見出し画像

お盆

今年の夏は暑いですが
未だかつて無いほどに
私の体調もメンタルも安定でござる

何故かは全くわからない

むしろ
お盆の行事三昧で
連日法事の梯子状態でござった

実家周辺の行事だと思っていたのに
義母の新盆でこれまたこちらでも行事が増えて

普段だったらぐったり状態なのですが…

全然大丈夫なのが不思議


楽しい事があったからなのか?


と思うかもしれませんが
むしろ

憤るような事ばかりです

何がじゃあ憤るのかと言えば
お年を召した方の
男性性主体の考え方や行動に対してですな

お年を召した男性はほぼ天国へ召されたのですが
女性性の感覚ががこれから優位になるとは言え
女性が男性化している方が多いので
しっかりと男性性を握りしめて
家の中を仕切っていたり
こうあるべきを押し通したりで

もう
めちゃくちゃなんですよね…


自分の本当の思いとか
相手がどう思うかなんてのは無視で
ただ良かれを押し通し
体裁は整うのでしょうが
なんでしょうね…

誰もくつろいで居ないって感じ(実家周辺)


でですね

この家に嫁いで
初めて感じたのですが


この家の人たちの非常識さや
自分の思いのみで突き進み体裁やこうあるべき
なんてものはほぼ無い方々と一緒にいて
わかった事なのですが…


とても人間味がある


そして

みんな自由でくつろいでいる


だからって
私が居心地がいいかと言えば全く違うのですが


それぞれが
それぞれに
自分を主張して
誰も譲らないんだけど


なんか…
それはそれでなんとかなってるんですよね…


はちゃめちゃでも
心がこもっているお盆というのかね…


なるほど


と思う事がとても多かったのであります


どっちが良い悪いなんてものはないのですが
むしろどっちも嫌なのですが


どっちもどっち
良いも悪いもどっちもあり
それはそれで良い⭕️


と言う真ん中でいれたことが
きっと疲れなかった要因なのだと思いました

そして
子供としての立場とか
嫁としての立場とか
そんな事は一切無視して

私が私でいる

と言うことに徹していたので
やりたくない事は一切やらず
やりたい事だけやってた感じです


故人を慈しむ事に変わりはないお盆なのでありますが


お墓問題や
その他諸々のいざこざや難問ばかりの
お話しに発展していって

最終的に

生きている人が苦しむようなシステムも
そろそろ終わりにしなくてはいけないのでしょうね


生きている事の中にその問題も含まれているのかもしれませんが
その事で家族間が苦しむのであれば


死生観や
生きる事
死ぬことに対して

生きている私達が
色々と知る、学ぶ必要性があるような気がします

死を通して
より生きるという事を
客観的に見る事ができ

では改めて自分はどう生きたいのか?


と問うたとき
私の内側から出る言葉は


死ぬ時に
後悔せぬように


今を楽しみた〜い🎶


という事でありました😆💕
(負の遺産の次の代に残さぬように)




淡々と
マイペースで言いたい事を言い
やりたいことをやり

と言う生活をしているもので


ストレスは溜まりませんね


外側に歩調を合わせすぎる感覚と
内側だけに歩調を合わせすぎる感覚を

うまくブレンドすると良いのだと


本当に極と極の
実家と我が家


両極端さがエグいのですが
バランスを取れるようになると
中庸の意味が体感覚を伴い
身につきます

やはり
どっちも体験すると
正解なんてものは無い

と言う事もわかるので

ジャッジの意味も無い

ただ目の前に出来事が繰り広げられているだけ

そこから自分が楽しいと思う方向に
舵をとって遊んでいれば良い

それが
どっちの環境でも
行動に起こせるようになれた


そんなこんなで

疲れなかったお盆でありました🫡✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?