アナログ派の愉しみ/本◎『昨日は今日の物語』

庶民の心を通わせた笑いは
どこに行ってしまったのだろうか?


正しくは『きのふはけふの物語』とするべきところ、いかにも読みにくいので、武藤禎夫訳の東洋文庫版(平凡社)の表記にしたがった。徳川家康が大坂夏の陣(1615年)で豊臣家を滅ぼし、長きにわたった乱世がようやく終息して間もないころあいに、日本で初めて成立した笑話集のひとつとされている。

 
そこに集められた150篇あまりのエピソードには、信長・秀吉の天下人から、やんごとなき公家や高僧などの、世間で威張りくさっている連中も登場するが、主役は名もない無数の庶民たちだ。滑稽譚においては、それも大半を占める下ネタにあっては、身分の上下も財産の有無もおよそ関係なく、だれもが対等に健康な笑いを分かち合っているのだ。

 
「女房の望みの品」と題された一話を引いてみよう。

 
 ある人、他国から女房を迎えて、久しく連れ添っていたが、心ならずも、この女房を離縁することとなり、
 「お互いに飽いたとか嫌いになったわけではないから、少しも恨みはあるまい。そして縁がつきずにあれば、また、迎え入れもしよう」
 といって、家の宝物を取出し、
 「何でも欲しいものを取って、帰らっしゃい」
 というと、女房は、
 「仰せの通り、飽かれて出されましょうとも、どうしてお恨み致しましょう。ましてもっともな理由のあることゆえ、おことわりには及びませぬ。また、この宝物のうちに、欲しいものはございませぬ。ただ、私が身にかえても欲しいと思うものが、ただ一つございます」
 という。亭主は、
 「かくなる上は、何なりとも望みのものを言いやれ」
 と神に誓文をたてて、望みの品を聞くと、女房は、
 「ありがたく存じます。実は、私の欲しいものは、これでございます」
 と、男の一物をひん握って、強くひねった。「これは」といったが、聞き入れず、急所をにぎられては是非に及ばず、それから五百八十年、契った。

 
五百八十年を契る、とは末永き幸を寿ぐ言い回し。ごく素朴な話柄ではあるけれど、歴史のうねりにがんじがらめにされてきた人々が、たとえほんのわずかでもみずから呼吸できるようになったいま、満腔の喜びをもって哄笑している様子が目に浮かぶようではないか。また、平和の到来は、女たちが存在感を取り戻す時代の到来でもあったろう。男と女とが隔てなく、おたがいの生身をさらけだして堂々と性欲を謳歌しているありさまがまぶしい。

 
人間は笑う動物だという。だれもかれもがいまこの瞬間を笑うことで、日々の憂さを晴らし、おたがいを労わり励ましあう。そんな息遣いの感じられる『昨日は今日の物語』は、人間が人間としてありえた時代の証なのかもしれない。

 
それに比して、現代の日本はどうだろう。いつからか、笑いならぬ「お笑い」なるものが幅を利かせはじめ、もはやイッパシの権力と化して、哄笑とは似て非なる、そのばか笑いがテレビやスマホを介して社会の隅々まで覆い尽くすに至った。われわれは笑っているのではなく、笑わせられているのではないか。かつて無名の庶民たちが心を通わせた笑いはどこに行ってしまったのだろうか?

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