第4回:光嶋裕介さん・永山春菜さんご夫妻(後編)

 この連続インタビュー『困難な子育て』は、思想家であり武道家である内田 樹氏が主宰する合気道道場兼コミュニティスペースである[凱風館]の門下生や関係者の皆さんの中で、現在子育ての真っ最中の方々——それもさまざまな職種や立場の——に、個々の子育ての実践やそこから得た知見、子育てにおける想い、子育てをされている方へのアドバイスなどをお話しいただくことで、少子化が先見課題であるにもかかわらず子育てがいささか困難になっているこの国の現在の、「子育てのかたち」や「子育てという営為の本質」について見つめ直していこう、という試みです。
 なお内田 樹氏の呼称については、[凱風館]に出入りしている方々の共通の呼称である「内田先生」に統一します。

聞き手・構成:堀埜浩二(説明家)

 凱風館を設計した気鋭の建築家である光嶋裕介(こうしまゆうすけ)さんと、凱風館の書生第1号を務める永山春菜(ながやまはるな)さんのご夫妻。前編(https://note.mu/bricoleur/n/n356ad8cab0d8)では、お2人のロマンチックな馴れ初めから、結婚、出産までのお話をお聞きしました。続く後編ではいよいよ、光嶋さんのアツい子育て論が炸裂します。ラストには、保育園から帰ってきたお嬢さんの結衣(ゆい)ちゃんの容赦ない発言も。どうぞお楽しみください。

夫:光嶋裕介さん

1979年、米・ニュージャージー州生まれ。建築家・一級建築士。神戸大学客員准教授。2002年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。2004年、同大学院修士課程修了。2004〜08年、独・ベルリンの設計事務所[ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ]に勤務した後、2008年に帰国して[光嶋裕介建築設計事務所]を主宰。著書に、凱風館の成り立ちを綴った『みんなの家。 建築家一年生の初仕事』(アルテスパブリッシング・2012年)や、『ぼくらの家。 9つの住宅、9つの物語』 (世界文化社・ 2018年)などがある。公益財団法人合気会 弐段。

妻:永山春菜さん

1986年、兵庫県高砂市生まれ。合気道家(公益財団法人合気会 四段)、凱風館助教。2008年、神戸女学院卒業後に[合気道高砂道場]を主宰、現在も継続中。2011年より、凱風館の書生(1号)を務める。

前編から続きます)

なるべく預けたくなかったけど、やっぱり保育園に

——光嶋さんはお仕事の関係で、今も東京にお出かけになることが多いので、やはり子育ては永山さんがメインになりますよね。
光嶋さん
 そうですね。僕は9時から5時までみたいな定時の仕事ではないし、自宅でも建築設計はもちろん、絵を描いたり、本の執筆などもありますから、ずっと何かをしている感じにはなります。それでも、結衣が生まれた時から、ここで3人で暮らして育てるのは特別な時間だなぁっていうのは感じていましたから、家族と一緒にいる時間は大事にしています。

——永山さんは産後、体調が大変で、痩せて栄養が足りなかったということですが、おっぱいは普通に?
永山さん
 出にくかったので、ミルクも併用していました。搾乳するほども出なかったので、ミルクの率もけっこう高かったです。

——ミルクと併用してた分、乳離れも早かったり?
永山さん そうですね。

——母乳だけで育った子供は、乳離れのタイミングが難しいというお悩みもありますからね。結衣ちゃんは好き嫌いはありませんか?
光嶋さん
 基本、何でも食べますよ。
永山さん その日によって、「今日はニンジン食べない」とかは言いますけどね。ちょっと気分屋さんなんです。
光嶋さん 気分屋ですね。「青いものが嫌だ」って言ってたと思ったら、サラダしか食べないような時もありますし。その時は、ピエトロのドレッシングが美味しかったんだと思いますけど(笑)好き嫌いが少ないのは、楽ですね。

——お2人も、食に関しては好き嫌いはない方ですか?
永山さん ないですねえ。
光嶋さん 僕はキウイフルーツだけがダメなんです。酸っぱいのが苦手で。結衣はそれを、嬉しそうにペロペロ食べるので。

——結衣ちゃんは病気もあまりしないみたいですね。
永山さん ほとんど熱とかも出なくて。よく「お子さん、熱が出たから」って保育園に呼び出されたりという話を聞くんですが、そういうのが1回もなくて。

——すごいなぁ。それは珍しい。
永山さん ただ、皮膚がちょっと弱くて。夏はかぶれて、冬になると乾燥して掻いちゃうので、それが原因でヘルペスとかにはよくなってました。

——小さなお子さんは皮膚病だとどうしても掻いちゃうので、広がりますからね。今は少し落ち着きましたか?
永山さん
 かなり落ち着きました。皮膚科の先生のよると、「肌にあまり油分がないので、保湿クリームをしっかり塗ってあげてください」って。

——乾燥肌なんですね。
永山さん 私はそんな感じではないんですけど……。
光嶋さん 僕の方が昔から、乾燥肌なんです。
永山さん 結衣と同じ皮膚科に通ってますから。
光嶋さん 結衣と一緒に保湿クリームを塗りながら、「ちゃんと塗らなあかんで」って(笑)これも遺伝でしょうから、ちょっと責任を感じています。

——体質の遺伝は仕方のないことですから。保育園に通い始めたのはいつ頃からですか?
永山さん 1歳になったのと同時でしたね。最初はすぐ近くの保育園に一時保育で預けていたんですけど、今は歩いて10分ぐらいの公立の保育園に移りました。
光嶋さん 僕の実家は母親が専業主婦で家にずっといましたから、うちもなるべく子供を預けないようにして育てたいなぁ、とは思っていたんですよ。でもそれだと彼女の負担が重くなるので、やっぱり保育園に預けるようにはなったんですけど。

——今通っている公立の方に最初から預けられなかったのでしょうか?
永山さん 待機とかはしていません。2人で相談して、「小ちゃい頃から毎日、保育園に預けるのはどうだろう」ということで、少し様子を見る意味もあって、一時保育の扱いにしていたんです。凱風館や高砂の道場に行く時など、どうしても預けないといけない日が、週に何日かはありますから。で、このマンションの横にある保育園に尋ねてみたら、「1人ぐらいなら預かれますよ」って言ってくれたので。でも時々しか行かないから、やっぱり馴染めなくって、しょっちゅう泣いてましたね。

——今の公立の保育園は、長い時間見てもらえるのですか。
光嶋さん 6時半まで見てもらえます。最初に一時保育で預けた保育園は私立なので、週3回で数千円払っていました。でも今の保育園は神戸市東灘区の公立なので、長い時間預けられてお金も安いし、お稽古の後に迎えに行ったり、柔軟にできるっていうことで。

——送り迎えは永山さんが?
永山さん
 送って行くのは私ですね。
光嶋さん 僕が迎えに行ける時は、迎えに行くようにしています。
永山さん 今は保育園にも少し慣れてくれました。でも週末ずっと一緒にいて、月曜日になるとちょっと泣いたりします。

自然に諦めた「帰国子女にしたかった」という想い

——結衣ちゃんが生まれる前から、光嶋さんには子育てに対してイメージとかビジョンのようなものはあったんですか?
光嶋さん やっぱり、「自分が育てられたのと同じように子供を育てたい」という想いが自然とありました。僕を育ててくれた光嶋家へのリスペクトというか、両親を心から尊敬しているので。
 自分自身を振り返った時に、光嶋裕介という1人の人間としての自覚を持ったというか、物心付いたって思うのが、大体15歳ぐらいだったんですね。そこからは、兄も大学に行って、僕も高校に行って、家族がどんどん離れて……。というふうに振り返ると、結局人生のたった15年の間しか、光嶋家って5人で一緒に住んでいなかったんだな、と思っていて。今は家族5人で一緒に暮らしているわけじゃないし、もう年に数回しか会わないし。だとすると、家族が一緒に暮らしたたった15年が、今の自分の人格の核になっているわけじゃないですか。そう考えると、家族でちゃんと一緒に過ごす期間がどれほどかけがえなく大事かっていうことに気づいたんです。
 僕はずっと親の影っていうのか、そんなものを追っていたので……。実は、「自分の子供は帰国子女にしたい」って、ずっとリアルに想像していたんです。僕はアメリカのニュージャージー州で生まれて、そこで英語を学んで、向こうの文化を享受した。だから、「自分が与えてもらったのと同じことを子供にも与えてあげたい」って、若い時から思っていたんです。結婚願望もかなり強くて。今になって思うと、それは「自分の子供が欲しい、その子供を自分の焼き写しにしたい」、そんな家族像しか持てていなかったからだと。
 でも、こうして彼女と知り合って、神戸で結婚して、合気道も始めて、「あぁ、もう神戸はこれから住む場所なんだ」って故郷のように思えたんです。凱風館はそれだけの存在だと。凱風館の周りには、“リアル似非じいじ”や“似非ばあば”がたくさん居てくれるし。
 僕自身のことを振り返ると、おじいちゃんやおばあちゃんに会いに行くっていうのは、アメリカから日本に一時帰国するという夏休みの特別な事でしたけど、凱風館には常日頃からいろんな方が居てくれる。大学の先生から、革職人さん、漁師さん、お医者さん、いろんな人達のコミュニティがある。子供の頃から結衣ちゃんに、この世界の色んな「窓」というか、色んな人がいるんだよってことをこうして見せてあげられるっていうのは、今の僕にとってありがたいことに子育ての在り方の基本っていうか。だから、もう「自分の子供は帰国子女にしたい」って思っていたかつての希望は、良い意味で諦められましたね。つまり、帰国子女にはできなかったけど、家庭内で子育てを閉じ込めるのではなく、凱風館という大人の世界を見せることで、家族と社会が地続きであるということを感じてもらい、集団的に子育てすることができることの喜びを感じています。
 2015年に結衣ちゃんが生まれて、これから先15年ぐらいしか一緒に過ごせないかもしれないけど、ならば彼女が羽ばたくまでの間、僕が仕事をしている背中も、お稽古している姿も見せてあげることで、僕を育ててくれた光嶋家よりももっとオープンな感じにできるかもなぁ、って思ってます。

——う〜ん、アツい想いがあったんですね。今の「お子さんを帰国子女にしたかった」っていうお話は、結婚する前や結衣ちゃんが生まれた時とかに、2人で何となく話し合ったり?
永山さん いや。今、初めて聞きました……。
光嶋さん ええっ、言ってたつもりだったんだけどなぁ。

——ははははは(爆笑)その感じ、分かります。この連続インタビュー企画で、今回4組のご夫婦にインタビューしたんですが、「そうだったの? 貴方がそんなこと言うの、初めて聞いたわ」というのが、やたらと多くて。まあこういう機会じゃないと、ご夫婦2人でなかなか話し合わないことってありますからね。
光嶋さん 普段はもう「あれせなあかん、これせなあかん」という、日々のことで精一杯でして……。結構、うちは夫婦で日頃のスケジュール調整など話している方だと思いますけど、こんなことをこうやって改めて話すのは、意外と少なかったり……。あるいは僕が話していても、彼女に聞き流されているかもしれないので(苦笑)

——永山さんの方は子育てについて、具体的なイメージはありましたか?
永山さん 子供が欲しいとは思っていましたけど、子育てについてそんなにはっきりしたイメージはなかったですね。

——こうしてある程度、子育てを体験してみて、今改めて「結衣ちゃんにこうしてあげたい」みたいなことがありましたか? 自分の中での子育て論というか、ポリシーみたいなもの。
永山さん うちはすぐ近くに凱風館や海運堂もあるので、すごく良い環境に居るなぁと思っているんです。それもあって、結衣にこれからどんな習い事をさせるとか、どこの学校に通わせるとか、そこまで考えなくても、このまま今の環境にいれば自分のやりたい事を自然に見つけて行くんじゃないかなと思っています。

——結衣ちゃんがいずれ合気道をしてくれたらとか。
光嶋さん それは2人でもよく話すんですけど、私たちが合気道をしているので、彼女もやりたいという時が来たら……。強要することは全くないですけど、そりゃやってくれた方が嬉しいです。合気道に関しては、僕自身は32歳で始めて。凱風館を設計するまでは、兄と弟を含めて、家庭内の競争社会で育ってきたので。ケンカも殴り合いですし、兄が野球をしたら僕も野球をするし、バスケをしたらバスケをするし……。

——それでご両親からも比べられて、兄貴はこうだけど、お前はこうだみたいな……。
光嶋さん そうです。兄は音楽に長けてて、弟は歌が上手い、裕介は絵が得意とか、割り振られるんです。兄弟で競争していたので、比較することで自分の優位性を作っていた。

——コンペティティヴなお家だったんですね。
光嶋さん それが合気道に出合って、初めは「審査って絶対合格するのよ」って言われて、「え? じゃあ何のための審査なの」と思ったんですけど。比較しない、強弱勝敗を競わないって、こんなに気持ちのいいことなんだと、やっと気づきました。それまでの僕は、建築の仕事も含めて、自分の諸先輩が本を出したり、作品が雑誌とかで評価されると、どこか自分と比べて、嫉妬してたんですよね。

——この人がこの年齢で成し遂げたことが、私はできていないとか。
光嶋さん そうそう。「32歳で、もう世に出てるやん!」とか。そういうことに対していちいち嫉妬してたんです。合気道を始めて、「人にはそれぞれに波があって、それを個々人が一つずつ掴んで行けばいいんだ」ということ分かって、ずいぶん肩の力が抜けました。そういうことを受け入れるっていうことが、僕にとっての合気道の入口だったように思います。
 合気道では門人たちから道場のみんなによく差し入れをもらうんです。僕が小学校の時に野球をやっていた頃は、差し入れをもらったら、一つでも多く欲しいってみんなで取り合って、たくさん持って帰ったけど、凱風館で合気道をやっている子供たちは、みんなでちゃんと分け合うというか、強弱勝敗で取り合うんじゃなくて、譲り合う余裕が身についているんですよね。

自分と子供と、2つの人生を同時に生きる

——どんな時に子育ての難しさを実感しますか?
光嶋さん 娘が生まれるまでは「生まれたらああしたい、こうしたい」というのはありましたが、いざ生まれたら、全然その通りにはいかないので。オムツを替えるの1つでも、いざ結衣ちゃんがぎゃあぎゃあって泣いちゃったら、「あー、俺では無理、春ちゃんお願い!」ってなりますから。父親としての無力感に苛まれますね。

——お母さんじゃないとダメな時ってありますからね。
光嶋さん 圧倒的にそうですよね。それは母親の凄さであったり。今ではもう娘も喋れるようになったので、1人の小さな人間なんですよね。完全にコミュニケーションできるので。でも言葉を喋れなかった2歳くらいまでは、全然想像と違いました。赤ちゃんってもう圧倒的にフラジャイルな存在で、全然思い通りにはならない。言葉で交換ができない。
 僕は今まで、「人はなんでも交換できるんだ」という風に思い込んでいた節があるんです。僕の設計の仕事なんて交換だらけだし。建築設計で何かを作るっていうのは、設計料をもらう仕事という部分だけじゃなくて、それを超えるところがないとダメだと僕は常々思っています。でもそれってあくまで、言葉がベースなんですよね。ところが現実に子供を授かって、いざこうして目の前のフラジャイルな存在をデフォルトにした瞬間に、「あぁ、結局は教えてあげるんじゃなくて、教えてもらっているんだなぁ」という感覚が強くなって。だから結衣の中に自分の何かを見ることで、自分が改めて学ばせてもらっているっていうか……。
 昨日、結衣と初めてスキーに行ったんですけど、僕にとっての人生初めてのスキーは中学生の時にカナダに行った時で、「あぁ、あの時はめっちゃ怖かったなぁ」というのを思い出したりするんです。でも昨日、結衣は抱っこされながら、スキーをめっちゃ楽しんでいて。こうやって彼女の人生に寄り添うことで、僕なりにダブルの人生を生きているのかなぁって……。もちろん今も、光嶋裕介としての人生も生きているんですけど。
 春ちゃんと結婚したからといって、僕は「永山春菜を生きる」ということはできないですよね、もちろん。でもこうやって子供が誕生すると、自分と子供の両方の人生を生きているような感じというか、上手く言えないですけど……。
 結衣が生まれるまでは、いろんな意味で“強い人間”をベースに「光嶋裕介」を作ってきたつもりですが、こうしてめっちゃフラジャイルな「光嶋結衣」に自分をあわせることで、さっきの他人と比べて嫉妬したり、妬む想いとか、こうであらねばならないという固定観念のようなものがどんどん崩れて、脆さやか弱さをデフォルトにして、何か別の豊かさが生まれてきたというか……。もちろん決して思っていた通りにはならないんですけど、そこから豊かな何かが出てきているような実感があるっていうのが、予定調和ではない子育てについての今の時点での想いでして。だから今は、その瞬間瞬間が愛おしく、もう楽しくてしょうがないです。

——光嶋さんが今アツく語っていたことについて、永山さんはどうですか?
永山さん いやぁ、そんなこと思ってたんやなーって。何か凄いなぁって。私はあんまり理屈じゃなくて、結衣がまだ喋れなかった時に、私がトイレに行きたくなったら結衣もおしっこしたがっていたりとか、自分がお腹がすいたら結衣も同じようにお腹すいてるって、結衣と完全にシンクロすることが多かったのが、面白いなぁって思ってました。

——それは男親には、なかなかできない経験なのかもしれませんね。
光嶋さん 合気してると思うんですよ。気を感じているっていうか。

——子供がわーっと泣き出した時、パパは何で泣いているか分からないけど、ママは「今はこれよ」みたいにすぐに分かったり。
光嶋さん もうこっちはあたふたと動じますよね、「うわー、どうしよう」ってなります。そんな時も、彼女は「まぁまぁまぁ」って至って冷静なのが凄いな、ということが多いです。

——合気道をしていらっしゃるから、そういう感受性が一般の女性と少しは違ったりするとか、思ったことはありますか?
永山さん うーん。合気道をやっているから、強く感じられるのかな?という部分はたまにありますね。でも、「合気道をやっていない自分」を生きていませんから、本当のところはよく分からないですけど。

——ずっと合気道をしていらっしゃるから、合気の感覚が入っているのが普通なんですね。とはいえ、「これは困ったな、どうしようかな」っていうようなこともあるでしょう。
永山さん まぁ、日々いろいろあるんですけど……。今朝も、昨日まで連休だったので3日ぶりの保育園だったから、「家で遊びたい」ってグズッて。朝、目が覚めてから完全に覚醒するまでは何となくボヤ〜ッっとしているので、テレビでアンパンマンを見てたりして。「アンパンマン見終わったら保育園に行こうね」って言ったら、「うん」って素直に応じてくれたんですけど、いざ見終わったら今度は「おうちで遊ぶ」って言い出して。「さっき保育園に行くって言ったでしょ!」「やだ。違う」ってなって。

——そういうレベルのことは、これからもどんどん出てくるでしょうね。結衣ちゃんがまだお話しできなかった時に、手に負えないみたいなことはありましたか?
永山さん 夜泣きが結構ひどい時期があって、こっちも寝られないし……。光嶋さんが家に居る時は、助けてもらいました。

——夜泣きする時も一緒に寝てるんでしょ?
光嶋さん 川の字に寝ています(笑)
永山さん 一緒に寝ていても、彼は絶対に気づかないんですよね。「こんなに泣いてるのになんで?」って。わざと寝たふりをしているのかなと思って、蹴ったりもしたんですけど。

—— (笑)
永山さん 朝起きて、「よくも昨日は寝たふりしてたな〜」って言ったら、「え、何が? 昨日は全然泣いてなかったな」とか言うんですよ。本当に気づいてなかったみたいで……。

——そんな時は、夜泣きしてる結衣ちゃんよりも光嶋さんに腹が立つわけだ。「あんなに泣いているのに、あなたはガァガァ寝て」って(笑)
永山さん もうイライラしてしまった時は、叩き起こします(笑)パシパシッって叩いて起こした時が、何回かありました。そうしたら仕方なく別の部屋に連れて行って、あやしてくれたりして。そんな時期があって、また2、3ヵ月わりとマシになったと思ったら、また夜泣きが出てきたりとか……。今もたまにあるんですけど、もう夜泣きというよりは寝ない、寝るのが遅いのに困っています。

——この前、凱風館に一緒に来てた時も、帰る時に「帰りたくない」って激泣きしてましたよね(笑)
光嶋さん
 まぁ大体、駄々をこねるのは眠い時なんですよね。そんな時、僕はいつもモノで釣ろうとするので。「はいはいはい、ジュース買ってあげるから」って。

——安易なあやし方(笑)
光嶋さん 僕はせっかちなんで、いつも「早よ早よ」って。あくまでも事前に予定を立ててそれを遂行するっていうのが強者の論理だったから。今でもまだ、それが出てくるんですよね。
——パパとママと、2人が違う感じで子供と向き合っているっていうのは、たぶん良いことなんでしょうね。そんな時に子供は、「今はこっち」ってしっかり見てますから。

習い事も、やっぱり“本物”を教えたい

——合気道のお稽古の時に、結衣ちゃんを連れていくこともあるのですか?
永山さん 結構連れて行ってますね。内田先生が指導していらっしゃる時はいつも通り私に甘えてくるんですけど、私が指導している時は絶対に「ママのとこいく」とか言わずに、更衣室で遊んでもらったり、道場で正座して見守ってくれるようになりました。
 お能のお稽古にも時々連れて行くんですが、師匠の下川先生にお稽古をつけてもらっている間は、下川先生の奥様が結衣ちゃんを見ていてくれているんです。もう、孫のように可愛がっていただいて。で、お能のお稽古の時には、目の前でママがめっちゃ怒られながら必死に謡っているんですよ。母親のそういう姿を子供が目の前で見るっていうのは、すごく良いことだと思うんです。私自身は、自分の親が何かを習っている姿や、怒られているところを見たことがないので。

——親としてではなく、“生身の人間”としての姿を、子供に見てもらっているわけですね。お能は習い出してから長いんですか?
永山さん 妊娠してから始めました。つわりがちょっと納まったかなという時期に、内田先生が「若い人もお稽古に通いやすいように」とカルチャークラスを提案してくださって。
光嶋さん お能を始めたのも、何か明確な目的があったわけじゃなくて。合気道を続けていることも、三段や四段になるっていうのは個人の目標ではあるんですが、それが全てということではなくて。例えば、「ダイエットのためにジョギングをやっています」っていうのであれば目標を達成してしまうと終わりじゃないですか。でも合気道はそういうものじゃなくて。この前、佐藤さんがインタビューで、「合気道で身に付けたことを、お医者さんとして活かしている」とお話ししていらした(https://note.mu/bricoleur/n/n5719a2b2391c)のは、本当にその通りだなぁと思います。合気道で体得したことを、個々人がそれぞれの場所に持ち帰っるって。
 内田先生の合気道の師匠でいらっしゃる多田 宏先生が常々おっしゃっている「道場は楽屋である」という考え方が、僕はすごく好きなんです。漁師さんであろうがパン職人であろうが、誰が合気道をやっても、道場の外でそれぞれの道での合気道の在り方っていうのがあると思うんですよ。そうやってよく考えたら、それは仕事じゃなくて生き方。日々の子育てにも合気道が何かしらの……。単に技が上手くなるとかではなくて、他者への想像力とか、そんなところに合気道が活きているのかもしれないし……。それを夫婦で共有しているっていうのは大きいって思います。

——習い事の話に戻りましょう。合気道以外でも、結衣ちゃんにこんな習い事をさせようとか、相談していますか?
永山さん 私の母がバレエを習っていて、もう60歳なんですけど。結衣と母の発表会を見に行った時に、「私もやりたい」って言ってました。

——身体を使う方はバレエと合気道。体操とかはどうですか?
永山さん 結衣はすごく身体が柔らかくて、たぶん同じ歳のお子さんたちと比べても柔らかい方だと思うんですけど。筋肉がすごく付いているんですよね、自然に。だから体操とか習わせたらすごく頑張りそうだな、とは思っていますけど。

——光嶋さんの「子供を帰国子女にしたい」ってかつての願望もあるので、やっぱり英語は習わせた方が良いとか。
光嶋さん 僕はともかく、なるべく若いうちから何でも本物に触れてもらいたいなぁって思っていて。言葉もそうですが、ピアノとか楽器にしても。となると、日常生活の舞台となる「自邸を早く建てろ」って話になるんですけど(苦笑)
 習い事とはちょっと違うのですが、僕は高校までは本を全然読まなかったんです。うちの家族が本を読まなかったので。そもそも家に本棚がなかったし。それが完全に反面教師になっていて、自分で勝手に「帰国子女やから本が苦手やねん」って言い返して、実際に国語の成績は悪かったんです。でも、高校生の時に村上春樹を読んでみたら、「これ、めっちゃオモロいやん!」って目覚めて、それから周回遅れの読書家になりました。だから本については、どこかで人生を損してしまった部分があるな、と思っていて。
 だから結衣が生まれてからは、自分が本を読んでいる姿を意識的に見せるようにしてるんです。いつか分からないけど、「これ読めよ」って読んでほしい本を渡すかもしれないし。基本的には、僕自身が好きで本を読んでいる、好きで絵を描いている、子供にそんな姿を見せることで何か伝わるものがあるのかな、と思っています。
 後は山本画伯(*注釈1)のお絵描き教室にも連れて行きたいし、音楽だったらゴッチさん(*注釈2)に相談するとか、とにかく本物を習わせたいんです。海外にも友達がいるので、もっと先にはなりますけど、結衣が中学生や高校生ぐらいになったらベルリンの友達のところに2週間ぐらい預けて、その代わりに向こうの友達の息子を預かるとか。とにかく外国はちょっと心配とかじゃなくて、もっといくらでも世界は広いぞって発想で。

——本当にいろいろ考えてますよね。そんな光嶋さんのお話を、にこにこって聞いている永山さんのこの感じが(笑)
永山さん でも今のは言ってました。前にも聞きましたから(笑)

——小学校に行くまで今の保育園でそのまま、ということは、まだあと3年。その間にもまた社会とかの変化もありますし。
光嶋さん 幼児教育にしても、例えばモンテッソーリ(*3)とか、いろいろあるじゃないですか。阪神間はそういうのも充実していますから。でもやっぱり彼女自身が、今の環境をどう思っているのか。今日の朝は「保育園に行きたくない」って駄々をこねてとかじゃなくて、本質的に合っていないとかじゃないかぎりは、その時々の幸せっていう感触で良いっていう……。長い眼で見ることを教えられているなぁっていう感じがします。

ベビーカーとだっこ紐の“歓び”の時間

——日本と海外の、子育ての違いはありますか?
光嶋さん 僕は「子供が生まれたらベビーカーを押したい」って、ずっと思っていたんです。僕が大学卒業後に建築設計事務所で働いたドイツでは、男性がベビーカーを押していました。それが当たり前なんです。公園に行くにしても、ショッピングしてる時も、お父さんがベビーカーを押す。でも日本でベビーカーを押してるのは、ほとんどお母さんじゃないですか。

——この企画に関連して、参考となるような子育てのイラストを探してたんですけど、確かにお父さんがベビーカーを押しているサンプルってあまりなかった。ほとんどはお母さんがベビーカーを押しているイラストでしたね。
光嶋さん
 でしょ。日本では、ベビーカーを押すのはお母さんの役割。それと、だっこ紐も。僕は自営業なので、時間がある時は昼間でもベビーカーやだっこ紐で結衣ちゃんと出かけますけど、平日に子連れで近所を歩いていると、「この人仕事してないのかなぁ?」って、すごく優しい眼で見られます(笑)こんなに楽しいことを、世間のお父さんはあまりしていないっていうのが、よく分からないです。もったいない。

——最近は子育てに熱心なお父さんを、「イクメン」て言葉で括っていますけど、まぁおかしな言葉ですよね。子育てを夫婦でするのは、当たり前のことなのに。
光嶋さん 子育てって正解がないから難しいけど、ワクワクしますよね。子供にどんどん新しい経験をさせてあげたくなるし。だからついつい甘やかす方にいっちゃうんですけど、そうすると春ちゃんが締めてくれる(笑)

——そのうちに、「お父さんはモノを買ってくれるから好き」とか言われるかも(笑)
光嶋さん この前の佐藤さんのインタビューでのお嬢さんの仁怜ちゃんの発言(https://note.mu/bricoleur/n/n899fb61ea690)が、僕はあまりにも衝撃的で(笑)「結衣も将来、絶対に言ってそう」って思うので。

——子供って単純化して話してくれますからね。お2人で絵本の読み聞かせとかはしているんでしょうか。
光嶋さん 結構やってます。本好きになってほしいので。

——内田先生が以前、「うちのゼミ生は、ぜんぜん僕の本を読んでくれないだよ」って嘆いていましたが(笑)
光嶋さん そうなんですよ。春ちゃんも一緒です。僕の書いた本を家に置いておいても、全く読んでくれない。もうずっと前に書いた僕の最初の本『みんなの家。 建築家一年生の初仕事』を最近になって読んで、「エエこと書いてるやん」って。でも、春ちゃんは合気道を通して直接学んでいますから。僕は感動したりすると、すぐに言っちゃうんですけど、彼女は「うん知ってる」って(笑)内田先生のお稽古って、言葉の稽古でもあるので、本を読まなくても日々のお稽古から先生のお教えを受け取っているからって。

(ここで光嶋さんは結衣ちゃんをお迎えに)

——光嶋さんは建築家だからというのもあるんでしょうけど、わりとカチカチと理詰めで行くタイプじゃないですか。永山さんはどんな感じで彼を見てたのでしょう。
永山さん まぁパッパッパッと決めてくれるので、そこは任せておこうと。

——良い言い方をすれば、引っ張ってくれるタイプだと。
永山さん そうですね。ただ、私が「そう」って思っていることに関してはいろいろ進めてくれるのはありがたいんですけど、「ちょっとそれ違う」って思っていることに関しても、決めつけて「こうやんか」って話してくることもあるので、その時は「ちょっと待ってよ!」ってなります。

——「理屈は分かるんだけど」みたいな感じ?
永山さん そうですね。

——結衣ちゃんの出産が大変だったので、もう兄弟はいいかなぁとか思っていますか?
永山さん 結衣を産んだ時は「もう2度と産まない」と思いましたけど、兄弟は欲しいですね。結衣と一緒に過ごすにつれて、最初はあまりにもか弱い存在なのでいろいろ迷ったりもしましたけど、段々不安が無くなっていくというか……。いろんな不安も一つ一つ解決していけてるし、「こうやって育てていったら良いんだ」っていうのが分かってきたので。今は毎日が楽しいし、いろいろ発見もあるので、自然に2人目の話をするようになってきました。

——次はやっぱり男の子を経験したいって?
永山さん はい、そう思いますね。私には弟がいるんですが、周りの姉妹を見ていて「良いなぁ」って思うこともあるので、女の子でも良いかなって思ったりもしていますけど。

(光嶋さんが結衣ちゃんを連れてお帰り)

——結衣ちゃん、お帰りー。お外は寒かった?
永山さん お手て、洗っておいで。

——光嶋さんはお2人目はどうですか?
光嶋さん いやぁ、欲しいですね。やっぱり息子への憧れは未だに。あとはやっぱり、2歳までの非言語時代が本当に日々楽しかったので。

——あの感じを、もう一度体験したい。
光嶋さん そう。言葉を想像する非言語コミュニケーション時代。2人目でそれをもう一度経験させてもらえるのかなぁと思うと。お姉ちゃんになった結衣とそれを一緒に経験したくて。あと自分も3つ上の兄と4つ下の弟がいるので、その年齢感って体感として分かる。まぁ、コウノトリに任せていますけど。

——結衣ちゃんは、一番好きな食べ物ってなんですか?
結衣ちゃん みかん。

——フルーツが好きなんですね。
永山さん フルーツは大体好きですね。
光嶋さん 結衣ちゃん、イチゴが好きなんじゃないの。
結衣ちゃん ううん。ブドウも好き。
光嶋さん ブドウは好きやなー。

——結衣ちゃんは、弟くんができたら嬉しい? まだ分かんないかな?
光嶋さん 分かるでしょ。ママのお腹に赤ちゃんできたら嬉しい? 弟と妹どっちが欲しい?
結衣ちゃん (小声で)おとうと。
一同 (爆笑)
光嶋さん なんでそこで小声で言うの(笑)

——でも意見は一致しましたね。
光嶋さん 男女の区別はもう分かっているんですよ。一緒に銭湯に行く時も「男湯いやや、女湯入っていいの」とか、ちゃん分かっているみたいで。

——結衣ちゃんは、パパと一緒にお風呂入るでしょ?
結衣ちゃん ママ。

——ママなのかぁ。
光嶋さん 最近はもう一緒に入ってくれないんですよ……。

——うわぁ、もう既に!
結衣ちゃん (キッパリと)だってママの方が好きなんだもん!
一同 (爆笑)
光嶋さん (悲しそうに)こういうこと、わざと言いよるんですよ……。

——ママの方が好きなのかぁ(笑)
光嶋さん 言葉を喋るようになるまでは、沐浴からして、僕が家に居る時はほんと毎日、一緒にお風呂に入ってたんですよ。でも最近はあっさり「パパよりママがいい」って。切ないです……。

——でもパパも好きでしょ?
結衣ちゃん ママ。
光嶋さん パパも大好きって言ってよ。
結衣ちゃん ママの方が好きだも〜ん。
光嶋さん ……(無言)
——そこであんまり競っちゃダメですよ(笑)

*注釈1「山本画伯」
山本浩二画伯。1951年生まれ。日本の抽象絵画の代表的な作家の1人であり、伊・ミラノを拠点に、欧米と日本を行き来しつつ、国際的に活動。[凱風館]の能舞台に抽象画の作品『老松』を描写。内田先生や光嶋氏とも親交が深い。

*注釈2「ゴッチ」
後藤正文氏。ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)」のボーカリスト。光嶋氏は2015年の夏、アジカンの全国30公演を巡るホールツアーのステージデザインを担当。

*注釈3「モンテッソーリ」
モンテッソーリ教育。イタリアの医学博士・幼児教育家によって考案され、知的・発達障害の治療教育を目的に発展された教育法。子供の自主性や知的好奇心を育み、社会的に貢献する人材を育成することを目的とする。日本では早期教育として注目されている。





























































7

困難な子育て

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。