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あるがままの自分を抱きしめてくれる場所はきっとある

 私たちは「選ばれる立場」であると同時に「選ぶ立場」でもある。

 これは、明日が教員採用試験の最終日という私にかけられた、大事な人からの言葉。かつての自分がかけてもらった言葉を私にプレゼントしてくれたらしい。昔の自分と今の私が重なったとその人は語る。言葉はめぐる。その人は、「自分の言葉ではない。受け売りだ」と照れて言ったが、私のこころに刺さった言葉は彼女の口から出た言葉だったからだろうと思う。

 耳から離れない教員採用試験対策のアドバイザーの先生の言葉。

 「あなたの色を出し過ぎてはいけない。
 先生としてどうあるべきかはある程度決まっている。」

 自分の周りにある言葉で世界の見え方は変わる。

 大学生の教員採用試験のときも、小学校の先生というイメージにどうしても自分を当てはめられなかった。「あなたは話が長い。もっと端的に一般的な言葉で話しなさい」といつも言われた。これが私なのに、これが私の表現なのに…個性を出してはいけないなんて間違っている!!と思っていたから、どうしてもその場しのぎで演じることができなかった。
 あるべき先生像にハマれないと評価を得られない…そんなことで悩んでいるうちに、気付いたら一緒に走っていたはずの同級生は誰もいなかった。自分を責めた。どうしてもっと周りと合わせて上手くできないんだろう。どうして自分を出そうとしてしまうんだろう。その場しのぎで柔軟に流すことができないんだろう。

 学校の先生になって、私は幸せになれるのか。この仕事は私が人生をかけてする仕事なのかと思い始めたのはこのときから。できることなら、ありのままの自分で子どもと関わりたい。そう思った。そう思ったから、私が私のままで輝ける世界があるんじゃないか…それを探すために大学院に進もうと思った。

 大学院では、私の表現や考え方を面白いと言ってくれる人に多く出会った。私の表現は誰かの少しの勇気や希望になるかもしれない。そんなふうに思える瞬間もあった。自分のことが、自分の言葉が少しずつ好きになり始めていた。

 でも、大学院生の教員採用試験でも状況は同じだった。面接官の先生の評価がどうしても気になる。この先生は自分をどのように評価したのだろうか。集団討論では、他の受験生と少し違う言動をしたことに後悔の念でいっぱいだった。(客観的に見ると、集団討論としては自然のこと。でも、教員採用試験だとその場の流れをみんなで壊さないようにすることが重視される。普段の討論の中では見られる、「分からない」や「もう少しこのようにしたら~」というのが言いにくい状況)
 どうしてもっと周囲の空気感を読んでそれに合わせられないんだろう。試験ぐらい変な目立ち方をしないでいいのにと自分を責めた。その場の空気に合わせたら、その場をしのぐことができたら…と、集団討論のシーンが何度も頭を過ぎって、他のことに集中できない。どうしてあんなことを言ったんだろう。

 そんな状況の中で助けを求めた人。それが冒頭に登場した彼女。

 「もし、あなたの言葉や振る舞いにマイナスの評価をした試験官だったとしたら、その人のところで働くのは後々しんどいと思う。あなたの個性をちゃんと見取って、プラスの評価をしてくれる人のところで働いたらいい。私たちはそれを選ぶ立場でもあるんだよ。」と言ってくれた。

 そうか。私は私があるがままで働ける環境を探していいんだ。選んでいいんだ。今まで、教員採用試験に対するそんな考え方はなかった。いかに、試験官・面接官に好かれるか。これは、大学受験も高校受験もそうだったかもしれない。いや、両親を始め、人と関わる多くの場面でそう考えているかもしれない。「この人に好かれるにはどうしたらいいか」と中々離れられなかったかもしれない。でも、みんながみんな自分を好きになってくれるわけではない。そして、自分を好きになって!!もわがままだと今となっては分かる。だから、自分を好きになってくれる人、応援してくれる人を大切にしないといけないんだなぁと思う。

 教職大学院では、先生としてどうあるべきか以上に私としてどのようにありたいかをたくさん考えた。「どうあるべきか」と「どうありたいか」で悩むことができるのは幸せなことなのかもしれない。教員採用試験で、自治体が望む教師像、文部科学省・社会が求める教師像に自分をあてはめて採用されるのも一つの作戦である。でも、社会にはその教師像に自分をあてはめずに先生になっている人もいる。その方がその人らしく働ける場合もある。私は自分の表現で、あるがままの自分で子どもの前に立ちたい。

 自分があるがままで輝ける場所は必ずある。
自分の個性を抱きしめてくれる世界は自分で探して、選んだらいい。

 自分を大事にして初めて、誰かを大切にしたいと思えるこころの余裕が生まれる。まずは自分を大事に大切に。そのうち、「あっ、あの人大丈夫かな」とふっと思えるときがくる気がする。

 文章にしているうちに、こころに爽やかな風が吹いてきた。
大学院に行って、私はあるがままの私を受け止め、大切に思ってくれる人と出会うことができた。彼女はその一人。

 彼女にありがとうを言いたい。また、私が楽になれるように頭をマッサージしてくれた。彼女から受け取った言葉があなたに届きますように。この文章で少しでも肩が軽くなる、一息つける人がいますように。

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