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徒然なる撮影日記

先日、最近のSNSでの投稿が変わってきましたね、と、とある写真家さんから言われたり。

どちらかというと、最近までが変えていたのだけどと、言われて気づいたりして。


とは言え、モデルになってくれる人を頼んで、人を撮るようになってから、より色々なことに気を付けざる得なくなったのは、思う。
プロの被写体モデルを撮って、慣れていないのもあり、時間の制約も場所の制約も考えると、それまである程度自由に付き合ってくれていた学生さんに、感謝と思うわけで。プロの方なので、ポーズとかは凄かったけど、それを撮り切れる腕が、全くなかった。写すことはできても、思い通りでは、なかった。可愛らしいかただったけど、うまく意図を伝えられなかった。というか、伝え方を間違えたのだ。

今考えれば、まず使ったレンズが間違っていた。
今なら、35mmだけで撮れる内容だった。
それと、望遠を少々かな。

モデルというのは、どちらかというと俳優に近いのだと、勝手に思い込んでいた。
気持ちを作り、表情を作るとか。
どちらかというとそういう人は稀で、表情を作って、気持ちが表情とか状況とか雰囲気に着いていく。つまり、撮る側の問題が大なのだ。

実のところ望遠で撮るという意味を、知らずに撮ってきていた。
というか、当たり前と思っていたので、考えもしなかった。

遠いところから、バストアップとか何をしているのか分かるように撮るため。

そういう場面というのは、よくあるシチュエーションで言うなら、運動会の走りものとか、演奏会を客席の一番後ろから撮るとか。つまり、ここから先は入れませんよという制約があって、仕方なく、そうしていたという感覚。

相手は何かをしているから、その一生懸命さとか、現れる表情とか、全て演者に委ねられていて、こちらは狙って撮るというだけ。それが私の当たり前の状況。


気仙沼セッション

それと被写体モデルを撮るということの差異が、どうも混同というか、いつも違和感に繋がっている。

ただ、姫乃いつきさんを撮るという時は、姫乃いつきを撮るという感覚だから、ほとんどそういう感覚にはならない。

あれか、推しを撮るみたいな感覚と同じなのか?


東北ポートレート所属 姫乃いつき

それで、この撮影では、中望遠で撮る、簡単に言えば、70-200で撮るということを課していて、状況的には、遠いからズームして撮るという場面もあったわけで。

頭では知っていたけど、例えば、ただ歩くという写真でも、どうしても演技が入ってしまうし、むしろ演技しに来ているわけで。

ただ、そうだとしても、委ねる度合いが望遠で撮るときは断然違ってくるし、何を切り取るかが、こちらに全て委ねられている感覚にも、なりやすい。


道を挟んで。200mm、だと思う。

やろうと思ってしていないのは、隠し撮り風に、離れて、街を歩いてもらうとか、何かをしているのを、ドキュメント風に撮るとか。
料理とか取っつきやすいかも。
いつきさんの場合は、服を作っているところとか、誰かのヘアメイクしているところとかかな。


Shooting Sendai 所属 宮田紬

よくやるのは、話しながら撮るという、インタビュー風な撮り方。
これは、良い時もあるけど、できれば光がコントロールできる環境を作ってしたほうが、良さそうだ。やりたいのは、出来ればカメラを意識させない、少なくするということで、物理的にではなく、精神的に忘れてもらうということなのだが、まぁ、難しい。絶対意識するし、仮に意識しないとしたら、それは「ポートレート写真」なのか?とも思う。だがしかし、それを撮りたいのも、本当のところ。

多分なんだけど、嘘を本当に見せるのではなくて、「本当を嘘に」見せたいのだ。いやいや、極端な言い方になってしまったな・・・。「現実に起こっていることだけど、レンズを通すことで、非現実的な美しさや強さや優しさを撮りたい」ということですかね。

え、いつ撮ったの?・・・と、言われたい。

とまぁ。

本当は、ホール撮影したので、そのことをでも思って書き始めたのですが、こんなところで。

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