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助詞の「の」に怯える

助詞の「の」が気になります。
ひとつではどうということはないのですが、「僕の中の十字架」みたいに「の」が続くと変更したくなります。
Wordや一太郎などで文書校正すると、「連続する助詞」について指摘が入りるからか、助詞の重複に怯える日々です。「に」や「は」が連続することは少ないですが、気を緩めると知らず知らずのうちに「の」が連続しちゃいます。
別に二つぐらいなら連続しても悪文とは言われないと思いますが、基本的に「の」の連続は避けるようにしています。

拙作「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」では、台詞以外に助詞の連続は一つもないはずです(あったらすいません)。

長年、小説を書いていて、「の」の連続を減らすノウハウも貯まってきました。「僕の中の十字架」という文章は「僕の中にある十字架」と書き換えます。この「にある」というのは便利な言葉で、「の」の連続回避に有効です。
「所有」を意味する「の」を使った「僕のスマホの画面」だったら、「僕が持っているスマホの画面」のように、「持っている」が使えます。
ただ、これらの回避方法は、「文字が増えてしまう」欠点があります。同じ意味なら文字が少ない方が、読者の負担を減らせると思いますので、「の」を過剰に避けるあまり、文章が伸びてしまうのも困りものです。

避けづらい表現もあります。特に台詞は、どうしても「の」が続いたほうが自然な場合があります。「ウチの父の貞男がさあ」みたいな台詞だと「ウチの父である貞男がさあ」では堅苦しいし、「ウチの父、貞男がさあ」と実際の人は喋らないですよねえ。
この場合は「の」が連続した方がリズミカルだし、人間の会話っぽい感じがします。

あ、今「実際の人間の会話」と書きそうでしたが、「人間の会話」でも意味が通じるので、「実際の」を削りましたが。
やっぱり油断すると「の」は連続しちゃいます。


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