第3回:東沢圭剛さん・岡山亜里咲さんご夫妻(前編)

 この連続インタビュー『困難な子育て』は、思想家であり武道家である内田 樹氏が主宰する合気道道場兼コミュニティスペースである[凱風館]の門下生や関係者の皆さんの中で、現在子育ての真っ最中の方々——それもさまざまな職種や立場の——に、個々の子育ての実践やそこから得た知見、子育てにおける想い、子育てをされている方へのアドバイスなどをお話しいただくことで、少子化が先見課題であるにもかかわらず子育てがいささか困難になっているこの国の現在の、「子育てのかたち」や「子育てという営為の本質」について見つめ直していこう、という試みです。
 なお内田 樹氏の呼称については、[凱風館]に出入りしている方々の共通の呼称である「内田先生」に統一します。

聞き手・構成:堀埜浩二(説明家)

 今回ご登場いただくのは、内田先生との出会いと合気道を通じて人生そのものが大きく変わったという、東沢圭剛(とうざわけいご)さんと岡山亜里咲(おかやまありさ)さんのご夫妻。2015年に長男の多恕(たゆ)くんが生まれて、現在は凱風館から歩いて10分程度の場所にあるマンションで、ご家族3人で暮らしていらっしゃいます。岡山さんは凱風館の書生(そういう古風な制度があるのです)でもあり、親子で凱風館に頻繁に出入りされています。
 全2編のまずは前編、お2人を知る人にとってはちょっと驚きのお話もありつつ……。どうぞご覧ください。

夫:東沢圭剛さん

1982年、兵庫県西宮市生まれ。関西学院大学商学部卒。現在は電機メーカーに勤務。公益財団法人合気会四段。合気道凱風館助教。東京の武蔵野・三鷹などを稽古場とする「合気道青楓会」を主宰している。

妻:岡山亜里咲さん

1989年、香川県高松市生まれ。幼少期にお父さんの仕事の関係で、明石、高松、東大阪、広島と引っ越しを繰り返す。神戸女学院大学文学部卒。神戸女学院大学合気道部 第19代主将。卒業後、神戸の自立支援施設で住み込みで働く。2014年より凱風館に書生として勤務。公益財団法人合気会参段。合気道凱風館助教。


リア充ではなかった2人を結んだ合気道

——岡山さんはかつて神戸女学院大学合気道部の主将も務め、今は凱風館の書生でいらっしゃるから、内田先生の生え抜きのお弟子さんですよね。合気道そのものも、東沢さんより先輩になるのですか?
東沢さん
 いや、僕の方が先輩なんですよ。彼女が合気道を始めたのは女学院に入学して、合気道部に入ってからなので……。
岡山さん 私が合気道を始めたのは女学院の2年生からです。彼とは7歳離れているので、私が大学生の時は圭剛さんはもう大学を卒業して働いている年齢で。
東沢さん 私は大学の3年生の時にまだ80単位ぐらいしかなかったぐらいで、もう大学時代は引きこもりで、何にもやってなかったんですよ。そんな時に、雑誌『ミーツ・リージョナル』の内田先生の連載を読んで、「ここに何かがありそうだ」と。それが転機でしたね。2006年の4月に合気道の稽古を見学させて頂いて、その日に入門を申し出ました。
 大学を卒業してからも、何処にも就職が決まらなくて。最初は役所関係の職場で事務職の派遣として1年働いて、その後にベンチャー企業みたいなところで1年ぐらい働いて。さらにその後、コンピューター関係の会社の契約社員になりました。

——大学の3年や4年の時に積極的に就職活動をやったわけではない、と。
東沢さん
 全然やっていませんでした。そもそも単位が足りなかったので、就職戦線の土俵に上ることすらできなかった。3年生なのに1年生に混じって、前の方で講義を聞いてましたから。
 でも内田先生と出会って合気道を始めてから、はっきりと人生が変わったと思っています。合気道と出合ったことで、自分に何かが揺り動かされて、ここまで来ることができた。今の会社に就職できたのも、東京で自分の道場を開いたのも、もちろん結婚もそうですし、子供も然り。全て内田先生と出会えたおかげです。
岡山さん 私も大学生活を、あまり謳歌できなかった人種なんです(笑)実は合気道も、学生時代はそんなに好きではなかったし。

——内田先生が聞いたら悲しむでしょうね(笑)
岡山さん 大学1年生の時に選択した第2外国語のフランス語の先生が内田先生だったんです。結果として先生が受け持った最後のフランス語の授業を受講できたので、今から思えばラッキーでした。当時はあまり意識していなかったのですが、今になって振り返ると内田先生との出会いはもう少し前にあって。高校生の頃、お世話になった先生に神戸女学院に進学が決まったことを伝えると、「内田先生という方がいらっしゃるから」と教えてくださって。それだけなんですけど、なんだか導かれるようにして内田先生に出会ったのかなぁと。
 合気道を始めたのは、女学院の2年生の10月でした。ゼミの先生だった難波江和英(なばえかずひで)先生(英米文学)に「合気道してみたら?」と言われたことと、ゼミの先輩で当時の合気道部の主将だった崎山由佳子さんに誘われたことがきっかけでした。合気道部には同年の新入部員がいなかったので「金の卵だ!」って大歓迎されて、あれよあれよと入部してしまいました。
 元々なんとなく武道はやってみたかったんですけど、そうやって誘われて合気道部に入部して、同じ学年に部員が私1人しかいなかったから半年で主将になってしまって……。受け身もちゃんと取れないのに、受けを取らないといけないから、もうとにかく稽古が嫌で嫌で(笑)
 でも合気道部の部員だけじゃなくて、体育館で一般の方ともお稽古する時間があったので、学校以外でもっと広い世界を見せてもらえたっていうのはあります。続けていくうちに、合気道に馴染んでいった感じです。

——ゼミの先生は難波江先生だったんですね。
岡山さん 難波江先生はご専門が英米文学なので、ゼミでは文献を読んで批評したり。

——卒論のテーマは?
岡山さん 「非行少年について」でした。

——それはまた意外な……。
東沢さん こんな風に見えて、彼女にもやさぐれていた時期があったみたいなんですよ。引越しも多かったので。
岡山さん 東大阪にいた頃ですね。小学校と中学校のややこしい時期に、東大阪の長田に住んでいて……。

——河内の文化圏ですね。
岡山さん 父は銀行員で、私が中3の夏休みに広島に転勤になったんですけど、その当時、あまりに私がグレてたから更生させたいって想いもあったみたいで(笑)
東沢さん へぇ〜。それ、初めて知った。

——本名も亜里咲ってそれっぽいし、長田の界隈では結構な地位まで行ってた、と。
お2人  地位って(爆笑)

——東沢さんは亜里咲さんのその当時の詳しい話は、全然知らないんですよね。
東沢さん 全然知りません。本人が言ってくれないと、情報として入って来ませんし。

——で引っ越して、広島に行ったら大人しくなった?
岡山さん 東大阪で「染まっていた部分」というのは、抜けざるをえなかったですね。高校は広島国際学院という、かつて矢沢永吉さんとかも通っていた高校に入学したんですけど、東大阪とはぜんぜん違っていた(笑)

——神戸女学院に進学しようと思ったきっかけは?
岡山さん とにかく実家を離れたかったんです。関西からも出たかったので、第1志望は横浜市立大学だったんですけど、落ちてしまって。結局、親に言われて受験した神戸女学院しか受からなくって……。女学院には入学式で初めて行きました。で、女学院に入って合気道を始めて、そのまま今は凱風館の書生をやっていますから、全ての始まりは女学院で合気道部に入ったところからですね。

——お2人が出会った頃はどんな感じでしたか?
東沢さん 私は社会人として、彼女は女学院の合気道部の主将として、最初はたまに顔を合わせる程度でした。合気道部では主将が合宿のしおりを作成することになっていて、「門人のみなさんにアンケートをとりたいので、何か良い仕組みはないですか?」って彼女から相談があって。それをきっかけに、少しずつ話すようになりました。それから程なくして、私は東京に転勤することになるのですがちょっと入院したことがあって。その時に彼女が心配してくれたことが、今に至るきっかけだったのかもしれません。
——大学生活をあまり謳歌できなかったというお2人が、合気道を始めてからいろんなことが回り出して、出会って結婚して、お子さんを授かって。一般的には、神戸女学院だったり関学というと、大学生活を目一杯謳歌していそうな感じなのに、そうじゃなかった同士が一緒になって、何となくカタチになって……という面白さがありますね。

出産に対する「すれ違い」を乗り越えて

——お2人が結婚した当時の記憶を遡ってみると、東沢さんに「子供は?」って何気に聞いた時に、確か「僕はまだそんな気はないんですけど、嫁は欲しがっているので」というような話をしていた記憶があります。
東沢さん そうだったと思います。
岡山さん へぇ〜。そんな話をしていたんだ。

——その気持ちが、2人の間で逆転した時期があったんですよね。
東沢さん 彼女が、多田 宏先生(合気道多田塾師範・合気道九段/内田先生の合気道の師匠)主宰のイタリアの講習会に彼女が1人で行って、そこで合気道のスイッチが入ったというか。
岡山さん イタリアで2週間、多田先生のお側でお世話をさせて頂いたり、お稽古以外でも多くのことを学ばせて頂きました。
東沢さん それから東京に出稽古に行くようにもなって、合気道にかなり集中して、面白くなって来た時期だったんですよね。
岡山さん 凱風館の書生になった年の夏に、初めてイタリアに行きました。書生になって1年ぐらい経って、合気道の深みにハマり始めていた時に、イタリアで2週間丸々、合気道しか考えられない生活をしたので。

——2週間って結構長いですね。東沢さんは「いってらっしゃい」って感じだったの?
東沢さん いやいや、実はその時、結構揉めまして……。当時、旅行代理店が申込み客からの入金受付後にチケットを発券せずに倒産したって事件があって。ちょうどそれに彼女が引っかかって、イタリア行きのチケットが無くなっちゃったんですよね。

——多田塾のイタリアの講習会っていうのは、参加者それぞれが個人で現地まで行くの?
東沢さん そうです。現地集合で。
岡山さん 凱風館の書生の1号の永山春菜さんも同じ旅行代理店で申し込んでいたので、一緒にダメになって。

——それはキツいですね。
東沢さん それでもどうしても行きたいからって、永山のご主人の光嶋さんにお金を借りてイタリアに行く事にしていたようで。僕はその一連の話については、全然相談されてなくて。で話を聞いて、さすがにそれは……となりまして。
 ちょうど僕が東京に出張に行ってる時で、彼女からの電話に出れられなくて。事後的にそのお金のやり取りの話を聞いたので、彼女との間でちょっと揉めて。彼女はそのままイタリアに行っちゃったので、それから2週間、離れ離れになってしまいました。

——それは結婚してから、どれぐらいの時期のこと?
東沢さん 2年目ぐらいですね。
岡山さん 2014年から2年続けて、イタリアに行きました。

——2014年の最初にイタリアに行った時に、そのトラブルがあったんですか?
岡山さん はい。その時は内田先生や凱風館のみなさんが旅費の足しにとカンパをしてくださいました(みなさま、その節はありがとうございました)。2年続けてイタリアに行って、毎月東京へ出稽古もしていた時期で、寝ても覚めても合気道な日々だったので、出産なんて考えることができなくなっていました(笑)
東沢さん 一つのことにハマると、もうそればっかりになるんですよ。

——お子さんが出来たのは2016年、結婚して2年半ぐらいだからそう遅くはないですよね?
岡山さん そうですね。でも実は、最初お腹に子供が出来たって分かった時には、素直に喜べなくて……。

——えー、そうだったんですね。
岡山さん 当時はそれぐらい合気道のことしか考えられなかったんです。「今、私は合気道家として、またとないチャンスをいただいている。そのチャンスを逃すなんて……」と。それで自分で調べて、できるだけ家から遠い産婦人科に行って確認して、どうしようって悩んで悩んで……。

——子供が出来たと分かったとき、すぐに東沢さんさんに言わなかったの?
岡山さん 言わなかったです。言わずに産婦人科に行って、1人で1〜2週間悩んで……。「やっぱり産みたいとは思えない」って結論を出してから、やっと彼に話しました。
東沢さん こんな感じで言われましたね。

——東沢さんからしたら「えぇ〜!」みたいな。
東沢さん 子供が欲しいって言ってたので……、驚きました。
岡山さん その時、怒るとかじゃなくて、「とにかく堕ろすのだけはやめなさい」とじっくりと諭されて。
東沢さん 私はミッション系の高校に通っていて、「聖書」という必須受講のクラスがあったんですけど、中絶に対して絶対反対という考えの先生がいらっしゃって、中絶に関するすごく生々しい映像を見せられたんです。だから「合気道を続けたいとか夢みたいなこと言ってるけど、それが意味するのは、一つの命を切り刻むってやることなんやで」って、そんな言い方をしましたね。

——そんなガチな映像で教育されたんですか。
東沢さん 中絶手術の状況をエコー動画で見せられたんですよ。その印象がとにかく強烈で、高校を卒業する時に論文を書かないといけないんですけど、人工中絶とかの統計とかを熱心に調べてレポートしたぐらい、強く刷り込まれていましたから。
岡山さん 彼のそんな話もあって、とにかく中絶はダメというのは分かった、でもまだ産むのに抵抗があった。しばらく葛藤していた時に、彼が「産むだけ産んでくれたら、育てるのはもう自分がやるから」みたいなことを言ってくれて。
東沢さん それ、覚えてないです……。

——そんな大事な話を忘れている(笑)
岡山さん 言ったよ、絶対に(笑)

——まあそれは、東沢さんとしてはとにかく産んでほしいって気持ちで、説得するための話として出た言葉なんでしょう。で、やっと亜里咲さんも納得して産みましょうとなって、ご両親や内田先生にもお話しして「良かったね」と。でも周りのみなさんは、そんな当時の2人の葛藤とかは全然知らないんじゃないですか。
東沢さん そこはあくまで、2人の間の話なので。
岡山さん ただ、どうしようかなと思った時に、こういう不測の事態にどう対処するかっていうのを合気道で学んでいるんだな、と思って。なので、「受け止めよう」となりました。

——出産の前に、男の子だというのは分かっていたのですか?
東沢さん なるべく聞かないようにはしてましたけど、「なんとなく男やな」ってのはあったよね。
岡山さん 助産所で産んだのですが、産まれるまで性別は訊かずに自然に任せようと思っていて。定期検診で病院に行かないといけなかったんですけど、先生に「性別は訊かないでいます」って言っていたのに、エコーで「今の見えた?」って言われて……。それって男の子ってこと?って。

——その時の先生が、いささか気遣いに欠けていた(笑)
東沢さん 自然分娩だったので、僕も立ち会って見ていたんですけど、卵膜が破れないカタチで出て来て、爪楊枝みたいなものでピンって破って。すごいなあって。

——父親は出産に立ち会う事で、その後の子育てに対する取り組み方が根本的に変わる部分ってあるかもしれませんね。子供が産まれる瞬間を見ているのと見ていないことの差は、結構大きいのかも。
東沢さん 大きいと思います。
岡山さん 感動しますよね。産んでしまったら、「もう私って、何を悩んでいたんだろう?」ってなりました。

——良かったです。お話を聞いていて、一時はどうなることかと(笑)今ここにちゃーんと多恕くんがいることが、すごくかけがえのないことのように思えます。本当に。

後編に続く)






























7

困難な子育て

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。