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ゼロリスク信仰をミニマリスト視点で考える

私の周りには「そんなことをして何かあったらどうするんだ?」が口癖の人達が何人かいました。親だったり会社の上司だったり。今から考えればそれはゼロリスク信仰だったのでしょう。私もそれらに毒されて、いざミニマリストを目指した時、モノがなかなか捨てられなくて苦労しました。「取っておけば、いつか何かの役に立つかもしれない」という思考がよぎり、行動できませんでした。そんな私がミニトマトを目指している今、考えていることを書こうと思います。

ゼロリスク信仰の原点

伝統文化と言霊主義。長い歴史を持つ我が国、日本は元来保守的で変化が起きにくい環境だったと思います。ゆえにリスクを伴う行動には、ことさらリスクを強調したのだと思います。さらに、言霊主義があり、縁起の悪い事を口にすれば現実になるという思いがあり、リスクを言えない、ゼロリスク信仰に至ったのではないかと思います。

それを利用する人たち

世の中はどれだけ変化を拒んでも変わっていきます。それに伴い社会も変わっていくはずなのですが、変化することに対し異常にネガティブな事を言う存在があります。それの一つはメディアです。ニュースで不安を煽り、CMで保険や商品の宣伝をする。一つのビジネスモデルになってますね。

空気の正体

そうして変化を恐れ、行動する人を批判する空気が出来上がり、それがゼロリスク信仰になったのではないかと思います。私もそういう環境にいたので漠然とした不安を常に抱えていました。ひとえに知識不足です。行動しようとしても周りに否定されて何もできず、何もできないから何もわからず、わからないから不安になる、不安だから周りに否定されても反論できず、となり、あの時のままの環境であれば、私もいずれは変化できない人間になり、知識もないまま変化を否定するだけの人間になっていたでしょう。

ここでミニマリスト思考が役に立つ

まずはモノを減らす。人は持っているモノが多いほど余裕がなくなり身動きができなくなります。そうしたら変化することにやたら否定する人が出てきます。そういう人達は否定の材料としてやたらリスクを強調してきます。私はやらないための言い訳だと思ってますが。そうならないために、モノを捨てましょう、そして選択肢を減らしましょう。そうして少しでも余裕のある生活に変えて下さい。そうすればもっと寛容な世の中になると思っています。

小さな成功体験

いらないモノを捨てる。そうすればほんの少しだけ部屋が広くなります。あるいはモノを売ってみる。そうすればわずかでもお金が手に入ります。そうやって小さな成功体験を積んで下さい。もしかしたら失敗するかもしれない、それでもいいんです。成功体験は自信につながり、失敗体験は改善につながります。取り返しのつかない失敗なんてそうありません。そうして対処していけばそれがまた成功体験につながり、失敗したらどうしようの不安を打ち消す力になります。

なぜ捨てる事にこだわるのか

恥ずかしながら私は二十代半ばに一人暮らしを始めるまで、燃えるゴミと燃えないゴミの他にゴミの捨て方がある事を知りませんでした。収集癖があると言えば聞こえはいいかもしれませんが、ようは捨てられない、捨て方がわからない生活を送っていました。そうして増えていったマンガやラノベを引っ越しの際に持って行くのは大変でした。そして新たな部屋で本棚を増やし、増えていったモノを前にこれを引っ越しで持って行くのは無理だなと、引っ越しを諦め就職先も自分の生活圏に限定していました。そうやって「今の生活にそんなに問題ないから」とゼロリスク信仰になり、自分の可能性を狭めていました。そんなのもったいないじゃないか、人はもっと身軽になり自由になるべきだと思います。

終わりに

かなり長文になってしましましたね。世の中の問題をミニマリスト的に解説するとどうなるかやってみたのですが、いかかでしたでしょうか?何か一つでも参考になれば幸いです。

ではまた


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