アナログ派の愉しみ/音楽◎エディット・ピアフ歌唱『アコーディオン弾き』

止めて! 音楽を止めて…
その凄まじい感情移入には言葉を失う


大竹しのぶがライフワークとして取り組んでいる舞台『ピアフ』を、先年わたしも鑑賞する機会があった。満員御礼の盛況のもと、「シャンソンの女王」エディット・ピアフの47年の波瀾の人生を、大竹はそれをはるかに超える60代にして全2幕約2時間半、ステージに出ずっぱりで再現してみせた。

 
われ知らず熱いものが込み上げたのは、第1幕の半ばで『アコーディオン弾き』がうたわれたシーンだった。これは1939年にミッシェル・エメールが第二次世界大戦で出征するにあたり、自分で作詞・作曲したものを強引にピアフのもとへ持ち込み、彼女の意にかなったことで大ヒットしたという伝説的な作品だ。

 
場末のダンスホールでアコーディンを弾く男と、夜な夜なそのジャヴァに耳を傾ける娼婦。男は兵隊に取られることになり、帰ってきたらふたりで店を持とうと夢を語りあったのも空しく、やがて男の戦死が伝えられる。娼婦が安キャバレーへ足を向けると、別の男がアコーディオンを弾いており、そのジャヴァに合わせて、すべてを忘れるために、女は踊りはじめ、回りはじめ、ついに叫ぶ。

 
 Arrêtez! Arrêtez la musique...
 (止めて! 音楽を止めて…)


わたしが落涙したのは、大竹が日本語訳でうたったこの歌に重なって、ピアフ本人の歌唱がにわかに耳によみがえったからだ。口幅ったい言い方ではあるけれど、このシャンソンはゾラやモーパッサンの短篇小説にも匹敵し、「電話帳を読んでも感動させる」といわれたピアフがもしいまここでうたったなら、わずか4分足らずの歌のドラマは、目の前の2時間半におよぶ舞台をあっさり凌駕するに違いないと思った。

 
ピアフによる『アコーディオン弾き』の歌唱はいくつも録音が残されているが、わたしが知るかぎり最も心揺さぶられるのは、1956年にパリのオランピア劇場で(恐らくリサイタルの結びに)うたわれたものだ。不倫相手のプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で死を遂げたあと、4年間にわたって麻薬に溺れ、再起不能とも囁かれたピアフが懸命に中毒を克服して、新たな決意でステージに立った時期の記録であり、その凄まじい感情移入をともなった歌唱は壮絶としか言いようがない。

 
のちに最後の病床(1963年)にあって、ピアフは口述筆記による自伝を残した。そこでは生涯を通じての男性遍歴が赤裸々に語られ、あたかも死を前にしての懺悔のようだ。そのうえで、こう述懐している。「私のシャンソン! 私がうたうシャンソンについて、どんな風にお話ししたらいいのかよくわかりません。男たちは私がどんなに愛そうと……要するに、彼らは他人にすぎませんでした。歌は私にとって、自分自身であり、自分の肉体であり、血であり精神であり、心であり、魂なのです」(中井多津夫訳)。

 
ピアフが逝って60年あまり。わたしは『アコーディオン弾き』に、その「血であり精神であり」の極北を聴く。
 

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