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8月のヘイジームーン #シロクマ文芸部

朧月おぼろつきっていうのは、春先の今頃に出る月のことを言うんでしょ。なんでこのタイトルなのよ。こんな脚本ホン、お断りよ」
 アールデコ調のインテリアで統一された広い室内に、数十台のテーブル席がある人気イタリアンレストラン。夜景が見える窓際の席が埋まっているだけで、今日は空席が目立つ。
 一世を風靡した元アイドル女優の多田明日香が、癇癪を起したようにシナリオ本をテーブルにたたきつけた。
「明日香、読みもしないでそんなこと言うなよ。何年かぶりにきた主役じゃないか」
 マネージャーの土屋がたたきつけられたシナリオ本を自分の方へ引き寄せる。
「30代の新進気鋭の作家なんだよ。俺は、いい作品になると思うよ」
「ダメよ。そんな季節感のないタイトルをつけるようなライターじゃ、読む前に駄作だってわかるわ」
 明日香はインディーズ作品への依頼にプライドを傷つけられていた。その上、感性の欠片もない作品に出ろという土屋に腹がたった。苛立ちをグラスの水を勢いよく飲むことでわからせた。
「君はもう若くない。いつまでも女王様気分でいたら、若い子にどんどん持っていかれてしまうよ」
 明日香は土屋の言葉が気に障ったのか、眉間にしわを寄せた。
「ちょっと、お化粧直してくる」
 と言って明日香は立ち上がった。
 マネージャーの土屋は水の入ったグラスを持ち、明日香の姿を見送った。

    * * * * * * ** * * * * * *

 インディーズ作品ではあるが、数本書き上げてそれなりに評価されるようになった。すでに峠をすぎた女優ではあるが、名の通った女優が主演を張ってもらえるかもしれない、大きなチャンスがめぐってきた。貴島一哉は女優多田明日香のマネージャーの土屋に作品の趣旨を主演女優に伝えてほしいとレストランによばれていた。完全に浮足立っている自分がいる姿を、ともに頑張ってきた仲間には見せたくなかった。
 待ち合わせ場所のイタリアンレストランのエレベーター内、スマホにラインの着信音がなった。多田明日香のマネージャーの土屋からだった。
(貴島さん、申し訳ありません。今日の顔見せは延期させていただけないでしょうか? 多田の体調がすぐれないため、日をあらためて設けさせてくださいm(__)m)と入っていた。
「はあ? いまさら日をあらためるだって? もう着いてんだよ。もっと早く連絡しろよ」
 と、一哉は一人乗るエレベーターの鏡に映る己に対して怒りをぶつけた。
 とりあえずエレベーターから降りた。
(わかりました)
(ご連絡お待ちいたしております)
(お大事に)
 と、矢つぎばやに返信のラインを打った。

 一哉が多田明日香のマネージャー土屋からのラインを確認する少し前、明日香もイタリアンレストランのトイレ内で土屋にラインを打っていた。
(悪いけど先に帰ってて)
(私、ここで食事していく)
(ライターには断りのライン送って)
(じゃ)

 一哉は一縷の望みを抱いたまま、席に案内してもらうことにした。
顔見せ会は帳消しになったので、当然予約も取り消されていると思っていたが、残って食事をしているというので、同じ席を案内してもらった。
 夜景がきれいに見える窓際の席に一人の女性が熱心に冊子を読んでいる。
「それ、そんなに夢中になるほど、面白いですか?」
 一哉は、ワイングラスを片手に冊子を読んでいる女性に声をかけた。読書を中断された女性は、ゆっくりと顎をあげ一哉をとらえる。
「お加減は、いかがですか? 多田さん」
 明日香は、一哉を一部のしつこいファンと勘違いしているのか、冷めた視線を送りながらも努めて笑顔をつくっていることがわかった。
「ごめんなさい、今はプライベートな時間ですので」
「あ、失礼しました」
 と謝罪しながら、一哉は明日香の前の席に座った。
「あいさつが遅れました。僕は、今あなたがお読みになっているシナリオを書かせてもらった、貴島です」
 明日香から作り笑顔が消えた。
「連絡してって、言ったのに、まったく」
「土屋さんからは連絡いただきました」
 明日香は一哉の返答を聞いて、再びゆっくりと口角をあげた。
「私が残っている自信があったの?」
「僕の脚本ホンさえ読んでもらえれば、いてくれると」
 明日香は静かに冊子を閉じ、そのまま一哉に手渡した。
「どうですか?」
 明日香は即答しない。ワイングラスの中の赤ワインを口に運ぶ。
「まるで、エイミー……」
 明日香は記憶を手繰り出そうとしている。
「ワインハウス」
「そうだわ、エイミー・ワインハウスの歌のような話ね」
「どうですか?」
 と、一哉は同じ質問を明日香に投げかける。
 明日香の視線は窓の外の夜景に移っていた。
「いい作品だわ。でも、その女性を私にやれというの?」
 一哉は月明りのような照明の中で見る明日香の横顔は、本当に美しいと思った。それでも、彼女は一皮脱ぎ捨てれば、もっと輝く。もっと素晴らしい女優として生き残れる。虚栄という見えない飾りを捨てさえすればいい。
「8月に出る、蒼く妖艶に光り輝くブルームーンから、しっとりと朧げに輝くヘイジームーンになってください」

 こうして、かつてのアイドル可愛い子女優は、汚れ役を見事に演じ切り、一枚も二枚も上の、大女優と変貌していった。
 月は、陽の光りを浴びて輝くが、本当の姿を決してみせない。
 つくられた虚像のうらには、砂漠という恐怖をつねに抱えているということを月を見上げるたびに思う一哉だった。

                             了

 
 

 


#シロクマ文芸部 #朧月
今週も参加させていただきます。


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