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【デュエプレ】コッコ・ドッコ【妄想】

デュエプレにおけるルピコ、ダピコはよいキャラクターである。これだけで記事書けたりするが、今回は残念ながらやはり「カード」の話。

コッコ・ドッコ

コッコ・ドッコってかわいくないですか? 
能力とフレーバーもほどよくかみ合っているし。

かわいい

道に迷って「コッコ・ドッコ?」とべそをかきながらうろうろし、ドラゴンに助けを求める。
「助けてドラゴン!」
 しかしながらいざドラゴンが助けに来ると、力尽きてしまう(踏んづけられてしまうという解釈も可)。迷子の鳥の、不憫なぬいぐるみ。

これだけでそうとういいキャラクターではないか? てかかわいくない? 気のせいなのか?
現状の、「コッコ・ドッコ」は影うすく、誰からも見向きもされない。まさに迷子の状態で、気に入っているのだが、一方で誰か、あの不憫なぬいぐるみを拾ってやってほしい。キャラクター、あるいは擬人化としてのポテンシャルすら秘めている。

リュウセイ・イン・ザ・ダーク


リュウセイ・イン・ザ・ダークの召喚時ボイスは、「ここはどこだ、ホワット……」である。つまり、道に迷った「コッコ・ドッコ」を助けに来る(マナカーブがきれいにつながる)龍もまた、己の居場所を見失っている。なるほど、二人が会えれば物語が始まりそうだが、それは起こらない。「コッコ・ドッコ」は龍と会えない。泣きながら、孤独の中で力尽きる。一方「リュウセイ」は、死んでもまた、闇の中でぐるぐると、生きていかねばならない。いったい「ここ」は、どこなのだというのか。
「コッコ・ドッコ」にはポテンシャルがある。「コッコ・ルピア」になりきれず、友とする龍が来れば死んでしまう。死を恐れず、むしろ楽しんでいるような「ファンキー・ナイトメア」の中にあって、コッコ・ドッコの死はなにか唯一もの悲しい。迷い、あとわずかの時に必ず死んでしまう。その不器用さが憐れで、またたまらなく愛しい。単なる形式的なかわいらしさではなく、その断片から喚起される憐憫が、「コッコ・ドッコ」を庇護対象として見せる。けれどもどんなに庇護したとしても、「コッコ・ドッコ」にあと少しで届く、というところで死ぬわけだ。
「コッコ・ドッコ」ぬいぐるみが欲しい。切実に。次点で「シバカゲ斎」。


以下、妄想がますますひどくなる。

コッコ・ドッコは月下城でもわりと要領とか悪くて、一生懸命やってはいるんだけどうまくやれず怒られる、みたいなタイプではないか。それでも、ファンキー・ナイトメアのみんなのことは嫌いになれず、憧れの(ゲンセトライセなどの八面六臂ぶりを見るにつけ)ドラゴンを夢みているわけだ。あるとき外でみんなと歩いていく。でも、まあなんにもうまくできないから迷子になって、お腹がすいたりして動けない、と。で、なんとなく何やってもダメなことは自覚しているから半ば諦めながら、
「助けて、ドラゴ~ン!」と叫ぶ。
ドラゴンにはそれが届いていて、声のするほうに行くのだが、雑巾みたいなぬいぐるみが落ちてるだけ。 
しかし「コッコ・ドッコ」の最期の目には、たしかに憧れのカッコイイドラゴンが映っていて、「ここ、どこ?」なんていいながら死んでいた。
コッコ・ドッコにもドラゴンにも、はぐれた仲間にも知るよしもなかったが、コッコ・ドッコが唯一「うまくやれる」のは、「大好きな龍を呼ぶこと」だった。

すっきりした。これでよし。
「コッコ・ドッコ」、やっぱりかわいい。

デュエプレ4周年、おめでとうございます。


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