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一つのゲームに人生を変えられた男①

 Broooock(ぶるーく)です。LOLというゲームのプロゲーマーを3年ほどやり、最近引退しました。そして、来年の春に慶應義塾大学に復学する予定です。

プロゲーマーやeSportsというモノを、漠然とした概念で認知してもらうよりも、ドキュメンタリーとして発信したほうが興味を持っていただけるのではないかと思い、書いてみました。3部構成を予定しています。


気づいたら僕の日常はゲームの一部でした。あ、間違えた。


 気づいたらゲームは僕の日常の一部でした。

幼稚園から帰ってきて、ポケモンのファイアレッドをやり、寝る前に父親に、

「ポケモンのレベル上げして~」

とお願いする。

これが思い返せる中で、ゲームに関する一番古い記憶です。



パソコンゲームと出会う話

 半年ほど日本で幼稚園に通ったときのことでした。父親と母親の日本での仕事が忙しくなり、僕は中国の上海のおばあちゃんのところに預けられることになりました。そこには4つ年上のいとこも住んでいまして、一緒に生活することになりました。

生活が慣れるまで一緒にいてくれるということで、最初は母も一緒に住んでくれました。初めて母親に上海の幼稚園に連れて行かれた日は、幼稚園に着くやいなや、僕が泣き出してしまったのを覚えています。

好奇心旺盛な年ごろだった僕は上海の家の物置部屋を漁りました。埃をかぶっているパソコンが隅っこで佇んでいるのが僕の視線を奪いました。そして僕はパソコンゲームとの邂逅を果たすことになります。


LOLとの出会い

 小学校2年生になり、いつも使っている、いとこのお下がりのPCから卒業し、おばあちゃんに新しいのを買ってもらえることになりました。おばあちゃんが鬼の形相で値切りをしていた光景は今でも鮮明に思い出せます。

マウスとキーボード、そしておばあちゃんの功績としてヘッドホンがついてきました。

 そこからの日々は常に何かのPCのゲームと共に過ごしていました。18時まで勉強し、帰ったあとは11時までゲームをする。そして学校のテストで一位を取る。そんな日々でした。今思えばこんなにゲームに時間を費やしてこられたのは、ずっと成績がよかったからだと思います。


 LOLとの出会いは必然なものだったと言えましょう。僕は小学校3年生の時からずっとWarcraft III(Dotaの元となったゲーム)をやっていました。このゲームは小学校3年生のときに、ネットカフェに行ったときに知りました。そして小学校5年生のとき、周りはWarcraft III に対して、熱量を段々と失っていったのです。そこでいつも一緒にゲームをしている、いとこに持ち掛けられました。

「新しく出たゲームであるLOLを一緒にやろう。」

と。


↓↓↓その時の中国のネットカフェはこんな感じです↓↓↓

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 いとこから勧められたゲームで、はずれのものは一つもありませんでした。メイプルストーリー、CROSSFIRE、SPECIAL FORCE、アラド戦記、どれも素晴らしい^^ゲームで、思い出として語るにはどれも一日じゃ足りないものばかりでした。僕はいつもと同じようにBaiduで、

「英雄联盟 下载」(LOL ダウンロードという意)

と調べた。そして一番上に表示された検索結果をクリックし、公式サイトを開き、250KBPSの速度でダウンロードを始めました。


LOLは面白くなかった

 DOTAは少ししかやりませんでしたが、大嫌いでした。その一番の理由は、スタート地点から、戦闘地点(レーンの真ん中らへん)までの距離の長さです。テンポが速いゲームしかやってこなかった僕は、ゲームが始まると同時に戦えるようなものを好いていました。

キャラクターを選んで、相手と味方のピックを待って、アイテムを買い、20秒ほどかけてレーンまでいく。めんどくさい。そしてなぜか樹を食うキャラクター。

このプロセスに時間をかけている間に、おばあちゃんに10000回くらいご飯できたよ、と言われるじゃないか、と当時の僕は思いました。



 ダウンロードが終わり、インストールして、ゲームを始めましたが、レベル7程度でやめてしまいました。僕がLOLにはまらなかった理由の主旨は、あなたがたが想像しますように、上記と同じものでした。

そして、僕はWarcraft IIIという古巣に帰っていきました。​​

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