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「桜の咲いた庭を眺めて、呟いていました」

三月は強化月間、九月は予防週間
な〜んだ?


※性質上暗めのお話です。ご注意ください。



きぼうのきせつ

昔から三月の魔力に魅せられています。

春という季節は希望に満ち溢れています。
門出、出発、出会い……。外を歩けば花の香り。暖かな陽気。ぴかぴかの新品が闊歩し、世界はキラキラと輝く。

どこもかしこも新年度に向けて浮き足立っているということは、この時期にお店屋さんへ行けば否が応でも感じられると思います。
お客さんも店員さんもみんなソワソワ。だって、みんながみんな希望の春が楽しみで仕方ないのです。


では、自分は?


自分だけが置いていかれる感覚を浮き彫りにする三月。
目を背けてきたものが目の前に現れる三月。 

世界に色が付くのも三月です。
なぜなら花がいっぱい咲き始めるからです!

自覚のなかった人が一斉に「世界ってこんなに美しいんだ」と感じる季節、三月。自分あなたは美しく生きられてますか?どうですか?

……そうですか。では、そうするしかないですね。


わたくしごとですが


復学を控えた三月某日、私は誰もいない地下鉄で電車を待っていました。

「○番乗り場を急行電車が通過致します」

そのときは本当に深く考えず、誰も見てないから少しだけ前に行ってみようかな、くらいの感覚でした。
ホームの最前で浴びた地下鉄の風は信じられないくらい爽やかで、この風を永遠に感じていたいと思うほど心地良いものでした。

電車の灯が見えた時に頭をよぎったのは

いま足を踏み出せば楽しいな

というものでした。

あの高揚感は今でもありありと思い出すことができます。
今にも昔にも「死にたい」なんて思ったことは一度もありませんでした。その時初めて、自殺する人の心情が理解できた気がします。

急行電車はものすごいスピードで目の前を駆け抜けて、呆然としている私を置いて行きました。



じさつと、さくら


夏休みの終わる八月最終週から九月の第1週にかけて、自殺者が最も増えるというのはよく知られたお話だと思います。ですが、月別で最も安定して自殺者を産んでいるのは三月です。

三月はそういう「きっかけ」みたいなものがそこらじゅうに転がっているのでしょう。
卒業の別れ、新年度への不安、自律神経をいじめる三寒四温…………

それと、忘れちゃいけないのが桜の存在ですね。


春を希望たらしめているのは桜の存在が大きいと思うものです。
満開の桜で連想するものといえば、合格、入学、花見などなんとなくウレシイものが並びます。

あととにかく美しい!世界の解像度を上げてから見る桜は輪をかけて不気味です。こんなに美しく咲く花がこの世にあるのかと我が目を疑ってしまうほど。

桜は儚く、淋しいものでもあります。

江戸時代には、桜はすぐに散ることから不吉なモチーフだった……という話はよく聞きます。
たしかに桜ほど盛大に散っていく花は他に思い当たりません。美しく派手でセンセーショナルな散り際だからこそ不気味な逸話もくっついてきたのでしょう。

あの美しい桜吹雪を見て、いずれ自分も散ってゆくのだなと考えてしまうのも無理からぬことです。
しかし桜に共感するのは思い上がりといっていい。こんな綺麗に散ることなんてできやしないのにね。

たとえ人が後を追ったとしても、散った桜は葉を茂らせ次の春には再び美しい花を咲かせます。

なんて魔性!



さくらと、こわい


桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!

このインパクト。しびれますね。
「櫻の木の下には」の冒頭ですが、精神を病んだ人が本当に言ってそうな具合がたまりません。

あと桜を怖がる話といえば、坂口安吾の「桜の森の満開の下」ですね。

桜の下に死体‪が埋まってる!みたいな都市伝説めいた言説ではなく、事実としての桜の恐ろしさ、舞台背景としての桜の恐ろしさを淡々と描き出しています。
降りしきる桜吹雪の中では読者ですら正気を失ってしまうような、そんな迫力があります。

初めて読んだ時は「桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります」という一節にあまりピンと来なかったのですが、森見登美彦の「桜の森の満開の下」の挿絵を見て、その寂しさを想像できるようになりました。

桜の季節でも夜は寒いものです。
満開の桜の森、誰もいない孤独感、そして薄寒さ。
ひとつひとつは自分が確かに体験したものなので、それらが同時に存在するということは非常にアンバランスで不気味に思えました。

桜の名所において、満開の時期に人がいないところを私は見たことがありません。現代で「桜の森」的寂寥を味わうことは難しい。


はる、さる、日


三月は去る……とは誰が言ったか。
この世を去るともかかってて大嫌いですねこの慣用句。

何もかもが自分を置き去る。三月。

世界は美しい!
どれだけ目を背けようが、三月に首根っこを掴まれて対面させられるのです。世界は灰色なんかじゃない、彩り豊かでぴかぴかでキラキラで、それはもう美しく光輝いてるという事実に。そしてどうでしょう。春は素晴らしく見通しが良い!

見通しが良いので自分の未来もよく見えるわけです。
それが愛しいと思えるか、そうでないか。

非常に分かりやすい岐路ですね。
三月が希望に満ち溢れているのはこのためであり、三月が死で舗装されているのもこのためです。





いかがでしたか?


三月に含まれる激情の一端が、置いていく側のあなたに、少しでも伝わったら嬉しいです♪



暁を覚えず眠りこけているうちに三月は去って行きます。ですがこんな季節に起きてても鬱々とするだけなので、今日はもうおくすり飲んで寝よう 

土と眠ります

春眠ー!


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