語るなら未来を

櫻坂の新参者公演で、三期生が欅坂46の"語るなら未来を…"をやった。

まずスタンスをはっきりさせておこう。私は「櫻坂三期生が欅坂46の曲をやった」ということについては、「やってもいいしやらなくてもいい」というレベルの認識でしかない。

どうでもいい、というと流石に語弊があるが、誰がどう見ても現在の櫻坂は欅坂人気の食いつぶしではない、独自の魅力とそこからのファンを獲得している別グループなので、やったからと言って「まだ欅坂にすがっているのか」という考えは証明の必要がないほど自明で間違いだし、逆に言えばそのようなノイズが入る余地を完全に潰すためにも、やらないでいるという選択肢もまたありだろうとは思っている。

本稿はそこについて論じるものではない。
単純に、山下瞳月の恐るべきパフォーマンスを語らねばならないと思った故である。

前提を合わせよう。
櫻坂三期生は2023年グループ加入である。
櫻坂の活動は3年目に突入しており、対外的には別としてすでに独自のプレゼンスは発揮されている状況であった。
なので三期生は欅坂にではなく櫻坂に憧れて入る人も少なくなかった。これは新せ界での小林由依のコメントからもわかる。
また、加入時点で在籍していた一期生は5人(更に言えばカタミラをやることになった時点では土生瑞穂がいないので4人)で、そういう意味だと欅坂との接点が深いとは言えない。
そんなメンバーが欅坂の曲をやるということは、「今はいないOGの伝統の曲をやらせてもらう」という意識が強くなると思う。
実際それに近い発言を、カタミラ披露前の村山美羽はMCでしており、また運営もファンもその意図でセットリストを組んだと思う。

そのラストで山下瞳月が見せた表情が以下である。

もう一度言うが「今はいないOGの伝統の曲をやらせてもらう」シチュエーションである。
他のメンバーは分かりやすいパフォーマンスをしていた。先達の意思を受け継ぐんだ、伝説を守るんだという想いから、あるメンバーは決死の顔になり、またあるメンバーは涙を抑えきれない顔になり、それぞれが自らの感情を爆発させてダンスしていた。
その中で唯一人山下瞳月だけが、冷静に、正しく、恐ろしく冷たい顔でパフォーマンスしていたのだ
そこには伝統や歴史を背負うという意志は(私には)見えなかった。ただ、この曲が持っている、「もう失った人生なんて語るな」という、過去への美化と耽溺を切り捨てる怜悧な意志のみがそこにあった。

私はそこに震えた。
かくあるべきである。
一期生が4人になり、中核の小林由依が1月末に卒業するこの状況で、欅坂のことについて語ることになんの意味があろうか。
曲を受け継ぐというのはただそこにある歌詞やアーティストの意図をなぞるだけではない。その曲自体が持つメロディ、リズム、その他や、その曲が生まれた背景、どう受け止められたかなどを捉え、自分の中で咀嚼し、自分のアウトプットとして表現することである。
今我々がするべきことは、櫻坂が欅坂の曲をやってよいか議論するなどということではない。
感傷を切り捨て、前に進もうとする稀代のパフォーマーを正しく捉え応援することだと思う。
語るなら未来を。

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