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LUNA SEAと私

2023年12月3日ゼビオアリーナ仙台LUNA SEA DUAL ARENA TOUR2023

私は実に25年振りにLUNA SEAのLIVEに参戦した。


中学3年生の夏ぐらいに当時大好きだったXJapanを通してLUNA SEAに出会い、それから20歳を迎えるまでの5年間をLUNA SEA一色で生きていた。


アルバイトに明け暮れチケット争奪戦には授業を抜けてまで参戦しライブ用の小物や洋服を作ったりLUNA SEAを考えない日は無いほど濃密な時間を同じくLUNA SEAを心から愛する同級生の友達と本気の全力で駆け抜けた。


特に高校3年間は彼らを追いかけ友達の親や自分の家族を巻き込みながら東北中を右往左往し就職してからは社会人として得た対価を全てLUNA SEAに捧げる程、愛したバンドだった。


何となく異変を察知したのは96年最初くらい。世に言う絶頂期と呼ばれる時期。


何だか少し不協和音が見え隠れしているように感じた。テレビでよく見る様になっていたLUNA SEAは相変わらず恰好良いし愛おしかったけれど何でしょう?言い知れない不穏な感じの違和感を感じる様になって見えた。


違和感を見て見ぬ振りをするようにライブがあれば友達と参戦し、不安を払拭する事に努めた。きっとテレビの収録で緊張していたのだろうと。


友達はドラムの真矢さんのファンで私はベースのJさんのファンだった。


ライブに行くと友達は真矢さんのドラムソロで泣き出すし私もそれに続くベースソロで泣き出してしまう系のファンだった。

私も友達も共に、愛おしさが溢れ出すタイプらしく大好きなForever&EverのJさんの語りの部分からの最後へ向かう終盤は嗚咽が漏れる程、毎回感動やら愛おしさやらライブが終盤に差し掛かった寂しさやらでいつも泣いていた。


そのせいか私はJさんの声を聴くと未だに涙が出そうになる。


そして真冬の野外での小活動休止宣言と翌年からのソロ活動。

驚きはあったけれどどこかやっぱりなぁ、と思った。


そして間もなくして発売されたJさんのソロ1stアルバムPyromaniaはJさんらしさが炸裂した素敵なアルバムでTOURで来仙した際は妹を連れて参戦した。


2階席から見たJさんはセンターに立ちボーカルでもあった。


なんで一人ぼっちなの?


そう思ったが最後。私は涙が溢れてしまい目の前の柵に縋るようにして歌う彼を観ていた。(妹は私が貧血でも起こしたのかと思っていたらしい)

そして何曲目かでアルバム曲の中で1番好きだったAcrossTheNightが始まると私は嗚咽し膝から崩れ落ちるくらい号泣していした。


妹は隣で号泣する姉にドン引きしているし打った膝も痛かった。



寂しいよJ。



今では揺るぎ無いJさんのソロ活動も彼の姿も当時は少し線が細くてなんだかどこか寂しかったのを覚えている。

あと、いつもは一晩寝たら治るライブ後の耳キーンがなかなか治らず2日くらい耳が死んでた。あれ絶対に法で定められた上限の本当に上限の音量だったのではないのかといまだに思う。




その他にも、SUGIZOさんのソロアルバムやINORANさんのソロアルバムなども購入し、全く色味が違う個性を聴き来年の復活を楽しみにしていた。


そして、なんやかんやと不安を抱え迎えた98年の復活。


あれ程待ちわびたLUNA SEA復活と音源の発売にも関わらずまともに聴けなかった。


少しだけ聴いたSTORMはどこか他人行儀で、何となくビリビリとした不協和音がしているような気がして、私的にこれLUNA SEA長くないな。と思うには十分だった。


解散するのかまた、一時活動休止するのかは解らないけどソロ活動がバンドLUNA SEAの妨げになったような気がした。


調和出来なかったんだ。何これ、河村隆一バンドじゃん。


申し訳ないけれどこれ以外思い付かなかった。


ライブも発表された。


ファンクラブの更新すら迷っていた時期だった。ライブに行くか行かないか物凄く迷っていた私にLUNA SEA復活前にソロでの河村隆一ファンになっていた会社の友達が一緒に行って欲しいと言ってきたのだ。


河村隆一さんとLUNA SEAのRYUICHIは別物だからびっくりしないでね。



そう友達に忠告しチケットを2枚取った。仙台駅東口から会場までシャトルバスが出るらしい。


そして迎えた1998年10月9日仙台グランディ21
2days公演2日目。


その日私と友達は有給休暇を頂き仙台駅まで向かっていた。足取りも軽く初めてのライブにドキドキウキウキの友達と、なんか嫌な予感がして足取りが重いネガティブモードの私。  

会場入りするもなんかいつもと場内の雰囲気が違う。本当になんかもう嫌な予感しかしない。ツアーパンフレットを購入するもなんだか見れない。いつも買うツアータオルがだいぶ値段が上がった様に思える、等の違和感に襲われ帰りたくなる。


でも初めてのライブにウキウキの友達を残して帰る事も、ましてや不機嫌な顔も出来ず無理やりはしゃいで疲れたのかなんか動悸がし始めた。

開場し着いた席もアリーナ席の後方で、パイプ椅子に乗り上げでもしない限りメンバーも見えない様な席だった。


こんな席ならサンプラザで良かったじゃん。


私の心模様はもはや運営にまでケチを付け始める有り様だった。


公演の内容はあんまり覚えていない。メンバーの顔すら一度も見えなかった。心の底から冷え切るようなライブだった。知らない曲ばかりだった。当たり前だ。アルバムを買ってはいたものの封も切っていなかったのだから。


Jさんのライブの最後の最後、ステージから去る際に私達にくれる"GoodNight"の言葉でライブが終わったのだと気付いた。


友達は感動していた。


初めて河村隆一のライブに参加出来た。ありがとう。と、お礼を言われた。


うん。河村隆一じゃなくて、LUNA SEAね。どういたしまして。良かったね。さあ帰ろう。


シャトルバス乗り場までの道すがらなんだか悲しくて悲しくて涙が溢れた。泣きたいんじゃなくて涙が止まらない。ボタボタ涙が流れた。


河村隆一のライブって。


さっきの友達の言葉にとどめを刺された気分だった。


友達は遅れて感動がやって来たの?やっと実感した?と、優しくハンカチを貸してくれた。


シャトルバスに乗っても涙は止まらない。そのうち嗚咽まで混ざって号泣していた。


友達とは人混みに紛れ席を離した。


もう居ない。
もう居ないの?


私が愛したLUNA SEAはその日、何処にも見当たらなかった。


仙台駅東口に到着したシャトルバスは私達を降ろしてまた会場へ戻って行った。


私は泣き過ぎてぼーっとバス停に立ち尽くしていた。黒い集団が何処かへと消えて行くのをただぼーっと見ていた。はぐれた振りで遠ざけた友達からはステンドグラスの所で待ってるとメールが届いていた。


当時はまだ何もなかった仙台駅東口。薄暗い足元には私の脱け殻が泣きながらうずくまっていた。

目を硬く閉じて耳を思いっきり両手で塞いださっきまでの私だった。

私は解離したかつての"LUNA SEAを愛していた私"をバス停に捨てて友達が待つ仙台駅構内のステンドグラス前に向けて歩き出した。


あんなもんもういらんわ。


そして私はその日以降LUNA SEAから離れた。


LUNA SEAを思い出すこともなくなり普通の人と数年間の恋愛を歴て結婚し子供が生まれた。
子供が愛おし過ぎて子育てに全力で取り組み一緒になって泣いて笑った。子供達の笑顔が見たいがために生きてきた年月だった。

気が付いたら子供達は手がかからない歳になり何でも自分で出来るようになっていて何だか物足りなさを感じる日々。


そんな時、ふと目にしたLUNA SEAのMOTHER、STYLEセルフカバーアルバムの発売とアリーナツアー開催。


子供達や旦那氏にその事を言ってみると「是非、参戦してみたら良いよママ」との快諾で早速一般発売で申し込んで見ることに。

結果は初日:落選 2日目:当選

STYLEでの参戦となり、それなりに楽しみにインフルエンザのワクチンなんかを打ちライブに備えてりしていた。

そして始まったアリーナツアー。セットリスト等は自分へのサプライズにしたくて敢えて確認はしなかった。
Twitter(X)も敢えて調べないようにしていつも通り可愛い猫の動画やツイート等を見るようにしていた。

しかし前日に仙台GIGSでBUCK-TICK櫻井さんのお別れの寄せ書き会に参加し、3時間超えの行列に並んで風邪を引いて夜中からちょっと体調が悪かった。


迎えた当日、風邪薬のせいか足元がふわふわした夢見心地で羽でも生えたのかと思う程ふわ〜っとぼーっと家を出た。


そして私はふわふわとゼビオアリーナのある長町に向かう前に25年前バス停で捨てた"私"を迎えに仙台駅東口に行った。

東口は今はだいぶ様変わりし都会(笑)になっていてかつての寂しい何もなかった場所では無くなっている。

朽ち果ててもなお、相変わらずうずくまって目を閉じて耳を塞いだままボロボロになっていたソレは確かにそこにあった気がした。

朽ち木の様に枯れたソレを回収し引き摺りながらゼビオアリーナ仙台まで来た。


何故か絶対に東口に寄ってから向かわないとダメなような気がした。


残骸を引き摺り到着したアリーナ周辺は穏やかで天気も良くて素敵な場所だった。

子供達が沢山いた。
楽しげなイベントも催されていた。
なんて平和な場所なんだろうと思った。


そして展示されていたツアートラックには素敵に年齢を重ねたメンバーさん達が写っていた。


お久しぶりです。お元気そうで何よりです。


そう心の中でメンバーさん達に挨拶をし開場を待った。


寒くて早めに入場した会場内も嫌な感じも一切せず、ただただ楽しいと、嬉しいと、ワクワクが溢れたポジティブな空間になっていてステージに掲げられたLUNA SEAの文字が一気に私を1998年に戻した様な気がして早くも泣きそうになり、そうそうこんな感じだったよね。と笑ってしまった。


アナウンスがあり客電が落ち始まったライブ。メンバーさん達が入って来た姿が見えた瞬間、凄まじい速度で巻き戻された時間と感情。


1曲目のWithLoveでもう既に私の涙腺は崩壊だった。


大好きだったLUNA SEAがそこに居た。

25年前より一億倍も進化して格好良くなったLUNA SEAがそのステージに居た。

居てくれた。続けてくれていた。


私が見ていなかっただけでずっと進化し続けながら存在してくれていた。

私が子育てに全振りし泣いて笑って悩んで感動していた時もずっと。


ありがとうございます。私、あなたたちが全てだったんです。子供でしたが本気で愛していました。私、子供2人生んだんです。あなたたちがくれた私の生き甲斐です。ありがとうございます。あなたたちから離れなければ私は子供は生まなかったと思います。ありがとうございます。


心からの感謝と無限に上昇する想いの全てをあなたへ。




最後のForever&EverのJさんの語りからやはりお約束の嗚咽混じりの号泣になり崩れ落ちそうになりながらも頑張ってなんとか最後まで持ち堪えたつもりだったが、やはりJさんの最後の"GoodNight"で膝から崩れ落ち大号泣で隣のご夫婦のお帰りの通行の妨げになったのは本当に申し訳なかったです。


帰りは足取りが凄く軽かった。

ライブであった事を妹や子供達にラインで報告しライブの写真を添付するとびっくりされた。

あれだけ泣いたにも関わらず目も浮腫まず寒さからか少し赤かったくらいでスッキリとした目元だった。


連れて来た私の残骸も気づいたら四散して跡形もなく消えていた。きっと成仏したんでしょう。なんにも心残りなんて無いのだから。


素晴らしいライブでした。



私はあの日以來離れていた時間を、少しづつ埋めようとYouTubeを漁る日々が続いております。


35周年である来年が待ち遠しいです。


私の人生にまた1つ楽しみが増えました。




まぁ若すぎて子供だった私が勝手にメンバーさん達に対して求め過ぎてアンサーが違うと逆ギレして駄々をこねていただけなのかも知れませんが。

色々すみませんでした。


ありがとうございました。Jさん大好きです。












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