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紅梅の横に咲く、蝋梅の花 #シロクマ文芸部

   梅の花が咲いていた。
   いつもは通らない裏道を使って、遠回りして帰りたくなった。実家に帰るのは五年ぶりだろうか。駅を降り立って、真っすぐ父の待つ家に足がどうしても向かなかった。重い足を無理やり前に出しては、一歩一歩先に進もうと頑張ってはいる。生暖かい春風にのって石鹸のような甘い透明感のある香りが鼻腔をくすぐった。梅の花の香りは、こんなだったかなと思いながら歩幅をせばめて角を曲がろうとした。曲がり角に建つ一軒家の小さな庭の片隅。ふっと、顔を上げると紅梅の横に透き通る絹の肌のような薄黄色の梅の花が見えた。
「この梅の花から香っていたんだな」
 僕は、その梅の花に釘付けになり、歩みを進めることができなくなった。写真におさめたくなったが、見ず知らずの他人の庭先を撮るわけにもいかず、じっとその可憐な花を見つめていた。

クスノキ目ロウバイ科 蝋梅


「何か、ご用ですか?」
 背後から声をかけられ、無心で梅の花を眺めていた僕は我に返った。振り返ると、ヘーゼルの瞳がこちらを捉えていた。その瞳は黒豹のようだ。
「あ、すみません。こちらのお宅の方ですか?」
「いえ、ここは空き家ですので」
「そうですか」
「ご用があって、覗いていたのではないのですか?」
 女性は下から上へと訝しげに、黒豹のような瞳を動かした。
「この梅の花が、美しいなと思って足が止まっていました」
「梅の花?」
「ええ、この薄黄色の珍しい梅の花が気になって」
 女性は、僕の言葉を受けて庭先へ視線を移した。
「この花ですか。これは蝋梅ろうばいといって、梅の花ではありませんよ」
「蝋梅。きれいな花ですね」
「きれい。そうですね」
 女性は、蝋梅の花をじっと見つめたまま、何か考えているようだった。
「だけど、毒がありますよ」
 そして、吐き捨てるように言った。
「美しいものには毒があるとは、よく言ったものですね」
 と、僕は黒豹のような女性の姿を見て、思わず口にしていた。
「冗談をおっしゃっているつもりですか?」
 女性は、僕の方へ顔を向けるとヘーゼルの瞳に嫌悪の色を乗せた。
「あ、いえ。そんなつもりでは」
「水仙のような甘い香りで誘って、あの儚く可憐な姿で誘うんです」
 僕は、女性の言っている意味が理解できなかった。
「本当の梅は、実を宿して人や動物に貢献します。だけど、蝋梅は、その扱い方を誤れば痛い目にあいます」
「そうなんですね」
「だから、庭先には植えない方がいいんですよ」
「お詳しいんですね」
「ええ。この蝋梅で痛い目にあった一人ですから」
 しばしの沈黙のあと、女性が口を開いた。
「お写真撮ります?」
「え?」
「蝋梅の写真、撮りたいでしょ?」
「でも、勝手には撮れませんから」
「今は空き家ですけど、私の実家ですので、いいですよ」

 ヘーゼルの瞳を持つ女性は、紅梅と蝋梅が庭先に咲く家の元住人だった。
女性は中学まで住んでいた実家を出たのは、姉弟のように育った愛犬が蝋梅の種を誤って口にしてしまい中毒死したという。蝋梅の樹は、祖母が育てていた紅梅の横に、植えられたという。
「祖母は庭先に蝋梅を植えるのを反対していました。毒があるからと」
 僕は、蝋梅の写真を撮らせてもらったお礼と、蝋梅の毒の話が聞きたいとお茶に誘った。
「でも、新しい母が、きれいだからと紅梅の横に植えました」
 女性のヘーゼルの瞳に闇色が加わった。
「紅梅は祖父が、私の母が生まれた記念に植えました。だから、義母は、その痕跡を消したかったのだと思います」
「梅の花を、蝋梅で?」
「ええ、あの甘美な香りと気高い姿で、紅梅を覆いかぶせてしまいたかったのでしょうね」
 そう話す女性の姿は、黒豹ではなく捨てられて震えている子猫のようだ。

紅梅


 春先に出会った梅とつく二つの花。
 一つは紅梅。樹齢六十年以上で、艶やかの紅い花を身にまとっていた。もう一つは、蝋梅。梅という名をつけてはいるが、梅の仲間ではない。その黄色く可憐な花を携えて、梅の仲間になりたいと必死でもがいていた。
 紅梅の優美で艶やかさに嫉妬しながらも、蝋でこしらえたような花びらを開き、慈しみ、愛されようとあがく姿が、僕が撮った写真の中にあった。

                                 了
 


#シロクマ文芸部 #梅の花

今週も、企画に参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。


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