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【奈良旅3日目①】大神神社、三輪山への登拝

4月12日は快晴。すき家で朝食をとってから大神(おおみわ)神社へと向かった。

大神神社は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に国造りをしていた少名毘古那神(すくなびこなのかみ)が去ってしまった際、自分を祀ることを条件に国造りを手伝った大物主神(おおものぬしのかみ)を祭神とする、日本最古の神社の一つ。御神体は大物主神が宿る三輪山そのもので、原始的な信仰形態を残す神社だ。

大物主神に関して、神話の時代を経てからもこんな話が残っている。

時は崇神(すじん)天皇の時代(弥生〜古墳時代頃?)。疫病の収束を願って行われた占いで、ある神が降りてきた。「俺を祀れ」と話す神の名は大物主神。崇神天皇は急ぎ大物主神を祀ったが……疫病は収まらなかった。

困り果てた崇神天皇の夢に、再び大物主神が現れてこう言った。「オオタタネコに俺を祀らせろ」。そこで国中を探してオオタタネコなる人物を見つけ、神主になってもらい大物主神を祀らせたところ……疫病は収束して五穀豊穣がもたらされたという。

やたらと自分を祀らせたがる神である。これらは『古事記』の中巻に収められている話だ。


さて、交通の多い道路を走っていると、巨大な一の鳥居が見えてきた。鳥居の奥にはなだらかな円錐型の三輪山が見えている。大物主神は蛇の姿をしているというが、三輪山は巨大な蛇がとぐろを巻いた姿に見えなくもない。鳥居の真上にはちょうど太陽が位置していて神々しい雰囲気だ(サムネイル画像)。

大神神社、二の鳥居(2024.4/12)

鳥居近くの駐車場に車をとめてしばらく歩く。二の鳥居まで来ると参道は鎮守の森に包まれ、より荘厳な雰囲気を強めていく。人の少ない早朝を選んだのは正解だった。境内を清掃する人たちの機械の音で静寂とはいえなかったが、大混雑よりはいくらかましである。

大神神社、拝殿前の階段(2024.4/12)

大神神社には本殿というものがない。御神体の三輪山そのものが本殿だ。そのため過去には境内に鳥居しかなかったそうだが、現在は立派な拝殿が作られている。

神職の人たちは拝殿前を横切るとき、必ず立ち止まって一礼していく。急ぎ足で歩くスーツ姿の男性も、仲良くおしゃべりしている二人組の女性も、同じように拝殿の前に来るとぴたりと止まり一礼。そして何事もなかったかのように再び歩き出す。

おそらく近隣に住む人たちなのだろう。彼らにとって大神神社を敬うのは当たり前のことで、前を通るときに一礼していくのは日常的な慣習なのかもしれない。こうした姿を見ることで、本当に格式の高い神社に来たことを実感する。

狭井神社前にある池(2024.4/12)

ひんやりとした涼しい空気が流れる境内を歩き、摂社である狭井(さい)神社へと向かった。登拝手続きをするためだ。三輪山は古来より禁足地として侵入が固く禁じられてきたが、現在は正午までに申し込んで、15時までに戻ってくるという形でなら入山が許可されている。

狭井神社(2024.4/12)

その際、写真、動画撮影やスケッチの禁止、ピクニックやトレーニング感覚での登山禁止、山中の石や植物などあらゆるものの持ち出しや荒らし行為の禁止。山中での食事の禁止(水分補給の水はOK)など。登拝においての規則は細かく定められており、受付で説明を受けてから敬虔(けいけん)な気持ちで入山した。

三輪山内でのことは口外を禁ずる、というような規則は見なかった気がするが、なんとなく言葉にするのははばかられる。この体験は自分だけのものにしておこうと思う。

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