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手を離せなくてもいい

もうすっかり遠い彼方に忘れていた出来事を
改めて声に出してお話しをしていて気がついた事なのですが…

最近
様々な体験の中で
繰り返し起きる課題みたいな出来事が
少しずつ繰り返さなくなってきた

というか

同じような事は起きていても
気にもならなくなれたのは


なーぜ?なーぜ?



改めて思いを馳せてみたのですが


気になる内容は
リスクがあろうが失敗する可能性があろうが
とことんチャレンジして
味がなくなるまで
味わい尽くしたからで


もうご馳走様😋


と思えるようになったからなんだと
思うのでありました


手離すという概念は
嫌だと思う状況を
投げ捨てたり
握り締めたりするのではなく
そのままただ受け止めて
手から離れていくものをそのままにしておく


みたいに言われるのですけど


そんな悟りの境地になんてものは
そう簡単に起こり得ないと私は思います


思いっきり拒絶して
相手に投げつけたものが
反動で自分に帰って来たり

ギュッと握り締めすぎて
自分の手を痛めたり


力の加減を
失敗しながら学ぶもので


そういうスッタモンダを何度も何度も繰り返し
それでも
まだ懲りずに
投げたり握ったりをしながら
いつのまにか
手に馴染んできて
自分の中に統合されていくもの


そのプロセスなしに


嫌な事が起きたら
ただただじっとみて手離す


なんて事は
ただの絵空事のように思います


そして
外側に起きていた事全ては
元々は自分の中にあったもので

相手を非難して
問題を分離させて
自分の中の痛みに寄り添ってなかっただけで

結局のところ

自分の中にあった
悲しみや苦しみが
粉々になって置き去りにされていたものを

近しい人や状況を通して
見せつけられていて

そんな置き去りの子を
拾い上げて

その感情を味わい
その痛みを感じ
苦しみにのたうちまわり

傷を再び感じながら
その傷を深く理解して
感情を
慰めてあげて
自分の中に抱けた時
やっと自分のものにできるものなのだと

思うのでありました

再体験するのは
痛すぎて
目を背けたいし
心は血だらけなのですが

元々は自分の中にあったもの

その傷を分離させて
相手がそれを見せてくれているだけ
そんな役割を担ってくれる相手がいるおかげで
もしかしたら
自分を守れるのかもしれないと思うのでした

まだ
向き合えない時は
相手のせいにしておけば良い

いずれ時が来た時
必ず自分の中に吸収し
帰還できる時が来るのだから


それまでは


人のせいにして
泣いたり喚いたりすれば良いのだと思います


ずっとずっと
とことんまでやり尽くすと

もういっか…


って思える時が
来るのかもしれないし


もしかして
死ぬまで来ないのかもしれない


でも

いずれ必ず
どこかで離れてしまった子が
笑顔で戻ってくる日が来ると
私は思います


そして

そういう
感情にどっぷり浸かって
その状況に浸れる状況って
実はとても楽しいというか
充実しているというか
愛がいっぱい詰まっている時
なのだと思います


味わい尽くしてしまって
統合し尽くしてしまったら


結構つまんなかったりしてね😆


悟りの境地って
つまんない世界なのだと思います


なので
わざわざめんどくさいこの地球で
わざわざ波動を落として
色んな感情を味わっているのだと思うと

滑稽でもあり
良くできた仕組みだとも思います


人生はリアルなゲーム


そう思いながら楽しむと
楽にはなるけど
あんまり面白くないかもしれない

ゲームとは思えずに
その状況にどっぷりと浸れる
そんな地球のフィールドは
本当に素晴らしいワンダーランド

味わえる期間を無駄にせず
無邪気に味わい尽くすといいと思います

頑張りたければ頑張ればいいし
放棄したければすればいい

あなたの内側の感覚を信頼して
その声に従って動いていくと
面白い出来事にいっぱい遭遇できると思われます

握った手を離さなくても全然オッケーだよー



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