いじめはいじめるほうが悪い(1)〜勝手にひとを自分の心の安定に使っている〜

イギリスの学校でいじめ(悪意を持ち人を構うこと)があった場合は、加害者が指導を受け、場合によっては義務教育中であっても退学させられます。
退学となる場合は、州をいくつかのブロックに分けて行われる定期的な各学校代表者の連絡会議でケース報告され、次にブロック内のどの学校が受け入れるか相談されます。
「どうしても受け入れ先がない場合はどうなるの?」
学校教師をしている友人に訊いたところ、保護者も自ら受け入れ学校を探したり、ホームスクールに切り替えられたりすることもあるそうです。
とにかく被害者は徹底的に守られます。

わたしは2016年にツイッターでこう書いたことがあります。

「学校や職場いじめで本当に問題なのは、他者をいじめることを自制できない加害者のほう。被害者に強くなれと求めるのは見当違い。いじめ加害者のほうを問題視すべし。」

投稿ボタンを押す前に、キーボードの前で少しためらっている自分がいました。
なぜか。

いじめはダメなことという認識は広まっていますが、
「いじめられる方にも原因がある」
といった加害者側を正当化する詭弁もまだ多く見受けられ、そうした屁理屈のひとたちが纏わりついてくるかな、面倒だな、というくだらない懸念があったのです。
でも、当たり前の声を大きくしないといつまでも詭弁がなくならないよね、と考え、「エイッ!」という気持ちで書き込んだのでした。

いじめはかっこ悪い、いじめはダメ!という認識はずいぶん前から言われているし、2013年(平成25年)にはいじめ防止対策推進法が交付されてもいます。(しかし公文書の年代表示はいいかげんに年号だけでなく西暦と併記にしてほしい。平成25年って西暦何年だっけ?と確認する数十秒めんどくさかったよ…すいません余談ね)

(画像は2017年文部科学省のポスター)
↑これは大きな話題になった文部科学省のポスターです。やさしさが表現されていていいな、と思います。
このデザインの場合は、加害者の行為は悪いことだというメッセージは扱われていないようです。

↑こちらは、イギリスの小学校に貼られていたブリング対策のポスター。インパクトがあります。貼られている場所はトイレのドアの内側でした。廊下の掲示板などではない、トイレのドアの内側。被害者の子が誰にも見られずに電話番号をメモできます。被害者への配慮を感じる場所の工夫がよいなと思いました。「Bully」は、悪意を持ってひとをかまうことというニュアンスです。
トイレの内側のポスターは、加害者にとっても
「自分は悪いことをしているのだ、通報されてしまう。」
という心理的なインパクトもあるのでは、と思いました。

最近、あるクリニックの素晴らしい記述に出会いました。
東京都にある亀有メンタルクリニック いじめについて


いじめもパワハラも広義の依存症と言い切っています。
これを読んだ時、スッと胸に落ちました。
ハラスメントをするひとは、じぶんの欲求処理に他人を利用している。被害者に依存している心の病気という視点で見ると非常にわかりやすいと思いました。

本当にケアが必要なのは、加害者のほうなのです。
イギリスの学校では加害者が指導され、場合によっては退学処分があるという対処につながる考え方だと思いました。

気に入らない、合わない相手がいても、それを攻撃する必要はないのです。
話し合って気持ちを伝え合って仲良くなればよい。今はそれができないな、と思っても、ただふつうに接するのは最低限のマナー。そして悪意を持ってかまわれる被害に遭ったら躊躇することなく誰かに助けを求めてよいのです。学校はそういう行動を学べる場であってほしいなと思います。

それではこの辺で。

よい1日を!

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