「なんでもいいよ」の裏側にあるモノ

どうも、質問されればコタエを出したいASDの慈岳です。私にとりまして、日常生活でよくある『自分でコタエを出すべき他愛のない質問』がめちゃくちゃ苦手です。

なぜならそんな質問でも質問のカタチをしている限り、私の脳ミソは勝手にコタエを探し始めてしまうから。「髪切りたいんだけどどっちがいいかな?」と聞かれれば、脳内ヘアカタログを早速参照し、質問者の顔にあれこれ当てはめて考え込んでしまうから。

なんでもいい、どっちでといいと、適当にスルーすれば良いんですけどね。もう本人の中で決まっているだろうし、答えたら地雷踏みそうだし。そう頭で分かっているのに、その頭がいらんことを考えるのだから始末に追えません。


●なんでもいい、どっちでもいい人もいる

さて、夫は私と逆で、筋金入りの『なんでもいいよマン』です。大真面目にご意見ご要望を問いたく質問しても、「なんでもいいよ」と返ってきます。私は人にモノを相談することがあまりないのですが、他の人(家では夫)の利害が関わる案件でまで、自分以外を完全無視して良いわけではありません。

そこでたとえば限定的に、例えば家庭運営であれば夫にも聞くわけです。しかし返ってくるのは「なんでもいいよ」。よくても「考えとく(見切りを付けたころに返答がくる)」。

アタマを使うのが嫌いで『めんどくさい』という言葉にオトコノコのささやかなプライドを乗せ、その場しのぎでも表面的でも何でもいいから『こなせ』たら良い性格なのか。傍目から見ればなかなか突き抜けた思考拒否っぷりですので、最初のうちはわりとイラついていました。

●嫌われたくない『なんでもいいよマン』

幸いなところ、夫の場合は私が勝手にモノを進めても何も言いません。お出かけのときに電車から店からその他立ち寄り先からすべて私が決めようと、着物を買おうと晩ごはんに何を出そうと、文句の類いはほぼ出ません。

反対したいときも婉曲で、基本的にどっちなのだか分かりません。以前坊主頭にしたいと言ったときは、「慈岳は髪あるほうが可愛いよ」という謎の回答。いや可愛さどうこうじゃなく、妻が坊主頭になることについて、夫として良いのかイヤなのかを聞いて、良いなら剃るよと言っているのですが。シャンプーとかヘアセットとかめんどくせぇもんw

私の目には夫は、「任せたからには忠実に従う」という男前な考えより、「自分の意見はあるけど、それを主張をすることで何か言われたくない、嫌われたくない」という、昭和のおばあちゃんっぽい気持ちが強いように見えますね。良く言えば『優しい』のです。

ここは一緒に仕事しているとよく分かります。職場で改善点を見付けたとしても、「こんなこと指摘したら誰某から○○って言われる」とよく言います。管理職なので矢面に立って主張することももちろんしますが、本人いわく精神的には『苦手な仕事』であるようです。

●考えて納得した上での『なんでもいいよ』

こうしてしょうもないことを語っている私も、『なんでもいい』と結論付けることはあります。ある日、自分の頭髪が寂しくなってきたことについて夫が私に質問しました。「イヤじゃない?」と、やや不安そうに。

ASDは誤魔化しがへたくそです。また、その場しのぎの巧い気休めも言えません。夫の頭髪のことは交際初期から分かっていましたし、義父は清々しいほどのピカピカだし、本人がそれを気にしていることも把握済み。なのでここは即答。

「なんでもいいよ」。

夫の『なんでもいいよ』と違うのは、判断に必要な情報が既に揃っており結論も出しており、今さら考えるまでもない問題であればその回答も使う点ですね。この時も、とっくの昔に様々勘案して結論が出ていたことを、その日にたまたま聞かれたから答えたわけです。

●私が『なんでもいい』のは、夫が『なんでもよくない』圏に入らないから

あれだけ周りを気にして嫌われないようにしたがる夫ですから、身だしなみにおいても、自分が可能な最大限の気遣いを常に怠りません。頭髪は月2回バリカンで調えますし、眉毛や鼻毛も丁寧にカットします。上着など毎回は洗濯しない洋服も、「臭くない?」と私にチェックさせます。

つまり自分の努力と私の協力で何とかなる範囲で、いつも身綺麗にしているわけです。しかし『はげ』は老化現象。中にはヅラやバーコードで頑張る男性もいますが、私は誰しも老化はするし、髪がなくて困るものでもないと考えています。それゆえ、はげを理由に夫を嫌がることは有り得ませんし、逆に髪を伸ばしても何も思いません。

清潔感において、夫は私の『なんでもよくない』圏内には決して堕ちません。無闇にボディーソープを使わないタモリ式入浴を励行して肌のうるおいとキメを保ち、脂ぎった汚くて肌がカサカサで臭くて浅黒いオヤジとなることを徹底的に避けています。私としてはそれで十分であり、髪の量や形など『なんでもいい』のです。

●夫の『なんでもいい』は、私にストレス掛けないため

冒頭で、夫はアタマを使うことが嫌だと述べました。そんな夫にも譲れないものがあります。それは『妻の負担やストレスになりたくない』ということ。夫は元々気遣い屋でみんなに優しい人間ですが、伴侶である私への対応は飛び抜けています。

『なんでもいい』と言うのは、慈岳がイヤにならないようにやってねって意味なのですね。晩ごはんを決めること1つ取っても、どんな料理がどんな手間になるのか夫には分かりません。だから「なんでもいいよ」と答えるに至るのです。

めんどくさがっての『なんでもいい』なのか、そうでないのかは、一緒に暮らしているうちに分かってきました。最初は頼りなくて自分のない男だなぁと感じていたのですが、それが夫の『自分』だと知ってからは遠慮なくこちらで勝手に決めさせてもらっています。

また、具体的にピンポイントで「これがいい」と言われるほうが、『なんでもいいよマン』も助かるらしいことを、恥ずかしながらこのトシになって知るに至りました。何を食べたいか聞かれたときは「カレー食べたい」じゃなくて、「ココイチのビーフ5辛食べたい」と、それくらい具体的なほうが彼らは行動しやすいのです。

以前の私ならこっちにばかりアタマ使わせる人間などかったるくて鬱陶しくなって切り捨てていましたが、アタマ使うのはそれが好きな人間がやれば良いという価値観に変化しましたね。まぁこれも年の功でしょうかw




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