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金魚とガソリンスタンド

 

金魚すくいをする場所の名は「ガソリンスタンド」である。そう思っていた。

 平井駅南口を出て商店街をひたすら真っ直ぐ歩き、喧騒が遠のいたあたりで小松川地区に入る。さらに進むと、1軒のガソリンスタンドが現れる。駐車場とうっかり間違えてしまいそうな静かなスタンド。そこで、しばしば「金魚すくい大会」が行われていた。

 もう20年以上も前のことである。今ではなぜそんなことになったのか、皆目わからない。本当に“大会”だったのかもわからない。大きな赤い長方形の水桶が3つ、本来車を停めるべき場所に陣取り、大人も子どもも大騒ぎで金魚をすくっていた。1つの水桶の周りには常に15人ほどが肩を並べてしゃがみこみ、時に子どもは押しのけられ、よってたかって金魚をすくっていた。
 順番を待つ列など無かった。周囲からポイを片手に大勢が覗きこみ、場所が空くと我先にと潜りこんですくっていた。奇声や歓声が上がり、次々繰り出されるポイの攻撃に、さぞかし金魚は震え上がったであろう。「命の尊さ」とは程遠い熱狂、思い返すほどに、なかなか愉快な光景だった。

 幼稚園に通い始めた当時の私は、そばにあった電光掲示板のガソリン価格を「金魚をすくった数」だと思った。幼いころの記憶なのにこれほど鮮明なのは、なぜこれほど大勢でやっても電光掲示板の金魚の数が一向に増えないのか(ガソリン価格だから変わらないのは当たり前だ)ということと、なぜ子どもよりも大人が騒いでいるのか、その異様さがたまらなかったからだろう。そして金魚すくいがない時の、ガソリンスタンドの対照的な静けさ、悲しさ、それらが私の胸を強烈に揺さぶった。

 中国の書道の古典作品の中に『真草千字文』というものがある。『千字文』という、漢字一字を1回ずつ使って作られた千文字の漢文で――日本の『いろは』のようなものであるが、それを書聖王羲之の末裔の智永が真書すなわち楷書と草書で書き記したものである。書かれた字の素晴らしさはさることながら、この作品の面白いところは、その誕生理由、智永が千字文を書いたきっかけにある。目的は1つ。「文字を覚えるため」である。

シリーズ 書道基本名品集11 王羲之 十七帖・智永 真草千字文

私がはじめて『真草千字文』を臨書したのは高校生の頃であったが、これほど愉快な文字文化があるものかと、心底楽しくてたまらなかった。

 草書というのは日常ではなかなか見る機会がない書体である。それもそのはず、実に読みにくい書体なのである。速く書くことだけに特化し、読む人のことは知ったこっちゃないと言わんばかりで、読めるようになるにはそれなりの知識が必要となる。

 当時の中国では楷書が公式書体だったので、「文字を覚える」なら楷書だけで良いはずである。しかしながら『真草千字文』。つまり楷書と草書を対で覚えるためのテキスト。楷書だけでも生きていけるのに。アルファベットと違って千文字もあるのに。真草で覚えることを推奨するなんぞ、なんと奇怪なことであるか。

 話が大きくそれてしまったが、私はこの『真草千字文』と出会ったとき、ガソリンスタンドの金魚すくいと同じような衝撃に胸を揺さぶられた。その「奇妙なおおらかさ」に心が動くのだと思う。
 楷書の千字だけ覚えればいいものを、草書の千字も対に学んでしまう。ガソリンスタンドの仕事をまっとうすればいいものを、なぜか金魚すくい大会を開いてしまう。子どもが楽しむ金魚すくいに、大人が子どもを押しのけるほどに夢中になってしまう。ただ単純におおらかなのでなく、どこか奇妙。平井の街の姿そのもののようだ。

平井は奇妙でおおらかな町なのである。

 祭りの日には道路を封鎖してミニトロッコを走らせ、夏には図書館の真横で『東京音頭』を大音量で連日流し、福引大会には商店街総出で赤字覚悟の景品を詰め込んでいく。20年前、そんな過剰さ、ピントがずれたやり過ぎの奇妙な町、誰もが当たり前に、おおらかに楽しんでいた。

 私の好きだった奇妙な町は、20年かけて平凡になりつつある。平凡なおおらかな町だ。都市開発や近代化は、均一化と同義なのではないかと思うことがある。

 金魚すくいのガソリンスタンドは平凡な駐車場になった。もし金魚すくいをいまやっても、あの頃の大騒ぎは二度と帰ってこないのだろう。誰も文句は言わない。しかし誰も全力で参加しない。カシャっと写真を撮られて「なんか金魚すくいやってる~」とツイッターに流されて終わるかもしれない。ただ見守る平凡なおおらかさ。無駄なことはしない賢明さ。でも賢明とはそれほどいいものなのだろうかと、変わりゆく町の中でふと思うことがある。

 「草書は走るように書け」、という。騒がしい書体なのである。「楷書は無表情であれ」という。静かさが公式書体の風格なのである。

 普段は静かなガソリンスタンドで、騒がしい金魚すくい大会があった。この奇妙さは、徐々に水面下で暗く深く潜って見えなくなりつつある。平井の金魚はもうすぐ深海魚になろうとしている。

 ガソリンスタンドの金魚すくいは、金魚だけではなく、平井の町の姿をすくい上げていたのかもしれない。

文と写真:丸山曄涯

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