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「“一○○万貫”のいくさ 一天正小牧長久手合戦始末異聞」その4 (全8回)

京より東へおよそ六十里。駿河国、 大井川の近く、小さな村の中央に屋敷がある。

土塀は崩れ、檜皮葺きの屋根はところどころ破れたままになっていた。 

須和(すわ)は庭の井戸で水を汲んでいた。隣では初老の男が薪を割っている。遠くから須和を呼ぶ者があった。 

飯田又左衛門「姉上!息災でしたか。彦六も達者でやっておったか」
彦六「これは。又左衛門さま」
須和「よくきた、又左衛門。お勤めの方はよいのか」 
又左衛門「一条の殿にはお許しをいただいております。それにしても、ずいぶん人が減りましたな」 
須和「戦続きで近隣の村の百姓も、逃散するいっぽう。今年の田植えはできぬかもしれぬ」
又左衛門「姉上。甲斐に戻られてはいかがか」 須和は甲斐国の飯田直政の娘で、駿河の神尾孫兵衛に嫁いでいた。 神尾孫兵衛は二年前に亡くなっていた。須和の弟、飯田又左衛門は武田信玄の弟である一条信龍に仕えている。

須和「甲斐の冬はきびしい。私ひとりならまだよいが、食べ盛りの子二人を食べさせていけるかどうか」
又左衛門「そうじゃな……。姉上、少ないがこれを」 又左衛門は銭と米をいくらか差し出す。
須和「いつもすまぬ。又左衛門」 
又左衛門 「いよいよというときは甲斐に戻られることもお考え下され。それでは」


駿河国では徳川と武田が高天神城をめぐり、大井川と安倍川を挟んで激しく争っていた。双方の刈田も相次ぎ、大井川一帯で米が不足していた。

天正七年(1579)九月。須和は安倍川下流にある武田方の城、持舟城を徳川家康が攻略したという話を聞く。
彦六「お須和さま」
須和「孫兵衛さまがお亡くなりになって二年。なんとか遣り繰りしてきたが、もはや他所に流れるほかない。今のありさまでは近隣の村に米を借りることもできぬ、安倍川まで徳川方となっては甲斐に帰ることも難しい」 
彦六「ではどちらに?」 須和「浜松のほうは栄えていると聞く。浜松まで行けばなんとかやっていけるやも」
彦六「儂はここに残りまする。足腰も弱り、 お須和さまたちの足手まといじゃ」

須和は奥にしまってある行李を取り出し、中の着物を半分に分ける。半分を風呂敷に包み、残りが入った行李を彦六に差し出した。
須和「彦六。これを。暮らしの足しにしておくれ」
彦六「いや、もったいのうございます。浜松でも入り用となりましょう」
須和「長く孫兵衛さまに仕えてくれたお前にこれぐらいしかしてやれぬ」
行李を受け取る彦六「・・・・・・。かたじけのうございます。道中、どうかお気をつけて」


須和は息子二人を連れ浜松を目指すこととなる。幼い子はおぶって、上の子の手を引いて西へと向かう。上の子は泣きもせず、駄々もこねず黙々と歩いている。いきさつを察しておるのか。空腹と疲れで駄々をこねる気にもなれぬのか。
須和と子二人は廃寺の軒下に腰を落ち着け、須和は子二人に水筒の水を飲ませた。


その時、須和は薙刀や破れた錣、大袖のがちゃがちゃと鳴る音を聞く。

野伏せり「間違いない。この寺に若い女が入っていくところを見たんじゃ」「まことか? ぬしはいつも早合点ばかりしておろうが」 

須和は子二人と寺の奥の方へと身を潜める。薙刀や破れた綴、大袖のがちゃがちゃと鳴る音が近づいてくる。 寺の奥の一室には経巻を入れたままの、大きな経櫃がいくつか置いてあった。須和は経櫃の蓋をして、二人の子を抱えて経櫃の中に身を潜めた。


野伏せり「女じゃ。わしの勘に間違いはない」 野伏せり二人、奥の一室に入り込んでくる。

須和は息を殺していた。 

野伏せりは経櫃の蓋を開け、経巻の束に手を突っ込み、中を探る。野伏せり「・・・・・ううむ」 「こちらにも何もないぞ」

野伏せり二人は寺を出て行った。須和は経櫃の中から顔を出し、一息つく。


ところが、また薙刀や破れた錣、大袖のがちゃがちゃと鳴る音が近づいてくる。 

野伏せり「そうじゃ、一つ調べてなかった経櫃がある」 須和は再び、子二人と経櫃の経巻の中にもぐる。

破れた綴、大袖のがちゃがちゃと鳴る音、野伏せり二人が床板をぎしぎしと鳴らして奥の一室に踏み込んでくる。


野伏せりは経櫃の経巻の束に手を突っ込む。腕を右へ、左へと動かし、なおも探る。須和の額に汗がにじむ。 

野伏せり「やはり何もなしか」野伏せり二人はどすどすと足音をさせて、寺から出て行く。 

野伏せり「おかしいのう、確かに女の姿を見たんじゃが」「もう、ぬしの勘とやらは当てにせぬわ」 

どすどすという足音がすっかり聞こえなくなってから、須和は経櫃の外に出た。二人の子を抱きしめ安堵する須和。


須和ははじめ、並んでいる経櫃にすべて蓋をし、一つだけ蓋を開けっ放しにして、その蓋をしていない経櫃の中に身を潜めた。野伏せりは開けっ放しの経櫃は調べなかった。二度目は、野伏せりが既に調べ終わった経櫃のほうにもぐり込んだのであった。


須和は二人の子を連れて浜松までたどり着く。持ってきた着物を売って銭に替えたが、すぐに底をついてしまった。裏路地で座り込んでいると、大通りの方から話し声が聞こえる。

「お城の、西郷のお方(西郷局) さまは大そうな近目(近眼)なんじゃと、ただご自身がそうであるので、同じ身の上の女たちを気にかけて、折々、食べ物やら着る物やらを施してくださるんだと」「へえ。奇特なお方だねえ」
 話を聞いた後、須和は木の枝を杖代わりにして、伏し目がちにして目の焦点を合わせないように気をつけながら城の方に向かった。


城の一角では杖を持つ女たちが列をなしていた。須和もその列に並び、やがて須和の番になる。

侍女「おや、おぬしは篭も持っておらぬのか」須和「あいすみませぬ」

侍女「では篭ごと持っていくがよい」 

須和「お有難うございます」


須和が着物と野菜の入った篭を持って城から下がろうとすると、前を歩いていた女が石につまづき転んでしまう。

須和「大事ありませぬか」

須和は木の枝と篭を置き、転んだ女にかけよって落ちた野菜を拾い集める。目につく石や落ち葉を邪魔にならぬよう脇に寄せた。 


そんな須和の姿を、打掛姿の夫人が目を凝らして見ていた。

徳川家康の側室である西郷局、お愛の方であった。お愛の方は目が不自由であったといわれている。 

お愛は、自分の手を取る案内役の侍女にたずねる「あの者は何をしておるのじゃ?」

侍女「今日はじめて見た者でしたか、石や落ち葉を拾っておるようでございます」 

お愛「あの者をこれへ」 

お愛の指示を受け、侍女は須和を呼び出す。

須和は木の枝と篭を手探りで拾う風を装い、目の焦点を合わせないようにしてお愛の前に出た。


お愛「おぬし、目が見えておるのではないか」 お愛に指摘され、須和ははっとする。

侍女「お方さまのご厚情に付け入って物をせしめようとしたのか? この、不心得者め!」 

頭を垂れる須和。 

お愛「おぬし、名は何と申す?」

須和「須和にございます」 

お愛「お須和。よければ話を聞かせておくれ」

侍女「お方さま、謀りをなす者に情けをかけることなど無用にございます」

お愛「皆、それ、それなりのいきさつがあるものじゃ。おぬしは浜松の者ではないな」 

須和「ははっ。わが夫は駿河で今川家の禄をいただいておりました。夫は二年前に死に、暮らしが立ち行かずこちらに流れてきました」


お愛は須和を見る。須和はお愛と目が合ったような気がした。

お愛「お須和。ここで働かぬか?」
侍女「お方さま!このような不心得者をお城に入れるなど!」


お愛は笑みを浮かべて言う「これでも人を見る眼は確かなつもりじゃ。それに、おぬしのように目端が利いて、てきぱきとした者がおれば心強い」 

須和はしばしの間、考える。着物の膝のあたりをにぎりしめる。須和「身に余るお言葉。一所懸命に働きまする」 

須和はお愛のもとで、浜松城に奉公することとなった。


天正九年(1581)。本多正信は桂花を伴って播磨国、三木、上月とめぐって合戦の絵図をまとめていた。

正信は絵図を数枚並べて見る。山陰道、山陽道で毛利攻めを任されている織田家の将が羽柴秀吉であった。


羽柴秀吉、この者は真っ先に敵陣に切り込んでいくわけでもなく、戦場で神算鬼謀を駆使して敵方を翻弄し打ち破るでもない。


たとえば三木城での合戦。付け城をあまた作り、城主を降伏に追い込んでいる。

正信「これは作事(土木建築)で戦に勝っているようなものではないか」

正信はひとり言つ。その羽柴秀吉は今、因幡国、鳥取城を攻めていた。

丹後、但馬、因幡まで足を伸ばしたい所であったが、織田と毛利との戦さが長く続き、さすがに険難に思われた。


冬の初め、正信と桂花は京の茶屋四郎次郎の家屋に戻る。茶屋の床の間では正信を半蔵が待っていた。


半蔵「やっとつかまった。殿からのお達しじゃ。三河のことは片が付いたゆえ、参ずべしとのことじゃ」

正信「そうか。三河に帰れるのか」 

半蔵「その者は?」 半蔵は正信の後ろに座っている桂花のことを問う。

正信「ひょんなことから知り合ってな、身寄りも無いようなので、それがしと同じように茶屋に住まわせてもらっておる」 

半蔵「どうするのじゃ?」

桂花「正信どのは茶屋を出るのか?」 

正信「故あって三河を出て十七年、浜松の殿にまたお仕えする。桂花が望むなら城で働けるよう、殿にお頼みするが」 

桂花「浜松はどのようなところなのじゃ?」

正信「海に近い町じゃな」

桂花「京からは遠いのか?」 

正信「ここから東に五十里ほどになろうか」

桂花は眉をひそめた。正信「ようやく京での暮らしにも慣れてきたところじゃったな。四郎次郎どの、桂花をここにおいてやってくれぬか」

茶屋四郎次郎「そうどすなあ。せやけど何もせえへん者を、ただおいとくいうわけにも」 

正信「そうじゃ、桂花は絵図の才がある。桂花、四郎次郎どのに見せてやってくれ」桂花は筆を取り出すと半紙に鳥、犬、花、草木をさらさらと描く。 

茶屋四郎次郎は半紙を手に取り、鳥や犬の毛並み、 花びらや茎をしなやかに描く筆の運びに見入った。
茶屋四郎次郎「ほう。これは中々のものやなあ。しかし絵を生業にする言うたら、お城やお寺の襖絵とか。あいにくとそのような伝手を持ち合わせてまへん」 

正信「そこをなんとか、四郎次郎どの」

茶屋四郎次郎は腕組みして思案する「下絵を描いて、その下絵をもとに絞り染めとか、糊置きして藍染めで模様を染め出して着物にあしらったら、 お客さんに喜ばれるかもしれまへんな。桂花にはその下絵を描いてもらう」 

正信 「おお、よい思案じゃ」
茶屋四郎次郎「桂花、できますか?」 
桂花「うむ。まかされよ」 
正信「上首尾じゃ。それがしは浜松でまた一から出直しじゃな」 


数日後、正信は書き溜めた合戦の絵図、身の回りの物をまとめて行李に詰め、支度を整えた。 正信「桂花。達者でな」

桂花「正信どのとあちこち巡るのはおもしろかったぞ」 

正信「そうか。落ち着いたら浜松に遊びに来てくれ」 

三河を出て十七年、本多正信は徳川家に帰参をはたすのであった。
(その5に続く)



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