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私は40(歳)になった。

夫がアメリカに『出張』中に、久々に実家に帰ることにした。
所用を終わらせて、家でも仕事ができるように仕事用具一式を愛車に積み込んで、いつもの山道を走らせて家まで帰る。

帰って両親と私の3人で、やれお前の旦那さんは飛行機が好きなのか、やれ体型はどうなったとか、たわいない会話をしながら食事をしつつ、話題は近所のおばさんの話に移る。

「あのおばさん、施設に入ったんやって」

以前、帰った時に転倒したことがきっかけであまり動けなくなった、ということを聞いていたが、ご家族の諸事情により、介護施設に入居したとのこと。

「それきいて、なんか実感したと言うか、ついに来たなって思ったんよ」

ついに来た。
それは『本格的な老いと介護が目の前に来た』である。

ーそもそも。

私は一人娘ゆえ、それこそ10代の頃から(どんなに親を毛嫌いしようが)介護の負担が自分ひとりにかかるのは覚悟はしていた。

まだ実家で過ごしていた頃、東京・大阪で仕事をしたいと渇望していたこともあったし、(今だから言うが)東京での仕事のお誘いもあった。しかし、いざ地元に帰ることになったとき、職場はすんなり実家に戻してくれるだろうか。帰ってきて仕事はできるのか? 親身になって力になってくれる人はいるのか?

まだまだ女性に対して風当たりの強い世の中。
最悪、自分一人でも世の中に対処する力をつけなければと、ずっと自分なりに考えていた(実は、高校時代に介護業界への就職も考えていたこともあったが、両親から強烈な反対を受けている)

親は、私よりも抜かりなく対処はするだろうが、それでも限界はあるし、嫁ぐにせよ嫁がないにせよ、最終的にすべて対応しないといけないのはなんにせよ私になる。

そのことを考えて、仕事の形態も考えてきたつもりだ。
松山に所在を決めたのも、実家と行き来しやすく、かつ首都圏にも行きやすいところで、新たな『道』を開拓したかったためだ。

松山に来たばかりの頃は、生活に厳しい時期もあったが、時代の流れの力も借りて(まだまだな部分はあるが)自分の理想に近い仕事形態にすることはできた。

でも、それができる=新たな覚悟の開始、でもある。

(お世辞抜きで)美形だった両親は、今や仄かに面影として残るほどしかなく、腰は曲がり、筋肉が落ちたのか足がやや細くなり、つややかな髪はすっかり褪せて抜け落ちてしまった。口に話題にすることは健康ネタばかり。そして、「脳の老化防止」と言いながら、ナンプレ本の問題をこなす。二人でああだこうだと悪態つく姿は昔と相変わらずだが、その姿は完全たる「おじいちゃんおばあちゃん」。

(そーいや、家の回りも荒れた田畑が増えたわな…)

なんとも言えない気持ちになりながら、父から頼まれたメルカリへの出品の対応の準備をしていると、ふと母から相談される。

「嫁入りのときに持ってきた着物をなんとかしたいんよ」

「終い支度をせんといかん」と言いながら、嫁入り時にまつわる思い出話をポンポンと話してくる。

私としては、あまり好まない時代の『常識』の話なので、シャットアウト気味に聞いていたが、突然、「某中古引取店に持って行こうか」と言い始めた。以前、知人が着物を売って数十円にしかならなかった話を聞いたことを思い出し、やめろと引き止める。

「そこまで思い出深いもんを古いとはいえ数十円で…ってなったら気分悪かろがね(気分悪いでしょ)。メルカリかヤフオク出品したら?というか、二人とも私よりも余裕あるんやし自分らでやりや。教えるわ」
「最近やったらスマートフォン使わないかんのやろ」
「やっすいの買やええやん」
「めんどい。ガラケーでええ」

スマホ嫌いな両親らしい反応。

「はいはい。とりあえず準備しといて。次帰ったらヒアリン…やない、売りたいもんについて詳しく聞くけん」

何かをしないと行けない時期に来たとはいえ、では私はすべきか、というと正直何も思いつかない。

何ができるかはわからんけど、とりあえず、まずは今度帰ってきたら、LP(ランディングページ)制作で培った力を使って、メルカリで着物を出品してみようかと思った2019年の冬の始まり。

私は40(歳)になった。



※写真は実家で咲いている椿です。
※書いてる時に流れてきた曲をBGMに。



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