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『困難な子育て』 第1回: [海運堂] 砂田祥平さん・沙紀さんご夫妻(前編)

 兵庫県の阪神間、JR住吉駅のほど近くにある[凱風館]は、武道家・思想家の内田 樹氏が主宰する合気道の道場兼パブリックスペースであり、内田氏のご自宅です。2011年11月に開館した[凱風館]は、「宴会のできる武家屋敷に」という内田氏の要望を受けて、建築家の光嶋裕介氏が多様な空間がそれぞれに複雑に関係し合うように……と設計されました。その詳細は、光嶋氏の著書『みんなの家。建築家一年生の初仕事』(アルテスパブリッシング・2012年)に詳しいので、ご一読をお勧めします。
 内田氏は2018年9月、『人は個人では生きられません。ですから、集団としての「生きる力」をどうやって高めるかということが常に最優先的に配慮されなければならない。人類の経験は「守られるものが自尊感情を保って、愉快に生きられる仕組み」を持った集団が最も生き延びる確率が高いと教えています』とツイッターに投稿しています。[凱風館]はまさしく、そのような「仕組み」として構想され、合気道の道場としてはもちろん、能の舞台としても、またさまざまな文化的なイベントや交流の拠点として機能しながら、開館から7年を経て、新たな地域コミュニティの「場」として定着しています。
 翻って我が国の「子育て」を取り巻く環境については、保育園や幼稚園の不足などの養育環境の不備、地縁・地域社会の疎遠化による子育て家庭の孤立化などが指摘されていますが、そこには「地域コミュニティの劣化」という問題が大きく横たわっているのではないかと、個人的には考えます。というのも筆者は幼少時に、昭和の下町の路地で「育てられた」という実感を強く持っているからです。
 この連続インタビュー企画『困難な子育て』は、[凱風館]の門下生や関係者の皆さんの中で、現在子育て真っ最中の方々——それもさまざまな職種や立場の——から、個々の子育ての実践やそこから得た知見、子育てにおける想い、子育てをされている方へのアドバイスなどをお聞きすることで、少子化が先見課題であるにもかかわらず子育てがいささか困難になっているこの国の現在の、「子育てのかたち」や「子育てという営為の本質」について見つめ直していこう、という試みです。

 以降、内田 樹氏の呼称については、[凱風館]に出入りしている方々の共通の呼称である「内田先生」に統一します。

                  聞き手・構成:堀埜浩二(説明家)


 最初にご登場いただくのは、内田先生から「子育ての話をするなら、真っ先に海運堂だよ」と強くレコメンドされた、[海運堂]というスペースを主宰する砂田さんご夫妻です。JR住吉駅から徒歩5分、[凱風館]からも徒歩数分の3階建ての1軒家の一部を「住み開き」のスタイルで開放し、地域の人々の「ゆるやかなつながりが生まれる場」として、主に子育て中の方々が集まり、さまざまなイベントが行われ、また軽い「託児の場」としても機能しています。

夫:砂田祥平さん
1981年、大阪府枚方市生まれ。関西外国語大学国際言語学部卒。在学中にお母さんが始めたイタリア料理店を手伝いながら、システム開発会社、出版社などに勤務。内田先生が神戸女学院大学の教授時代に開講していた社会人ゼミに通い、合気道を始めて、[凱風館]の開館とともに神戸に移り住む。神戸のIT系企業で勤務しつつ、内田先生の「IT秘書」も務めていた。2019年より自らが主宰するIT企業の代表社員に。

妻:砂田沙紀さん
1984年、兵庫県姫路市生まれ。関西大学社会学部卒。卒業後、金融会社や家電メーカーに勤務していたが、結婚のタイミングで夫の祥平さんは無職だったため、「このままでは夫は私を頼るに違いない」と退職。その後、内田先生の助力を得て、開かれた長屋としての[海運堂]を立ち上げる。現在、長女5歳、長男2歳で、第3子を2月末に出産予定。

SNSでの出会いから同棲、結婚へ

——まずはお2人の出会いから、お伺いしましょうか。
沙紀さん ツイッターで出会いました。2012年ですね。
祥平さん それも僕じゃなくて、彼女から最初のメッセージが来たんですよ。それまではお互い何の接点もないし、全く知らなくて。
沙紀さん 私は元々、哲学者の鷲田清一先生のファンでした。また内田先生の本も何冊か読んでいました。大学を卒業後、最初は損害保険会社で事務の仕事をしていましたが、どうしても肌に合わず半年で退職。その後は家電メーカーの営業として量販店を回る仕事をしていました。だけど、たまたま紹介していただいた仕事ということもあり、営業に向いてないし、毎日しんどいなあ……と思っていた頃、内田先生の『呪いの時代』(新潮社・2011年)を読み、すごく助かったところがあって。「内田先生に会いたいなぁ」とか「合気道をやってみたい」とか思ったんですけど、人見知りをするところがあるので、まずは内田先生のことを知っている人に会いたい、と思ったんですよね。

——いきなり内田先生にではなく、なんとなくワンクッションが必要だったと。
沙紀さん そう。で、まず内田先生のツイッターをフォローすると、内田先生の「IT秘書」として、先生とやり取りしている人がいて。それが彼だったんですけど。
祥平さん それで彼女がある日、「合気道ってどうなんですか?」ってメッセージをくれたんですよ。
沙紀さん 当時、祥平さんのツイッターのアイコンがペンギンで、年齢も性別もよく分からないけど、なんだか軽い調子で軽いことを呟いている人だったので、気楽に会ってくれるかなぁって。

——数ある内田先生のフォロワーの中で、「一番軽めの人」みたいな。
沙紀さん そうです。
祥平さん
 こっちは初めは、「この人、大丈夫かなぁ」と思いましたよ。ひょっとしてヤバい人なんじゃないかと(笑)で、おそるおそるメッセージを返してみたら、意外と普通の内容が返って来たので、じゃあ一度お会いするぐらいなら、と。壺でも売られるんじゃないかとめちゃくちゃ警戒していたので、大阪駅の改札口の前で待ち合わせしたんです。会ってみて、ヤバかったらすぐに逃げられるから(笑)でも実際に会ってみたら普通の人だったので、お茶を飲んで、お腹が空いたからご飯を食べましょうかって流れになって。お互いに機嫌良く「じゃあ」みたいに別れて。そんな感じの出会いでした。

——私(筆者)は祥平さんが出版社に勤めていた頃に知り合っていましたよね。彼がその出版社を辞めてからも、たまに人伝てに祥平さんの情報を聞いていたんですけど、ある日、凱風館で麻雀をしている時に「砂田くん、結婚するみたいですよ」って唐突に聞いて。「え?結婚って、彼にそんな甲斐性あるの?」と驚いたんですが、「いや甲斐性とかじゃなしに、どうも彼女の家に砂田くんが急に転がり込んで、勝手に同棲を始めたみたいです」って。そのあたり、事実関係はどうなんでしょう?
お2人 そのまんま、です(爆笑)

——その話を聞いた時は、「砂田くん、なかなか大した男やな」って(笑)「転がり込んで来た砂田くんの面倒を見ている女性なので、それなりにしっかりした人なんだろう」と思っていたら、後に沙紀さんに初めてお会いした時の印象はなんともふんわりした感じの女性だったので、「なるほどなぁ。イマドキはこんな感じなんかぁ」って。
沙紀さん はい、こんな感じです(笑)
祥平さん 凱風館を訪ねて内田先生に「結婚します」とご挨拶したら、「結婚式はどうするの?」と訊かれて。「お金がないのでしません」とお話ししたら、「じゃあここでしなさい」ということになって。私たちが「凱風館で結婚式をした最初の夫婦」という栄誉に授かることができました。

迷いなく出産できたのは、凱風館があったから

——ご結婚から第一子の出産までも、早かったですよね。
沙紀さん 早く子供が欲しいね、というのは2人に共通することでしたから。自然の成り行きでした。

——経済的な不安や、実際に子育てが可能かどうかとか、考えなかったんですか。
祥平さん そういうことは、2人ともあんまり考えない。って、僕はあまり偉そうに言える立場にはないのですが…(笑)

——共働きが一般的になっていることが現在の少子化の原因の一つだと言われていますが、お2人にはそうしたことは関係なかったと。はっきりと覚えていますが、宗教学者でもある釈 徹宗さんが住職をなさっていらっしゃる池田の如来寺で凱風館の麻雀大会があった時に、「赤ちゃんが出来ました〜」ってみんなに見せに来てましたよね。
沙紀さん あれは生後2カ月ぐらいで、ちょっと落ち着いたかな、という頃です。
祥平さん 凱風館での結婚式は釈先生にお願いして仏式で挙げていただきましたし、子供の名前も釈先生に付けていただきました。ということもあって、釈先生のお寺に皆さんが集まるせっかくの機会に、子供の顔を見てもらいたかったんです。結婚式から子供の名前まで、みなさんに甘えっぱなしですね。

——そこはやはり、内田先生がいて凱風館という場があって、ということでしょうね。
沙紀さん 強く意識していたわけではないのですが、後から考えると、凱風館のコミュニティがあったからこそ、安心して結婚したり出産したりできたのかな、と思います。

——お2人はSNSがなかったら結ばれていなかったのだから、SNSの功罪の「功」の部分が現れた理想的なケースですね。そのあたりの空気感が、この海運堂にもそのまま出ていると思います。
沙紀さん 夫婦で合気道のお稽古をするために凱風館に行く途中、偶然この空き家を見つけました。「家族でここに引っ越そう」と思ったのが、海運堂を始めるきっかけです。以前はもう少し離れたマンションに住んでいたのですが、ここなら凱風館にも駅にも近くなるし、戸建てに対する憧れもありました。ただ、家賃はさすがに高くなります。自分達だけで居住するにはもったいないし、「人が集まる仕組みを作って、ここを凱風館や地域の人達と共有したい」という考えは、最初からありました。ただ、私たちにはまとまった資金が無い。そこで「ここをみんなで使う場所として借りたいので、援助をお願いできませんでしょうか」と内田先生にご相談したら、ご快諾いただけました。それで、初期費用としてかかる金額を、祥平さんの名義でお借りしました。

——まだこの家自体は、借りていなかったのですね。
祥平さん まだ借りていなかったです。というか、ここを借りるための借金でした。
沙紀さん こんな1軒家だから、家族3人で暮らすには広いと感じたし、ならば「地域に開かれた長屋のような場所を作ります」と。海運堂という名前も、内田先生に付けていただきました。
 でも、とりあえず建物は借りたし、「みんなの居場所」というイメージはあったんですが、じゃあ実際にどうやって使うかとかいうことを議論しないままにスタートしたこともあって、当初はいろいろと手探りでした。

——結果として、現在の「住み開きの、子育ての場」に落ち着いたんですね。
沙紀さん まずなん家族かと取り決めを交わして、その家族で使おうか、という話がありました。ただ、実態が無い中でそんなことを説明しても、イメージが湧かない。「長屋」とか「サードプレイス」とか「みんなでみんなの子どもを見る」いう言葉は当初から共有されていましたが、それをどうかたちにするかが分からない。そこでまずは、海運堂を知ってもらうために、さまざまな催しを開いたり、人を招き入れたりしました。随分と試行錯誤したなと思います。

——偉いなぁと思ったのは、内田先生からの借金を「ここまで返しました」とか、経理上の全てをオープンにしているところです。
沙紀さん 催しの会費や賛助金により運営しているのですが、第3者がいないため、経理の事は自らオープンにした方が安心してもらえるのでは、と思いました。「皆さんが来てくれているお陰で海運堂が運営できています」というのを可視化したい、という気持ちもあります。

——階段の下に「内田先生 残り 80万円です」って貼り出してありましたね。
沙紀さん はい。あの貼り紙は皆さん結構気にしてくれています。頻繁に来てくださる方は「最近、全然減ってへんやん」とか「ここまで減ったんか!」とか「早よ返しや」とか、色々声をかけてくれます。年に数回、内田先生が凱風館で開講されているゼミの宴会の会場としてもご利用していただくのですが、その時に内田先生に直接見ていただけるように、という思いもあります。借金を返すために海運堂を運営しているところもあって、そこはみなさんと共有していたいと思っています。

「長屋的な場」と、子育ての安心感

——今、日本の子作りを支えているのは、地方で育ってそのまま家庭を築いて都会に出たりはしない人たちで、全部を一緒にするのは語弊があるかもしれませんが、あえて言うとマイルド層も含めたいわゆる「ヤンキーの人々」です。20歳代の早いタイミングで子供を作っている彼ら彼女らが、現在この国で実際に子育てしている層の大きな部分を占めている。一方で、都心部の中心になればなるほど、結婚もしない、子供も作らないというDINKSスタイルの夫婦のかたちが当たり前になっている。そこはもう、きれいに分断されています。
沙紀さん 私たちは結婚も出産も計画的に進めたわけではないので、いわゆるDINKSスタイルとはかけ離れている実感があります。
祥平さん 僕はIT系の会社に勤めているということもあって、周りにDINKSみたいなスタイルの方って結構多い。「結婚して、お金どうなの?」って訊いたら、「いくらかは家に入れて、後は自分で自由に使って、お互い好きなことやってるよ」っていうような。でも僕はそれを聞いていても、個人的に全然しっくりこないんですよ。それで幸せなら別に良いのかなぁとは思うけど。

——そういった方々は、当然お子さんはいないし、作ることもない。
祥平さん いないところがほとんどですね。僕が高校時代に仲良くしていたグループの中で結婚しているのは僕だけです。中学校の時の友達で、地元の枚方に残ったグループには、結婚して子供がいる人も多いんですけど。

——沙紀さんは、ご出身は姫路なんですね。
沙紀さん はい。地元の姫路にいる同級生だと、結婚して子供がいるのは多数派です。でも都会に出て大手企業などで働いている人は、未婚の人が多いです。「結婚したいとは思うんだけど良い人がいない」って。20歳代で結婚し出産も経験している層と、大手企業で勤めている層と、きれいに分かれていると感じます。うちはそのどちらでもないパターンだと言われると、そうかもしれません。

——結婚したのも、そんなに早いわけではないし。
沙紀さん 私が28歳で、祥平さんが31歳の時。特に早いわけではないですね。

——とはいえ、結婚6周年で来年の2月に3人目が産まれるわけだから、子作りはけっこうなハイペースですね。
沙紀さん 1人目の出産の2年半後に2人目を出産して、3人目も同じ間隔になりました。ハイペースなのかな?

——これから学費が大変だとか、考えないですか。
沙紀さん 結婚した時点で既に大変でしたから(笑)この先もっと大変だろうなとは思います。でも「2人目をいつ授かって、この時期に産んだら上の子とは何歳差になって、そうなるとこの時期にどれくらい費用がかかって」というように、家族計画を立てる事自体に抵抗がありました。
 不妊治療をしている方や、不妊治療に携わる方が周りにたくさんいらっしゃって、そんな方の話を聞く機会も人より多かったと思います。「子供を授かった」と知らせてもらうと同時に、「実は不妊治療をしていました」と打ち明けてくださった方もいます。そのお陰で「いざ子供が欲しいと思った時にすぐ授かれるかというと、そうではない場合もある」ということは頭にありました。だからこそ、子供を授かることについては、「自分たちが計画するもの」というより「委ねるもの」という感覚があります。

——3人目のお子さんは男女どちらか、分かっているんですか。
沙紀さん 次は男の子です。

——女・男・男ですね。もう長女さんは、弟くんの面倒見てくれたりするでしょ。
沙紀さん 面倒を見てくれたり一緒に遊んでくれたり、微笑ましいなあと思って見ていたら次の瞬間には張り倒していたり。お姉ちゃんとはいえまだ5歳ですから、色々あります。彼女にとって弟が1人から2人に増えるわけですが、楽しみにしてくれている反面、不安もあると思います。

——最初に赤ちゃんができた時っていうのは、どういう風に育てようとか、お2人で話しましたか。
沙紀さん 「こういう子になってほしい」とか「こういう風に育てたい」いうのはあまりなくて。結婚してから夫婦で凱風館にお世話になっていますが、凱風館の周りにはいろんな職業の方がいらっしゃいます。自営業の方、サラリーマンの方、農林水産業に従事されている方、主婦の方、本当にさまざまです。そんな人たちに囲まれて暮らすことは、子どもにとってとても良い環境だと思います。私の父は典型的なサラリーマンでしたが、それ以外の職業について知る機会がほとんど無かった。もっといろんな働き方がある、というのを知っていれば、選択肢が広がっただろうなという思いもあります。子どもに対し、私たち夫婦が道を示さなければ、という気持ちはあまりありません。そんなに優れた親でもないという自覚があるので。多くの人が出入りする環境に身を置いて、いろんな人からさまざまなことを教わったり学んだりしてほしい、と思っています。
 子どもが生まれたら、名前は釈先生に付けていただいて、内田先生に抱っこしていただいて、凱風館の方にも育児を手伝っていただいて。もちろん自分の子どもですけれど、凱風館というコミュニティの子どもとして、みんなに育ててもらっている感覚が最初からあります。

——自分たちだけで子育てをするというよりは、凱風館が近いし、凱風館の周りの人の出入りもあるし。家庭や学校とは違うところに「場がある」という環境は、やはり大きいですよね。子育てに対して肩の荷を降ろすというか、楽になる部分がある。
お2人 それは本当に大きい。感謝しかないです。
沙紀さん 3人目を授かり、自分でも最初は驚きました(笑)自分自身2人兄弟で、両親も2人兄弟なので、子どもが3人、というのはすぐにイメージできませんでした。でも凱風館が近くにあるし、もう子どもが大きくなった先輩お母さん方とのつながりもあるので、みなさんに頼りながら育児しよう、と。

——私は1960年生まれで、昭和の下町の路地で育った人間ですが、当時は路地が一つの小さなコミュニティとして機能していて、「路地に育てられた」という実感があります。兄弟は男3人ですが、諸事情で親戚から預かっていた実質的な姉もいましたから、4人兄弟みたいなものです。他所もみんな似たような感じで、親たちも「路地のつながりの中で育てている」ということだったのでしょう。

(ここで電話が鳴って、祥平さんが対応)

祥平さん 今の電話、凱風館で合気道のお稽古をされている近所の方で、よくうちの子どもの面倒を見てもらっているんです。このあたりは住宅街なので路地や長屋的ではないのですが、凱風館や海運堂がその役割を担っている、という実感はあります。合気道のお稽古の帰りにふらっとよる人もいれば、子連れで合気道に行こうとしてうちの前を通ったら、お子さんはここが大好きなのでこっちに来ちゃう……という事もよくあります。
沙紀さん 「呼び鈴を鳴らさずに気軽に上がってきてもらえる家になるには、どうすればいいのかな」と模索してきた4年間でした。とにかく誘う。前を通ったら誘う。「遊ぶ?」か、「お風呂入る?」とか、「ご飯食べる?」とか。うちの長女もベランダから公園をよく見ています。知っている子がいたら「おうちくるー?」と叫びます。だいたい来てくれます(笑)

——ここが路地的・長屋的な場所であろうとする意義、それは凱風館の目指すところでもあります。凱風館にはセーフティネット的な意味合いがあり、だからこそこの海運堂もやっていけている。コミュニティの成員をゆるやかに包んで、それぞれの立場で、その時に出せるカードを切り合うという環境は、そのまま子育ての安心にもつながりますよね、きっと。

(後編に続く)

海運堂HP
http://kobe-kaiundo.jp/blog/