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江戸の刑場跡

大都会東京の街中に、江戸時代罪人を処刑した刑場があります。今は住宅地の中ですが、昔は街道沿いだったといいます。
今回は江戸の刑場跡を訪問した時のことをお話しさせてください。

大森 鈴ヶ森刑場跡

出張で頻繁に訪れる大田区蒲田のとなり、大森には江戸時代刑場だった場所が今でも保存されています。

京浜急行大森海岸駅から歩いて10分程度で着くのですが、刑場に続いているとは思えない大きな道路沿いを歩き、その周りにはビルが立ち並んでいます。

歩道橋を渡ると三角形の小さな土地があり、「鈴ヶ森刑場遺構」の標識が立っています。
全くオドロオドロしい雰囲気はなく、都会の喧騒の中にひっそりと存在しているのです。

説明板 八百屋お七と丸橋忠弥

敷地内に看板が二つ立っていて、読んでみると処刑に使われた道具などの説明書きがありました。

一つには火付けの罪で処刑された「八百屋お七」のことが書いてあります。火付けの罪という事ですが、詳しいことはほとんど分かっていません。

ここで15歳だった八百屋お七さんが火炙りになった

恋人に会いたいために放火騒ぎを起こしたとされていますが、芝居や小説で書かれているに過ぎません。

15歳の少女 八百屋お七さん

ただ、お七さんが火炙りになったのは公式な文献からも事実のようです。

もう一つは「丸橋忠弥」が磔になったという説明書きで、由井正雪の乱で幕府転覆を狙い、密告により捕縛されて鈴ヶ森刑場で処刑されました。(捕縛の際すでに死亡していたが、遺体が改めて磔にされたらしい)

磔台 この下にも穴の開いた石が置いてある

二つの石

看板の下には中央に穴の開いた二つの礎石があり、どうやら当時使っていた本物の火炙柱と磔柱を立てた石のようです。
真ん中の穴に木の柱を立て、人を縛り付けたという事でした。

真ん中の穴に木の柱を立てて、縛りつけた人を火炙りにした

当時の本物があるなんて、少し肝を冷やしました。

南千住 小塚原刑場跡

JR南千住駅のすぐ近くに、有名な小塚原刑場跡があります。駅から歩いても2分程度でしょうか、鉄道の線路のすぐわきにあり、電車が通るたびに大きな音がするにぎやかな場所でした。

通称 首切り地蔵

ここには回向院というお寺があり、墓地には大きなお地蔵さまが鎮座しておられます。町が近いのであまり刑場跡という感じはしません。

有名な人達のお墓

ドンクサイことに、ここで処刑された人たちのお墓があったのですが、見落としてしまいました。
鼠小僧次郎吉や高橋お伝、安政の大獄で処刑された吉田松陰、橋本佐内、頼幹三郎の墓もあり、2.26事件の青年将校たちの墓もあります。

鼠小僧次郎吉や高橋お伝は、実際にここで処刑されたといいますが、他の人は別地で処刑されてここに葬られているのだとか。

有名な鼠小僧次郎吉

回向院が建立されるまでは、遺体に軽く土をかぶせるだけだったので、野犬やイタチに食い荒らされて地獄のような光景だったといいます。

処刑された者たちの魂は

二つの刑場を見てきましたが、あまり怖い場所という印象は受けませんでした。
昼間だったせいかもしれませんが、霊的な雰囲気のしない場所だったと思います。

後で鈴ヶ森で処刑された人の霊を慰めるため建立された、大経寺の住職さんのインタビューをYouTubeで見ました。
「何百年にわたって私共が供養しているのに、霊現象など起きる訳がありません。皆さん成仏されているのです」

処刑された人たちの霊魂も、住職さんの顔をつぶすのは気が引けるのかもしれませんね。
あるいは、私のヘナチョコ霊感では感じないだけかもしれません。

何にしても、命を奪われた方々のご冥福をただただお祈りするばかりです。

興味ある方は動画もご覧いただけます。いきなり音が出るのでご用心を。
https://youtu.be/auK3a3vw5_U

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