1型糖尿病のわたしの歴史・・・その5【透析始めて驚いたこと】

第1章[透析導入直前のわたし]

2000年12月
この時のわたしの体は、とにかく浮腫みがひどく、スニーカーなどはふくらはぎが酷く浮腫んで 歩けなくなるので、無理矢理ブーツを履いてひたすら歩いていました。

明らかに浮腫んでいるのを、認めたくなかったのかもしれません。

でも現実は甘くなく、透析導入10日前あたりには、背中が浮腫み始めたのです。

腎臓内科の先生に聞いたところ、透析導入の時期に近付いていると言われました。

そかから先の決断は早かった!
とにかく 毎日浮腫で体重が増え、ダルさが半端ない!

最終的に自ら 先生に「透析導入します」とお願いして、緊急入院したのです。

2000年12月26日

わたしの 新しい人生が始まりました。

第2章[初めての透析]

その日は 朝から緊張していました。

どのような部屋でやるのか?

針を2本、しかも採血針よりもかなり太い針を刺される事に耐えられるか?(針を刺す時の対策として、局所麻酔のテープがあると説明を受けましたが、1回目は貼らずに挑戦して 痛かったら貼りましょう と言われました。)

不均衡という副作用的な症状が現れることもあるらしい。

不安しかありませんでした。

でも 体がしんど過ぎて 何とかしてもらいたい気持ちが強かった(笑)

あっと言う間に 透析室へ移動し 体重を測り ベッドへ。
透析とは 先生、看護師さん、技師さん、、多くのスタッフの皆さんがチームとして対処してくれる治療だと知りました。

頻繁に測られる血圧、顔の横には透析機。左腕に針を刺し(局所麻酔なしの針刺しは、、痛かった!!)回路[長いチューブ]が機械に繋がっていて。。

本来は4時間の透析ですが、最初は3時間。
緊張している間に終わっていました。

透析で浮腫が軽くなった結果、膝下がめちゃくちゃ細くなっている事に 病室に戻って気付きました😲

第3章[食べてもいい!]

透析を始めたら、今までの たんぱく質制限生活 が一挙に変わりました!
わたしは 透析開始が12月26日だったので、31日 1月1日を一時帰宅したような気がしますが、その時「好きなもの 食べていいから」と言われて意気揚々と家に戻ったと思います。

でも、好きなものを食べて良い のと
好きなだけ食べて良い は違うのです。

まぁ、糖尿病の制限があるので完全フリーにはなりませんが、大晦日に食べた 天ぷらそば 美味しかったなぁ。。2年ぶりの海老 でした✨

第4章[保健所とクリニックへ]

入院先を退院してすぐに、保健所に行くように と、担当の先生から書類をもらいました。

人工透析を始めると
障害者になる
とのことでした。

一瞬 えっ?障害者なんだ。。
とも思いましたが、何やら利点もあるらしく、保健所へ。

障害者手帳発行の手続きと、障害者年金審査申請 などの手続きを済ませ、次はいよいよ 自分がお世話になる透析クリニックへ見学へ。

クリニックで先生と看護師さんから話を聞いて、こちらの既往などを伝えた際、1型糖尿病があまり知られていないことに気付きました。循環器内科の先生だったので専門ではなかったものの、1型と2型の違いをご理解頂くのに 1年くらいかかってしまった事には 驚くしかありませんデシタ。

次回は、、透析始めて3ヶ月目に起きたトラブル について です。
次からタイトルを少し変更します。
現在:1型糖尿病のわたしの歴史
次回から:[1型糖尿病&透析]患者のハナシ

これからも 宜しくお願い致しますm(_ _)m

〜人工透析クリニック選び〜
とにかく 通いやすい所が1番だと思います。

透析終了後は血圧が下がってしまったり、足が攣ってしまったり、疲労感が残ったり。
個人差、その時の体調 様々ありますが、幸いなことに わたしは片道30分程のクリニックに巡り会えました。

近年、送迎バスを出しているクリニックも多いようです。
最初は自力で通って、大変になったら送迎という人生の先輩方、お元気に通われています




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