見出し画像

【奈良旅2日目④】長谷寺、瀧蔵神社

長谷寺の創建ははっきりしていないが、7世紀後半に道明(どうみょう)という僧が作ったといわれている。『源氏物語』『枕草子』『更級日記』にも名前が見られ、霊験あらたかな噂は唐にまで届いていたという。古くより絶大な信仰を集めていたお寺だ。

長谷寺(2024.4/11)

長谷寺に到着したのは15時30分。コインパーキングの従業員に招かれるままに駐車して、流れるように参道へと向かった。遅めの時間でも大勢の人で賑わっているのはさすがの古刹。399段ある登廊(のぼりろう)は、緩やかな作りになっていたので段数ほどの苦労は感じなかった。

長谷寺、登廊(2024.4/11)

登廊を歩きながら目に入るのは多種多様な花々。長谷寺は境内いたるところに花が植えられており、通年なにかしらの花を見ることができる「花の寺」としても有名だ。あいにく桜は葉桜となっていたが、枝垂れ桜は満開を迎えていた。

長谷寺(2024.4/11)

国宝に指定されている本堂は1650年に造営されたもの。立派な舞台からの眺めは壮観だが、いささか人が多く観光ムードが強い。参拝終了間際の夕暮れ、もしくは早朝に訪れればまた違った姿を見せるのではないだろうか。

長谷寺、本堂前の舞台(2024.4/11)

本堂に安置されているのは、長谷観音さまの愛称で親しまれる十一面観世音菩薩像。せっかく来たのだからと特別拝観料を払い、長谷観音さまの足を触ってきた。

長谷寺(2024.4/11)

急ぎ足で長谷寺を回ったのは、後にも予定がつかえているからだ。北上して向かった先は、長谷寺の奥の院である瀧蔵神社。ここまで訪れる人は少ないらしいが、「瀧蔵神社に参拝しないと長谷寺のご利益は半減する」という話を何かの本で読んだことがある。ご利益にすがりつこうとする自身の卑俗さを自覚しつつも、単純に興味があるから参拝するのだと言い訳がましく言わせてもらいたい。

地図で見ると長谷寺から瀧蔵神社は近いように見えるが、なかなかどうして。道中は川を越え、ダムを越え、曲がり道上り道で、奥深い山の中を進むこととなった。そうして暗い山道を抜けると急に視界が開け、小さな集落が現れた。

権現桜(2024.4/11)

神社の入口付近にはやや色褪せた枝垂れ桜があった。石垣の上から道路に被さるように生えているそれはなんと樹齢400年以上。名を「権現桜」という。

瀧蔵神社(2024.4/11)

鳥居をくぐり薄暗い山道の参道を歩いていく。時間は17時を過ぎていた。個人的な感覚だが、山中や僻地にある神社に17時以降はあまり訪れたくはない。暗くなりひと気もなくなった神社は昼間とはまったく違った雰囲気を醸すからだ。

日本の神に荒魂(あらみたま)と和魂(にきみたま)という相反する二面性があるように、夜の神社では神域への畏怖の部分が際立つ。人が気安く入ってはいけないような気分にさせられる。ただ綺麗なだけでも、静かなだけでもない、自然や神という、人の力の及ばない世界への畏れのようなものを感じさせられる。

それでも現場を歩いているときは、初めて訪れる神社への高揚感が勝っていた。鳥居をくぐり拝殿を前にすると日が差し込んでおり、まだ明るさが残っていた。参拝客は自分以外にいない。小さな神社ではあるが、丁寧に手入れされていることが一目でわかった。

瀧蔵神社、本殿(2024.4/11)

拝殿と社務所の間を抜けると、独特な形の本殿が姿を現した。人の身長よりも高く積まれた石垣の上に赤塗の本殿がそびえている。下の段の左右には小さな社殿が建っている。賽銭箱に小銭を入れたが、途中で引っ掛かり止まってしまった。小銭を変えてもう一度入れるとすんなりと吸い込まれていった。

下山後は橿原市(かしはらし)まで戻り、好物の中華を食べてからスーパー銭湯に行った。二日目の夜は開けた車の窓から入ってきた蚊に悩まされ、よく眠れなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?