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ベートーヴェンの『ダダダダーン』は、私のお腹を叩く音だった

かの、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』。

ダダダダーーン

いつか誰かが演奏した時に叩いた運命の扉は、どうやらパラレルに私のお腹に繋がっていて、今私のお腹をノックしているようだ。

少し前に亡くなった同僚のご家族、私や私の家族の先祖、私と繋がりのある生き霊、この国の怨念も栄華も全部生命力に換えて、一生懸命に今私のお腹を叩いている。

このノックの強さと頻度は、存在の確信度と比例している。



ただの比喩ではない。

私のお腹の中を仮の宿りにしている人の確信度は、日に日に増している。


存在の確からしさが十分に担保出来ない時、
その状況はいうなれば、シュレディンガーの猫と同じだ。

生存の如何はエコーを見るまで二者択一、である。


しかしやがて、蠕動運動かどうか悩むくらいの些細なムーブメントを腹壁に興していたのが、
熱帯魚を腸内に飼っていたらこんな感じか?くらいになり、ウナギを飲み込んだらこんな感じか?くらいになり、今では、はっきりとそこにヒトがいることがわかるほどになった。


その存在感は、私たちを焦らせる。

マジでもうすぐ産まれてきますけど、ご準備はちゃんと進んでますか?

っていう。

私の腹壁を突き上げて、ホラ、ちゃんと居まっせ、と、仕事中でも就寝中でもお構いなくお知らせしてくれる。

物理的な準備は、正直慌ただしい。


この激しい問いかけに対して、何が答えられるだろう。


ひとつ決めているのは、『この世界は希望に満ちて生きていける』という命題に対して、キッチリ帰納法で証明しうるエビデンスを与えていくことだ。

『未来は決して明るくない』という命題を立てたてしまえば、証明しようと思えばいくらでも証明出来てしまうような実例が、今の世の中集まってくる。

でも、あえて難しい命題を立てていこうと思う。
我が子の目の前で nを沢山積み重ねて、楽しく朗らかに生きていく。

悲観主義は気分だが、楽観主義は意思である

哲学者 アラン



#誰も得しない妊婦の話

このスペースに書くことかどうかもよくわかりませんが、気付いたら恩人のさぼてん主婦さんがいなくなってしまわれていました。

料理系は、さぼてん主婦さんが初めてコメントを下さって、続けてほしいと言って下さったのがここまでのモチベーションでした。

辞められた理由は、直接やり取りした方の記事などからフワッとしかわからないけれど……

今は心安らかに過ごされていたらいいなと思います。

最近、皆さんの記事にあまり立ち寄れていなくて申し訳ありません。
頻度は落ちていますが、フォローしている方の記事には、定期的に訪問しています。

リレー小説も、皆さん凄かったです。
普通に小説書けちゃうんですね……本当に驚きました。

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