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あのたび -おまえは何教だ?-

 旅行中、しばしば聞かれる質問が、「お前は何教だ?」と宗教を訊かれるものだ。英語ではレリジオン(Religion)という。この質問に日本人は本当に困る。明確に信仰している宗教がないからだ。

 また時流も悪く、ボクが旅行した2003年の少し前、2001年にニューヨークのツインタワーにイスラム過激派のテロで飛行機が突っ込んだ大事件が発生していた。全世界中でイスラム教は危険だという風潮が蔓延しキリスト教と対立していた。

 本来は人間を幸せにするはずの宗教が、逆に殺し合い憎み合うほどの不幸を生んでいる皮肉。自分の信仰するもの以外は認めず、敵として排除する。その矛盾が生まれるのはなぜなのだろうか。

 質問されたことで初めて、日本には一応仏教が広まっているが、小学校の道徳の時間に習ったモラルなどを守っているという点では神道を信仰しているのではないかとボクは考えた。しかしこのときは神道と仏教の違いを知らず、神社と寺は似たようなものだと思っている若造でしかなかった。

 そこで冒頭の質問には、ノーレリジオン(No Religion)=無宗教と答えていた。するとめんどくさいことに、「なぜ神を信じないのだ…」とひどく驚かれる。キリストの生誕から滔々と語られたこともある。確かになぜ無宗教で神を信じないのか、を明確に答えることができないのだ。

 ある旅人はブッディスト(仏教)だと答えると言った。仏教は他の宗教を否定しないしあらゆるものを認め受け入れ、タブーとして食べていけないというものはない。どの宗教の人が相手でも敵対することはない。まあ日本でも葬式は浄土宗式とかであるのであながち間違いではないし嘘はない。

 マラッカから30R(≒900円)のエアコンバスで、ペナン島へ到着する。北のコタバルから入国してちょうど時計回りにぐるりとマレーシア西半島を一周したことになる。

 このペナン島のジョージタウンには、歩いて周れる範囲に四つの宗教が混在する面白さがある。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の寺院やモスク、教会が建ち並んでいる。昔から海上交通の要衝としていろいろな人種が行き来していた影響なのだろう。それぞれの人々の暮らすエリアは別れているが対立することはなく同じ街の中で皆仲良くやっているようだ。

 マレーシアではムスリム(イスラム教)の人を多く見かけ、最初はびびっていたが、基本的には優しい。コーランには「旅人には優しくせよ」という教義があるらしい。日本にずっといたらおそらくイスラム教の人に対しずっと偏見を持っていたことだろう。

マレーシアルート(前半は左)

(つづく)


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