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摂食障害「自助グループ」について思うこと

こんばんは。
寝られないのでぽちぽちと思うことを書いていくことにしました。

さて、今日はタイトルにあることについて話そうと思います。

以前私は埼玉にある摂食障害の自助グループに参加しました。
核となる人物が、摂食障害の当事者だった人で
少しでも居場所を作りたいと参加を始めた『たちあおい』。
実は今もう活動を辞めてしまったようなので誠実性を持たせるために名前出してますが、団体を否定する気持ちは全くありませんのでご理解ください。

2019年12月29日、この日を明確に覚えています。
勤めていた公立中学で激務とストレスと摂食障害とで適応障害、鬱の診断を受け、その年の11月から病休をいただいていました。
家にいる時間が増え、自分と見つめ直すことができた反面、過食嘔吐に拍車がかかり、もう自分では止められませんでした。

心療内科の薬も飲んでいましたが、副作用で吐き気がひどく飲み続けられない、、、
食べる→吐く→胃にスペースができる→食べる→吐く
の無限ループで一日中過食嘔吐を繰り返していたし
お金も使うし時間も使うし体力も使うし。
なにより、
吐き終わった後の罪悪感と自己嫌悪が酷くて、ひどい鬱状態だったと思います。

でも人からどう見られるかだけは非常に気になり、ゴミ捨てに行くのもコンビニ行くのもフルメイクじゃないと外に出られなくて。
友達が気晴らしにショッピングに連れてってくれてもカフェとかでカロリーが気になってこわかったけど、「一般人のふりをしなきゃ」と無理して笑って家で反動来て過食嘔吐→ぐったり。
そんな日々を送ってく中、本当にとにかく毎日死にたくて、この生活から抜け出したいとだけ考え続けていました。

実際、その時も
医者から出てる薬を一気に飲んだり、首吊ったり、リスカも相当色々やってたんですが
全部うまく?いかなくて。

この12月29日にたちあおい宛に一通メールを送ったんですよ。
こんな過食嘔吐なんかで死にたいなんておかしいかもしれないけど、もうこんな生活を送ることが辛くて苦しくて、何度も死のうとしたけど
最後に縋るアテがないかと
埼玉 摂食障害
で検索したら出てきたたちあおいさんにメールを送りました。
助けてください。

こんな支離滅裂な内容を送ったにも関わらず丁寧に
「生きててくれて
 たちあおいを見つけてくれてありがとう」
と言ってくれた代表の方。(名前は伏せます。)

嘘偽りなく、その返信のメールに涙が出たことを覚えています。

その方が一度当事者の会に来てくださいと誘ってくれたので参加したのがきっかけで
当事者の会やお絵描きの会などに参加するようになりました。

そこで初めて
『私だけじゃなかった』
『みんな味方なんだ』
と思えて非常にありがたかった。

ただ私の弱い部分として
『どうせみんなもやってるし』
『あの人はもっと細かった』
という感情も芽生えてきてしまってより深く摂食障害に「ハマって」いったきっかけになりました。
実際たちあおいに行ってる時が一番症状が酷かったです。

そして忘れもしない当事者会で言われた言葉。
それは非嘔吐過食の方で上手く吐けないからチューイング(食べ物を噛んで飲み込まず吐き出す)をしてしまう方だったのですが
「せさんは吐けて羨ましい」
という言葉。
衝撃でしたね。

あとは完全拒食の方で許可食(食べて良いものや時間などその人独自のルールがある)もある方で生理が止まってもう15年になるという方が
「生理が戻ってきたら、太ったという証。一生戻らなくていい。」
これも衝撃でした。

もちろん先に述べたとおり、メンタル面では支えがあったので、悪いことだけではなかったです。

新しい価値観に触れると言ったらいいように聞こえるかもしれませんが、この病気を抱えていない人から見れば、理解がし難い内容に思えますよね。
ただこれが、摂食障害の現状なんですよ。

ただ食べられないだけ。
ただ太るのが嫌で吐いてるだけ。
じゃないんです。


自分に自信がない。自分なんか価値がない。
唯一自分を褒められるのが体重だけで、
人から評価されたい、認められたい。
完璧でいなくては嫌われてしまう。

誰に言われた言葉でもなくて
自分が自分にかけた呪いにずっと支配されながら
強迫観念の中生きている
のです。


相当辛いですよ。
普段は先生やってるから生徒と笑ってますけどね。
仕事の時に泣いてられないですから。


話が逸れましたが(毎回逸れてる気する)
『自助グループ』という存在は各個人にとって、良し悪しがあるものだと思います。
私は結論から言えば、合わなかったんだと思います。悪化しちゃったからね。
けれどそれによって救われている人もいることも事実です。


こういう相性?みたいなものは
各個人と各個人の相性なので
一概に、私が合わなかったからダメとか、あの人には合っていたからあなたにもおすすめとか
そういう話じゃないんですよ。

病院も同じ。
特にメンタル疾患の場合、医師の合う合わないは、めちゃくちゃあると思います。
私一番最初に行った病院で
「もう食べたくないんです、だけど食べて吐いてしまうんです」と泣きながら訴えました。
そしたら、そこの先生は
「食べたいから食べるんでしょ?意味がわからない」と言い捨てました。
いまだに殴りたい笑笑

私は今もう8年目です。
摂食障害については「治す」んじゃなくて「手放す」ことができる日がいつかくると信じています。
60歳くらいになったら体力も落ちて吐くことも無くなるかなーとか漠然と思ってます笑

この手放すという言葉はたちあおいで教えてもらいました。
今は大事な命綱でずっと握っているけど、いつか地に足つけて立てるようになったら手放せるだろうって。
夫が昔付き合っていた頃に「今せちゃんには過食嘔吐が必要なんだね」と言ってくれたんです。
なんか病気というより友達みたいな感じですよね笑

私も「手放す」という言葉の方が「治す」より腑に落ちたんですよね。風邪と違って薬飲めば治るものでもないし。


たまにYouTubeなどで
「摂食障害克服アドバイザー」という発信をされている方が居ますよね。
はじめに言っておくと、その方たちを否定しているわけでもないです。その方たちも相当辛い思いをしたんでしょうから。
だけど私は
人それぞれ症状の差や思い、辛さ、苦しみって違うもので。生きてきた環境も人それぞれ違う中で

「自分はこういう方法で治りました!だからあなたも治りますよ!試してください!」という発信についてはこわくないのかなぁ
と純粋に疑問に思います。