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彼岸 雪解けの空

昨日は春のお彼岸だった。時折吹雪ながらも陽射しが注ぐなか、積雪に埋もれた墓石をスコップで掘り起こして参拝する家族が、テレビで放映されていた。

昨年の暮れに、学生時代に交際していた人が病で逝った。同期会で時折再会するものの、その後の人生で互いに接点はなかったのに、折に触れて悔やまれるのはなぜだろうか。

何もしてあげられなかった。
死にゆく人にどんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。

出棺の前日に、私は初めて『般若心経』を写して、お守り代わりに棺に納めた。旅の途中で怖い思いをせぬように。「極楽浄土」なんて信じないよと、きっと彼は笑っている。

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『一遍上人絵伝』には、西方浄土を信じて四天王寺西門に集まる人々が描かれている。かつて門の西方に、海に沈む夕陽を見ることができたという。春分、秋分の彼岸の中日には、日暮れ時、太陽が丁度「石鳥居」の中心にかかる。心を平安に定めるため夕陽を見るのは、その方向に極楽浄土があると説かれているためだ。<観無量寿経>

今も昔も「極楽浄土」を願う人々にとって、魂の平安を願う気持ちは変わらない。




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