見出し画像

大企業(大手生保)の年収を捨てて、コーチングを学ぼうと思ったきっかけ

数ある記事からこの記事をご覧いただきありがとうございます。
私は2023年の6月に6,000人規模の生命保険会社を退職して、現在はフリーランスで20、30代の金融業種向けのコーチングをおこなっております。
まずは、そんな自分がなぜ高い年収を捨ててまでフリーランスになったのか経緯を記載していきます。

当時の就職活動の軸

2018年に大学卒業と同時に前職である大手の生命保険会社に入社しました。
当時の新卒は230名ほどで、東京の大きな研修室で230名が集まって、1ヶ月間のビジネス研修を行いました。

当時の就活の軸は、「働きやすい環境」と「人の温かさ」の2軸で就職活動をおこなっていました。
「働きやすい環境」というと、私の中では「ワークライフバランスが保てる」、「家賃補助が手厚い」などの自分主体のものでした。
「人の温かさ」については、バイト時代の先輩が2名会社に在籍しており、その人たちから話を聞いたり、人事の担当者やリクルーターの人を通して温かさを実感していました。

運よく内定をもらって、多くの同期に囲まれ、しかも憧れだった東京での仕事ということもあって当時はウキウキでした。

入社してからの業務

最初の配属はコールセンターでした。
基本的に電話対応は委託会社に任せていただのですが、当時の会社の方針もあってお客様の生の声を聞く機会が少ない社員も電話対応をしてほしいとの要望がありました。

毎日40本くらいの電話を取っては手続きの案内をして、17時か18時くらいには帰宅するような毎日を1年くらい続けました。
正直業務の内容は面白い訳でもなく、手応えがあった訳でもなく、どちらかというと、この時間も同期の社員は毎日成長していると感じると少しの焦りや不安を感じる方が大きかったです。
それでも同じ業務をおこなっている同期20名と励まし合って1年3ヶ月ほど業務を行いました。

次の配属は大阪になり、契約の審査の業務を行いました。
審査の業務はどちらかといえばお客様のためというよりは、会社の健全性を保つための部署だったので、責任持って取り組むことができました。
1チーム3人で仕事をしていましたが、上司のかたも人情に厚く仕事ができる上司と、温和だけど責任感が強い上司に囲まれ、順風満帆な会社員生活を送っていました。
強いていえば業務内容がコアすぎて、もし転職活動をすることになったときにどんなことが活かせるのだろうかと悩んだこともありましたが、業務改善の活動や、育休明けの方の指導も行ったのでポータブルスキルとしても養えた感覚がありました。
そこで2年7ヶ月ほど業務の後、また転勤で静岡に行くことになりました。

運命の静岡での営業

なんとなくずっとこの会社にはいないだろうなと考えていたこともあって、いつか転職をするだろうと考えていました。そこで1度営業はやっておきたいなと思って、少し上司に話をしたら、あっという間に営業になりました(笑)
今考えると営業職の希望が少なかったから、すぐ営業になったのだと思います。
しかも勤務地は全くの縁のない静岡。
ただし、転勤に関してはこんな機会がないと地方の魅力を知る機会がないし、結婚をしたタイミングでもあったので、夫婦二人の時間を大事にしようという思いはありました。
営業配属前は、「月末は契約書持ってくるまで帰ってこれない」や「数字数字で疲れる」といったことを聞いていて覚悟はしていたのですが、地方ということもあって、社員はほとんどエリア採用の社員ばかりで優しい方ばかりでした。また、上司の方も他の支社から羨ましがられるくらい有名な上司で、仕事もするし配慮もある優しい上司に恵まれました。
仕事内容としては、保険代理店の店舗や事務所に赴き、商品説明やシステム維持のための対応等を行っていました。
最初は何もわからずただがむしゃらに業務をやりながら覚えるような感じで、土日の休みに電話にでないといけないことが慣れずに少し苦痛を感じていました。ただ、生命保険会社が多数ある中で、自社の細かな強みを伝えること自体にやりがいは感じていませんでした。また、お金を貯めたいという要望に対して、貯蓄型の保険を案内したりもするのですが、利率はよくなくしそれなら積立NISAをした方がいいと思うことにもモヤモヤした毎日を過ごしていました。
さらに代理店と仲良くなると、「実はもっと他のことをやりたいけど、お金が心配だしやめられない」とか「今まで保険のことしかしてこなかったから今更他のことできない」等の悩みを聞く機会が増えてきました。

転機

一年位営業をやった時から、転職活動を始めました。保険商品自体好きでもなかったので、今度は興味のある分野で働きたいと思って、人材系(キャリアアドバイザー)の職種を応募し始めました。
元々、人の人生やキャリアとかには興味があって、営業時代も自然と相手の話に興味を持って聞いていたので楽しそうだと思いました。

会社を退職することについては、年収面ではもったいないと思いましたが、「私の人生は1度きり、お金のためだけではなく自分のやりたい仕事もして、人生最高だったと言いたい」と思ったため、決断できました。
なぜなら、寝る時間を考えると人生の1/4~1/3程度は仕事に費やすことになります。その仕事にやりがいや情熱、価値観に合わない仕事をしていくと考えると苦痛だなと思ったから決断ができました。

しかし、就活の結果は惨敗。当時の面接担当者から「泥臭く粘り強さが感じられない」だったり、面接中に今後のアドバイスをもらうことになったりとかなり落ち込みました。
そんなときに、自己分析とかの動画を漁っていると八木仁平さんという方が自己理解の動画を出しているものが目に入りました。Youtubeでやってくれたワークを行うのと同時に無料セッションの依頼をしました。
当時の自分は自己啓発にお金をほとんど使ったことがなく、大金を突っ込んでも良いのかとても迷いましたが、「やりたいこと探し終わらせたい」と思って申し込みをすることになりました。
そこで初めてコーチングというものに触れることになりました。
当時のコーチの方と一緒に進めて行くことで、一つ一つがとてもクリアになり、自信が持てるようになりました。
「その人本来のやりたいことを一緒に探しに行けるってめっちゃ最高」と思って自分もコーチになりたいと思ったのがきっかけでした。
当時は自己理解も好きだなと思ったので、自己理解のコーチになろうと思ったのですがタイミングが悪く、コーチの募集を締め切ってしまいました。

現在の自分

退職から半年くらい経過しましたが、自己理解プログラムで自分のやりたいことは「やりたいことや自分の適性がわからない人に対して、その人の輝く原石(価値観・才能)を見つけ、人生夢中で送ってもらいたい」と思っています。そのために、
・コーチングスクールでコーチングの基礎から応用まで学びながら実際にコーチングを提供したり
・国が求めている人材やキャリアのことを体系的に知り、理解するためにキャリアコンサルタントの試験を受験したり(結果待ち)
・自分も人生夢中で楽しいことをやりたいと思って、ずっとやってみたかったテニスのコーチのアルバイトを実践したり
・人生を楽しく生きるために必要な知識を学び、広めるために書籍を50冊以上読んだり
と自分のやりたいことに向かって進んでいる感覚があります。

これからの自分

これから具体的にやることは、「金融業界で働いている20〜30代に対して、価値観や才能を明確にして、人生をより自分らしく夢中で送ってもらうようにコーチングしていく」としています。
自分自身も金融機業界で働いたのですが、金融業界はビジネスの特徴上、年収も高くなりがちで世間からの認知度も高いため新卒の就活時に飛びつきやすい業界なのかと思います。
ただし、自分の価値観を明確にしないまま働いているとどこかで違和感を感じるタイミングが出てくるのは避けられないと思います。
そんな同世代の人たちに向けて、より自分らしく夢中で人生をおくってもらうために価値観と才能を明確にしていきたいと思っています。
ここまで長々とご覧いただきありがとうございました。
少しでもどなたかの励みになれば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?