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TravisJapanという文化

TravisJapanとは、もはや一つの文化である。

これは、最近の私の口ぐせです。

トラジャは2012年に結成、その後現在に至るまで
山あり谷あり、一晩では語り尽くせない人生を
歩んで来られました。

幾度とないメンバーの脱退、
なかなか与えられないオリジナル曲、
後輩や同期が次々とデビューしていく中、
番組から干されていた時期もあったと聞きました。

彼らの中にもたくさんの葛藤があったはずですが、
それでもダンスを武器に、前だけを見て
ただひたすらに努力を続けて来られました。

その努力が花開き、主演舞台や全国ツアー、
そして「+81dancestudio」チャンネルの開設など、
これまでのジュニアが成し得なかった道を
どんどん切り拓いていきます。

そして、発表されたLA留学。

留学後すぐに大会で結果を出し、
それをきっかけに、アメリカの巨大番組から
オファーをもらい、準決勝まで進出するなど、
アメリカでもたくさんの爪痕を残しています。

一方で、LA留学中にメンバーの1人が
体調不良を理由に活動休止をすることに。

その間にも、6人でLAの野外フェスや
ダンス大会の決勝戦に臨んでいます。

野外フェスでは、6人になったことによる
歌割りやフォーメーションの変更、
ダンス大会でも、6人という構成が難しいなかで
見事に調整し、全米4位、世界9位という
すばらしい結果を残しました。

もちろん、彼らはそんな時でも、
活動休止中のメンバーのことを忘れたりはしません。

野外フェスでは、彼のフォトハンガーに
衣装を着せたものを持って登場したり、
ダンス大会では、彼のメンバーカラーの小道具を
使用したりと、7人メンバー全員で戦ってるんだと
彼らの絆を感じました。

ここまででも、一つの超大作映画ができそうなくらい
ストーリーができあがっていますが、

直近で出場したアメリカのオーディション番組
「America's God Talent」(以下AGT)において
また新たな物語を築きました。

そもそも、出場のきっかけは
「World of Dance」(以下WOD)という
世界的なダンス大会。
(上述した、世界9位の結果を残した大会)

その予選で見せたパフォーマンスに
AGTのプロデューサーが魅了され
トラジャに出演をオファーしたそう。

そして、満を辞して臨んだAGT予選。
彼らの代表曲「夢のハリウッド」の英語ver.
「My Dreemy Hollywood」を披露し、
会場は3000人の拍手歓声に包まれました。
もちろん、審査員も全員合格。
見事にセミファイナルへとコマを進めました。

そのセミファイナルでは、WOD予選でも披露した
全編英語詞のオリジナル曲
「Party up like crazy」。
メンバーのしめちゃんが振り付けした
キレキレのダンスを踊りながら
生歌でチャレンジしました。

アメリカ視聴率No. 1の番組の生放送で
彼らの緊張は計り知れなかったと思います。
なかなか歌が思うようにいかなかったようで
パフォーマンス中に1人の審査員から
バツのブザーを鳴らされてしまいました。

前評判がよかっただけに、
本人たちはとても悔しかったと思います。

自分自身もそうですが、ファンの皆さんも
かなり悔しい思いをしたと思います。

でも、そのブザーを鳴らされたこと自体も
彼らの物語の一つになるのでは、と
今となっては思うのです。

もちろん、いい結果を残して話題にあがることほど
嬉しいことはないでしょうが、
実際に今回も、ブザーを鳴らされ酷評を受けたことで
逆に話題となっていました。

彼らは、確実に爪痕を残したと思います。

そして、彼らの物語に新たな1ページを
刻んだと思います。

そして、彼らは今後も
ファンですら予想もできないことを
次々と成し遂げていくと思います。

ある時、グループ最年長のメンバーのえさんが
こんなことを言っていました。

「ただ、消費されていくだけのアイドルにはなりたくない。」

まさに、この言葉が、今回のLA留学という
挑戦を体現しているように思います。

確実にトラジャは、自分たちだけの物語を作り上げ、
「TravisJapan」という名の新しい文化を
築き上げていくように思います。

今後の彼らの活躍が楽しみで仕方ありません。


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