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#85日々是=^_^=日 12年前にタイムスリップ~M地区の同僚(ホワイトな学校へ~号外)

今回はスリップ具合が少ないが…。
このM地区のK小学校には1年しかいなかったのに、大変濃い思い出がある。

というか、いずれの職場であっても、その1年1年を思い起こすと、それぞれ、いろいろなことがあり、様々なドラマがあるのだ。

M地区でのことは、「ホワイトな学校へ#27」の中の⑦で少々触れたきり。

この夏私がE地区の研修会で講師をした後、K小学校の同僚で、現在はE地区にいるSさんが食事会の席を設けてくれた。
懐かしい話に花が咲き、とても楽しい時間を過ごした。
だから、この記事が書きたくなったというわけ。

では、その一端をご紹介します。



Sさん夫婦

Sさんと、夫のJさんは、同僚。
この二人が付き合っていることを知ったのは、たった1年のK小学校での勤務が終わる年度末、私の異動が決まって、E地区のO小学校に引継ぎに行った時のこと。

O小学校のK教頭に挨拶をしたとき、
K「K小学校だったら、Sさんいますよね。彼女が初任者の時、私が育成担当だったんです。」
教員アルアル。世間が狭い。
初対面の人の知り合いは、自分の知り合い。
知り合いの知り合いは、皆知り合い。
例にもれず、よくあることだ。

K「彼女、結婚するんですよね。」
私「・・・(ん?聞いてないけど?誰かと付き合ってるとかも知らないし)結婚するとは聞いていませんでした。」
我ながら、とっさに、うまい言い回しをした。
K「(結婚することは、まだ言ってなかったのかな?)K小学校の同僚と付き合っていますよね。」

は・つ・み・み!
同僚と付き合ってるって?
初耳!
同僚って、独身男性、一人しかいないし!
あー、分かった。そういうことね~。
Sさんは私と一緒に異動してきて、年度始めには付き合っていなかった…。
いつからだ?
うまく隠してたな~。

私の一瞬の複雑な表情を見て、K教頭の顔色が変わった。
自分は、やらかしたかもしれない…。
そう、あなたは、やらかしました。
貴重な情報、ありがとう!

私「そうだったんですね。独身男性は一人しかいないので、分かりました。ええ、全く知りませんでした。付き合っていたことも知りませんでした。隠せないもんですねえ。貴重な情報ありがとうございました。」

引継ぎが終わって、K教頭は、慌ててSさんにメールを送ったようだ。
「やらかしました。」

私も、引継ぎが終わって、すぐにSさんにメールを送った。
「おめでとう。聞いたよ。みんなに言っていいの?」

その時、SさんとJさんは一緒にいて、Sさんの携帯が落ちたらしい。
不吉な予感・・・。
「だめです!!」

15㎞も離れたところで、バレるとは。

後日、二人から根ほり葉ほり事情聴取をしたのは、言うまでもない。

今でも語り草です。


「これ全部教頭先生のです…」

K小学校には、実は、諸事情により、引継ぎもままならず着任した。
着任して数日後、ふと気づいた、私の席の後ろにある段ボールの山…。

これは何?

教務主任に聞くと、

「これ全部教頭先生のです。」

え、私のじゃないし、私は紙袋一つで異動して来た…。
恐る恐る中身を見ると、あろうことか、確かにこれまでの教頭が処理した書類等の数々。
しかも、〇年保存のような、必要と思われるものも一緒くたに入っていると思われる…。
呆然とする私に、追い打ちをかけるように、教務主任が、

「実は、放送室にもあるんです…」

案内された放送室は、素敵なスタジオのような作りになっているのだが、そのほとんどが段ボールで埋めつくされており、物置と化していた。
「捨てていいものかどうかわからなくて…」
そりゃそうだ。書類の重要性は、その立場の人にしか分からない。
どうする、私・・・・。

私は、決心した。

「このスタジオ、夏休み中に使えるようにする!」

まずは、自分の後ろの段ボールの山を5月の連休までに何とかし、夏休みにはスタジオに取り掛かった。

捨てました、捨てました。

考えてみれば、私は教頭1年目に、統合する最後の1年の学校に配属され、引っ越すにあたり、相当な物たちを片づけたのでした。
それに比べたら、何のこれしき、大したことない。

そういう星の下に生まれたんだ、私は。
半ばあきらめ、半ば強い決意をもって、スタジオを復元したのでした。
めでたし、めでたし…。…?


3人娘

私と一緒に、初任者が3名同時に配属された。
ひらひらとしたお嬢さん方で、大丈夫か?と思ったが、何の何の。
着々と成長していった。

そして、全員今や、母とのこと。
華奢だった、Kuさんの腕は、太くたくましくなっているそうだ。
母は、強し。

いつか、会えるのが楽しみだ。

そういえば、この3人は、年度末私の異動が決まり、お別れ会の時、号泣したのだった。
たった1年しかお付き合いのない、しかも、教頭が去ることがそこまで悲しいか?

Sさん曰く、
「それだけ、感謝の気持ちが強かったんですよ。」

嬉しかった。


今となっては、良い思い出

考えてみれば、特別学級があるとはいえ、各学年2学級程度の中規模校にしては、異動者の多い年だった。
校長、教頭、教務主任が転出した。(あまりないことです。何があった??)

そこに転入したのが、覚えている限りで、S校長、私(教頭)、Sさん、Koさん、3人娘、ベテランのNさん(スミマセン、もっといたかもしれません…)。Koさんは、異動してきていきなりの6年担任だった。
教務主任は、そのK小学校にいた先生が新たに担当した。

学校の中心ががらりと変わるということは、がらりと変えてくれという教育委員会の暗黙のメッセージでもある。

S校長に許可をとり、私は、心置きなく、がらりと変えた。

大変であるということは、それを乗り越えた時、良い思い出に変わっている。
このK小学校も、その一つだ。

考えてみれば、子供たち(一部保護者も含めて)が大変で、いろいろと対応することは、教員としての本来業務である。

それ以外のことが大変だと、本当に大変なのだが、K小学校の職員の皆さんも、本当によくまとまっていて、協力的な方たちばかりだった。
だから、皆さんのおかげで、こうして良い思い出として振り返ることができるのだ。



お誘い、ありがとうございました。

皆さんにも会いたいです=^_^=



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