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深き眠りを覚ますもの #シロクマ文芸部

    布団から子どものように片手を出し、静かな寝息をたてている君を見つめる。
ちゃんと寝ていることを確認すると、僕は食糧調達へ出かける。
    君が満足感を味わえる物は与えることなんかできない。ただ、生きていくことはできる。それだけで十分だろう、違うのかい?
    部屋に戻ると、君はまだ布団から出ることもなく、部屋を出た時と同じ状態で眠りについたまま。もう起こした方が良さそうだ。揺り起こそうと思ったけれど、気持ち良さそうに眠り続けている君をおいて外で食べることにした。
「もうそろそろ、起きたらどうなんだ」
と、怒鳴り付けてやりたくなる。

「私は、あなたの何?」
「何って、彼女だろ?」
「そう、彼女よね。付き合って4年のね」
 君は、ここ数ヶ月ずっと僕に対して怒っていた。その怒りの原因もわかってはいるが、その先に未来が見えない。そんな状態で、僕にどうしろというんだ。
「一緒にいる意味がある?」
「何が言いたい」
「私と、一緒にいる意味があるの?」
 そう君に問われて、僕は顔をあげることができなかった。
「結婚式がしたいのか?」
「そういうことじゃないわ」
「それじゃあ、苗字を変えたいのか?」
「なんで、そんな考え方しかできないの?」
「この4年、一緒にいたじゃないか」
 君は切なげな視線を僕に向けながら訊いた。
「私を、愛していた?」
「なぜ、過去形で訊くんだ」
 君は、職場近くの公園ベンチでサンドイッチを見つめながら言った。
「あなたは、私と出会った4年前から、私を愛していた?」
「今さら何を言っているんだよ。僕らはずっと愛し合ってきたじゃないか」
「それは、身体の繋がりだけで、あなたから愛していると言われたことはないわ」
「言わなくともわかっていると思ってるから、言わないだけだ」
 僕は君の手からサンドイッチをひとつ取り上げると、勢いよく頬張った。
「私は、あなたと出会った4年前からずっと愛していた。だけど、私にはあなたの心が見えない」
 君はそう言って、先の見えない眠りについてしまった。

「翔吾くん、今日も来ていたんだね」
「はい。僕にはこれぐらいしかできませんので」
「しかし、もうすぐ妻も来るから帰ってくれるかな」
「わかってます。ですが、もう一度考え直していただけませんでしょうか」
 そう懇願する僕に、君の父親は冷めた視線を寄越して言った。
「もう、これで終わりにしよう」

 君は僕を愛していたと言った。僕も君を愛していた。それは疑いようのない事実だ。だけど、心の中まではお互い見えない。君が言った『愛していた』の言葉。本当に愛していたのなら、生活をともにするだけが愛ではないはずだ。離れていても心が通じていればいいはずだと、僕は思っていた。

    君は僕を待つあのベンチで、長い眠りについた。
「私たち夫婦は、やっと決心したんだよ。もう終わりにしたい」
「お願いです。あと一日、24時間だけ待ってください」
 君が臓器提供の意思表示をしていた事実は知っていた。ご両親も承知の上だとわかっていても、僕には諦めることなどできない。
 僕は、君に伝えていないことがあるからだ。眠りから目覚めて僕の目を見つめて欲しい。お願いだ、この布団から抜け出して僕の元へ来て欲しい。
 僕は強い想いを込めて、君の手を握った。
 もう、自発呼吸もできない君の寝息の代わりに、機械音がリズムを刻んでいる。僕は、点滴のために布団から出ている左手を握りしめた。それから、君の耳元へ顔を近づけた。
「一美、聞いているなら返事をして欲しい」
 ピッピッと繰り返される機械音。
「君の質問に答えるよ。だから、目を覚まして欲しい」
 君からの返答はなく、ただピッピッと機械音が響くだけ。
「一美、愛している。出会った時からずっと、だから目を覚ましてくれよ」
 
 布団から君の残り香が漂ってくる。君が気に入っているシャンプーの香りだ。数年前の布団から漂っていた香りは消毒液の匂いだった。
「今日は天気がいいから布団を干そうか」
「あ、あ、あり、がとう」
 君が、一生懸命に笑顔で答えた。
 
                               了

 

今週も参加させていただきます。

#シロクマ文芸 #布団から


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