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「書くたびに、あなたは、あなたになっていく」


きょうは、「旅の日」だそうですね。

5月16日は「旅の日」です。 旅を愛する作家などにより結成された日本旅のペンクラブが1988年(昭和63年)に、忘れがちな旅の心や旅人とは何かという思索を問いかける日として提唱 しました。
日付は、松尾芭蕉が奥の細道に旅だったとされる5月16日(陰暦元禄2年3月27日)に由来しています。

PRタイムスより

書くことと、写真を撮ることは、
似ているなあ、と最近よく思います。

どちらにも共通するのは、
「旅」

旅(といっても、散歩も通勤も旅行も)
のなかでこそ、見つかるものであること。

また、
書くという行為や、
写真を撮る行動そのものが、
まるで旅のようです。

それは、生きる、ということでもある。

タイトルは、

撮るたびに、
あなたはあなたになっていく

「カメラは、撮る人を写しているんだ」より

から、引用させていただきました。

撮っている、自分を、撮っている。

そんな発想と、価値観がふんだんにあって
(テクニックももちろんふんだん)
面白いです。

「いい写真」に必ず写っているもの

カメラには前と後ろにレンズがついているんだ。
モデルを撮っていても、撮った自分が同時に写っている写真は問答無用にいい写真だと思う。
誰かの子どもの頃の写真を見るとき、撮っている親の存在をはっきり感じることがあるだろう。愛情というかさ。

同上


自分が写ってる、というのがはじめ、
よくわからなかったんですが、
子どもの頃の写真、うん、めっちゃそうだな
と。

自分の書くnoteには、
誰かに向けて書いているようで、
自分に書いている、

ことにふと気づくことがあります
(いつもじゃないです)

そして、
誰かに、なにかを、なんとか伝えようと
力んでいる時よりも、

自分に刺さる
自分が、あ、なんか、これ、
自分でもびっくりなんだけど、
面白いことゆってる。

みたいな時の方が、
「いい作品」じゃないかと。

「自分が読みたい、何度でも」

と思えるような。

同じ被写体、
同じ文章、
でも、
微妙にその違いが現れるのは、
そこに自分がいるかどうか。

人生に目的はない、と、私は書いた。
正直にいえば、「人生の目的」がわからない、ということだったのかもしれない。
しかし、このことだけはわかっている。
人生の目的の第一歩は、生きること、である。

何のために、という答えは、あとからついてくるだろう。
運命と宿命を知り、それを受容して、
なお生きること。
それこそが「人生の目的」ではないか、と、
いまわたしは少しずつ思いはじめているのである。

「人生の目的」五木寛之さん


書くことは生きること
撮ることは生きること
生き映すこと。

それは、
書いている中で、
撮っている中で、
生きている中で、
気づくもので、築かれるもの。

ある目的を明確にもっていなかったとしても。

今日もお読みいただきありがとうございます


写真は今朝4時の、マクド。
マクドで朝活みたいにするのが習慣
なんですが、
窓に映されたマクドの看板を
撮ってる自分は、
マクドの看板そのものよりも、
なにか魅力に感じた自分。

投影されるものを、楽しんだりしています

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