大人になって曖昧を受け入れ、次は物忘れしがちな自分を受け入れる
2023.8.16(水)投稿
ども(・Д・)ノウッス‼︎
認知症予防サプリメントの広告を見かけると熱心に広告内容を読んでしまうようになってきた女、さらです。
この日記を書き始めた現在(14:11)から20分ほど前の私は、書きたい内容があらかた決まっていたことは覚えています。
「あらかた決まっていた」ことは覚えているんだけど、肝心な「書きたい内容」は覚えてないんです。
先月のことかな〜。
「最近忘れっぽくなってさ」
と、時々会う友人に話したら
「最近…?多分5年以上前から同じことを言ってるけど」
と、妙に冷静な返しをされました。
それからしばらくの間、お互い真顔でアレコレと議論を交わした末に
「最近という言葉は便利だ。年を重ねれば重ねる程に、若い頃は煩わしかった筈の曖昧な言葉に有り難みを感じるようになってくるよね。」
という結論に至りました。
だってさ、考えてみて下さい。
例えば小学生の頃、学校の先生が「多少はいいですよ」とか「その辺は適当に…」とか、そういった曖昧な発言や指示に
「ハッキリとした基準値を言わないことで、相手に適切な度合いを察することを強要している」みたいな…
なんというかモヤモヤした気持ちになりませんでしたか。
私はことごとく「適切な度合い」をミスリードして怒られる子供だったので、大人達が連発する曖昧な言葉がとても苦手でした。
そんな私が大人になった今…
ーーーなんということでしょう。
「うーん、多少ならいいんじゃない?」
「あーーーその辺は適当にやっときゃいいんだよ!」
「まーーー、ちょっと微妙なところだな。」
上記の曖昧言語は序の口で
「アレはアレしとけばアレなんじゃないの」
と、もう自分でも何を言っているのかわからない…むしろ何かを伝えることではなくて時間を稼ぐことが目的で言語を発する始末。
そんな今の私を、子供の頃の私が見たらどう思うのだろうか…。
子供の頃は「タイムマシンに乗って未来の私を見てみたい」だなんて思っていたけど
大人になった今は「タイムマシン…そんなもん作ってはいかん!!」と思っている。
コレについては曖昧ではなく、絶対ダメだと断言できる。
地球上に存在する数多の生物の中で、人間ほど大人になると変わってしまう生物なんかいないんじゃないか。
にしても、何を書こうと思ってたんだろう。
ご来店の際には、認知症予防サプリメントでオススメのものがあったら是非教えて下さいm(._.)m
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