挽歌(ばんか)二本のコナラの樹

さき さなえ
 

雪の日


 
私はこれまでの23年間、貴方たち二本のコナラの樹と共に暮らしてきました。
今の住まいに入居したその日、ベランダのすぐ真ん前に、周囲にそびえ立つ沢山のケヤキの樹々、その中に埋もれるように貴方たちは居た。とても心細く、頼りなげに見えました。
だって、幹もまだとても細く、高さも低くて、その目立たないことと言ったら……。そんな貴方たちと私は、初対面の挨拶を交わしましたね。初めまして、どうぞよろしく。
毎朝カーテンを開けると、ベランダ越しに、真っ先に私の目に飛び込んでくる貴方たち……。
 
 
貴方たちを取り囲む立派なけやきの樹々も素晴らしい。でもね、私は、初対面で、貴方たちにとても親しみを覚え、愛おしい気持ちが心の中からわき上がってきたのです。
 
23年間、かくも長い年月を、貴方たちは順調に育ってくれ、夏の猛暑にも耐え、秋の紅葉は、ただ見事。赤や黄やあかね色の葉をまとって、あまりの美しさに、私は身じろぎひとつせず、ため息をつきながら、うっとりと、いつまでも見飽きることがなかった。
冬、雪が音もなく降り積もってゆく夜、私は厚着をしてベランダに立ち、暗闇の中で、貴方たちが、静かに、真っ白な衣装に衣がえをしてゆく様子を、いつまでも見つめていた。
そして……新しい、沢山の小さな若芽が萌え出る命の季節、春がやってくるのです。
 
 
四季折々、私は、貴方たちにどんなに癒され、幸せにしてもらったことでしょう。
私は毎日、貴方たちに、まごころを込めて、愛と感謝の挨拶をしておりました。
 
 
23年経ち、貴方たちは、周囲のケヤキの樹々に全く引けを取らない、たくましくて立派な高木に成長しました。もうどこにも、あの頼りなげな貴方たちはいない。
 
 
2023年、今年も夏を迎えました。
少し異変を感じたのは、7月に入ってからです。私以外の人には、一目見ただけでは決して分からないと思いますが、貴方たちから、いつものエネルギーが感じられなかった。おかしいと思った。
 
 
8月に入ると、誰が見ても分かるほど、貴方たちはあれよあれよという間に、どんどん葉が枯れ始めて来ました。
 
どうしたの?どうしたの?一体どういうことなの?……
今夏は確かに記録的な猛暑が続きました。酷熱の夏だった。でもそれが原因なの?
暑さに負けたの?それとも寿命だったの?……
 
 
そしてある日、朝、カーテンを開けて貴方たちを見た瞬間、私の目に入ってきたのは、幹に巻かれた赤いリボン。私は絶句した……。
 
赤いリボン!
これが何を意味するか、私は知っている。そう、以前、この団地の中で数本の木が、同じように赤いリボンで結ばれているのを見たことがあるから。
 
それは…………
 
近いうちに…………根元から…………伐採される運命にある、ということ………………。
私の目の前から、貴方たちが、永遠に消え去ってしまう、ということ………………。
  
 
季節は巡り、9月がやってきました。
間もなく、哀しい「その日」がやってくる。私には、貴方たちを救う手だてが何もない。
なすすべもなく、「その日」をただ待っていなくてはならない。
 
仕方がない、と言う言葉。
諦め、と言う言葉。
これらの言葉を自分に言い聞かせながらも、寂しい。とても寂しい。たまらなく寂しい。
 
 
貴方たちに惜別の言葉を捧げます。
「23年間、本当に本当に有難う。愛しています、心から」
 
二本のコナラ。幹に巻かれた赤いリボンの端が、私の目の前で、風にひらひら揺れている。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?