アナログ派の愉しみ/音楽◎中田喜直 作曲『雪の降るまちを』

その正体を
外国映画が教えてくれた


思いがけない場所で知りあいとばったり出くわして驚くことがある。それに類したものかもしれないが、アキ・カウリスマキ監督の映画『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)を初めて観たとき、ラストシーンで『雪の降るまちを』が掛かったとたん、エッと声を挙げて座席から転げ落ちそうになった。いまにして振り返ると、パリが舞台で登場人物がみなフランス語を使うドラマの幕切れに、いきなり日本の国民的唱歌が日本語のままでうたわれるのも椿事ではあるけれど、それだけが衝撃の理由ではなかったようだ。

 
映画はタイトルが示すとおり、アンリ・ミュルジェールの古典文学『ボエーム(ボヘミアン生活の情景)』を踏まえているものの、同じ原作にもとづくプッチーニの有名なオペラ『ラ・ボエーム』(1896年初演)とはずいぶん雰囲気が異なる。あちらが青春の清冽な友愛と悲恋を張りつめたタッチで描いているなら、こちらは落ちこぼれの中年芸術家たちのありさまをとりとめなくデッサンしていく。密入国者の画家ロドルフォは腐れ縁の娼婦ミミとすったもんだを繰り返したあげく、彼女が結核の末期と知ると、仲間たちとなけなしのカネを工面して入院させるが、病床のミミの頼みで庭の草花を摘んでいる間に彼女は息を引き取ってしまう。そのとき、ギターの伴奏で男(トシタケ・シノハラ)の野太い声がうたいだすのだ。

 
  雪の降るまちを
  雪の降るまちを
  想い出だけが通りすぎてゆく
  雪の降るまちを
 
  遠い国から落ちてくる
  この想い出を
  この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸せのほほえみ

 
この歌は、もともと1949年(昭和24年)からNHKが放送したラジオドラマ『えり子とともに』の挿入歌としてつくられた。と言うと聞こえがいいが、ある回のリハーサルでどうしても時間が余ったため、やむなく歌で穴埋めする運びとなり、台本作者の内村直也が急遽ひねりだした詞に、音楽担当の中田喜直がすぐ曲をつけてデッチ上げたというのが真相らしい。ところが、放送されてみると大きな反響を呼んだため、あとから二番と三番の歌詞も加え、プロのシャンソン歌手(高英男)を起用して独立作品として放送され、晴れて国民的唱歌となりおおせたのだった。

 
そこで、上記の歌詞をあらためて眺めてみたい。率直に言って、何やら朦朧とした印象が濃いのではないだろうか? あえて行を空けて前段と後段に分けて記載したのには理由がある。作曲家の中田が前段をイ短調、後段をイ長調としたことで、足を引きずるような重苦しさと、新しい未来へ踏みだす明るさがみごとな対比をなして、聴く者をすっかり納得させてしまうのだが、実のところ前後の歌詞には脈絡が欠けているのではないか。遠い国とはどこか? 想い出を包むとは? それがなぜ幸せの微笑みにつながるのか? そもそも、本来なら前段を受けて後段にも「雪」にまつわる言葉を配してまとまりをつけるのが作法だろうに、すっかりバラけてしまったのはどうしたわけか? ひっきょう、ラジオドラマの急場しのぎに慌ただしく対処した事情のゆえと見なす他ない。

 
そんなちぐはぐな『雪の降るまちを』が、『ラヴィ・ド・ボエーム』のラストシーンでミミの死の無惨を際立たせるために使われたことで、秘められていた正体が明らかになったのではないか。この歌が世に現れたのは、日本が太平洋戦争に敗れて焦土と化してからさほどの歳月を経ない時期で、ラジオの前で耳を傾けた人々はだれしも痛切な記憶をともにしていたことが、降りしきる雪に託した思いを国民的唱歌へと飛躍させる原動力だったのに違いない。その発見が、あのときわたしに衝撃をもたらしたのである。

 
そう、この歌はレクイエム(鎮魂歌)なのだ、と――。
 

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