法』を行いますが、私が属する宗派では『口説』による布教の資格が要ります。仏門に入ってお袈裟を授かりました!はい今日から僕もお説法できます!とは行きません。

お釈迦様や宗祖様の教えを系統立てて学び、分かりやすく正確に人に伝えられないといけないため、宗派は無資格者が勝手にお説法をすることを厳しく戒めるのです。

カタカナ言葉の世界には専門の資格がありませんので、覚えた言葉はどしどし濫用する風潮です。しかし宗教は人の心を扱い、影響力も大きいですので、新興宗教も含めて一定の資格を与えた者にしかお説法をさせないのは理にかなっているかなぁと思いますね。

●オウムは言葉のワケ分からなさを利用した

難解な専門用語で他人を籠絡することは、表社会の大企業から裏ビジネスや悪徳宗教まで、広く人心操作のツールとして使われています。私が中学生のころ、地下鉄サリン事件を契機として某尊師関係の書籍も読むようになりました。

一定の資格を持つ出家者に仏教における『聖人』の名を与えてみたり、宗教者となるための厳しい『修行』を課してみたり、人の理解や共感を得ながら帰依させる布教技術を駆使したり、やっているのは普通の宗教と同じです。

しかしオウムは、必要以上に信者に対して難解な宗教用語を使っていたように感じます。出家者や、仏教関係者どうしでないと伝わらないであろう言葉を、布教用のソングにもアニメにも多数盛り込んでいましたね。

でも、知らずにやっていたわけではありません。信者の知的好奇心をくすぐり、理解できたときのカタルシスまで計算(もっと知りたくて出家したくなっちゃう)していたフシが。難しい言葉や概念は特に知的レベルが平均の上~高い人にとって、魅力的なものなのです。

余談ですが、彼は選挙カーの上で「しょーこーしょーこ♪」なんてお遊戯しました。あれは子供も含めて知的レベルが低い人向けのパフォーマンスで、実際当時の子供たちの中でめっちゃ流行り、某尊師の知名度は高かったですw

●伝わらない言葉を使いたがるのは凡人

デキる人は、その場や相手に応じて語彙レベルや語彙カテゴリを調整します。普段はカタカナ言葉を普通に使っていても、求められればそれが何を意味するのか、幼稚園児でも90歳の高齢者でも分かるように説明できます。

というか、そもそもそうしたカタカナ言葉が似合わない場所や、分からなさそうな相手に対しては、デキる人は最初からカタカナ言葉を使わないんですよ。どうしても自分にとって使いならされすぎて、自然に口にしてしまうことはあっても、相手が分からない顔をすればすぐに見分けて日本語に直します。

自分でその言葉の意味を掘り下げずに使い、問われたときに説明できないなら、それが通じるコミュニティのみで使うに留めましょう。よく世代間で批判が起こる『若者言葉』や『死語』も同じですね。

私らも凡人ですから常々自戒して、専門用語をなるべく使わず一般的な表現、誰にでも伝えられる説明の仕方は研究しております。言葉は人に情報を伝えるためのツール。伝わらなければ虚しい一人相撲でしかありません。

アナタの伝えたいことの質と、それを言葉で伝える技術とは別個のもの。数学100点の学生が、今すぐ数学の先生になれるかと聞かれたら、違いますよね。モノを伝える立場にある者は、その伝え方を常に研究し続けましょう。

それではまた。

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