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桜の木

近くの川べりに桜並木があります。落ち込んだ冬の寒い日。私の心はどんどん小さくなって、机の下にゴミのように丸くなったいました。膝を抱えて泣いてばかりでした。

冬の桜並木は枯れ木のようでした。寒風に身を凍らせ、耐えているだけの、ボロボロの枯れ木に見えました。

春先になって、まだまだ寒い日が続きました。空はどんよりとして風は冷たく、そして桜の木は、相変わらずボロボロの枯れ木のようでした。でもそばに近寄って見ると、ほんの少しだけつぼみが見えました。

その後、重い足取りで川べりの道を通ると、何気なく桜の木のそばに近寄りました。すると、小さなつぼみが、前よりほんの少しだけ膨らんでいるのがわかりました。

桜はすべてを知って、寒風に耐えていたのです!

もし桜の木がこう考えていたら、それはとても奇妙なことです。”ああ、あたしには何もない。ボロボロだ。花も葉も実も、何もないみすぼらしい枯れ木なんだ。誰もあたしを助けてくれない。寒空の中に見放されたままです。ああ、あたしは何て不幸なんでしょう!情けない枯れ木なんでしょう。生まれてこなければよかったのに”

桜の木は決してそう思っていません。どんなに寒い日が来ても、みすぼらしく枯れ木のように見えても、時が来れば必ず花が咲く。そして豊かに葉の衣をまとうのです。枯れ木のように見えて、決して枯れ木ではありませんでした。美しい花と青々とした豊かな緑をその内にしっかり宿しているのです。


これが自然の知恵というものなのだ。桜の木ですら時を知って、ちゃんと待っているではないか。泣くな、あたし。人生は決して悪いことだけじゃない。時が必ずあるのだから。桜は私よりはるかに自然の摂理を、自分自身を知っている。何という知恵者なのだろうと思いました。

桜はそれだけではありません。日本中から愛されているのです!日本全国、沢山の人たちから愛され、その開花を今か今かと楽しみにされているのです。だれにも愛されないなどと嘆く桜はどこにもありません。

桜の木でさえそうなのだから、泣くな、あたし。あたしだって、沢山の人から愛されているではないか。必ず花開く時を信じて、あたし、わが道を行け。

縮んだ心は桜の木に癒されました。心は、少しだけ大きくなりました。

今川べりの桜は豊かに、緑の衣をまとっています。

”私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、あなたは本当は豊かなのだ”
(黙示録2:8-10)

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