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第二部「What is doping?」 Vol.3「血液ドーピング」

 最近は何を投稿するにも謝罪から始まっている気がするが,今回も同様に謝罪から始めさせてもらう。今年の3月1日に開始した禁止薬物の三部作のひとつ「What is doping?」であったが,実に2ヶ月も更新をしていなかったのだ。そもそも皆々様には忘れ去られていたレベルなのではなかろうか。なかなかインプット&アウトプットに係る時間が無かったとはいえ,ここまで間延びしてしまったことをお詫びしたい。

 さて,今回のVol.3「血液ドーピング」においては標記のとおり,血液ドーピングの解説をしていきたい。野球ファンとしてスポーツに携わってきた方にとっては名前だけ聞いてもあまりピンとこないのではないか。本章にて記す内容はあくまでも有酸素下における運動(マラソンや自転車競技など)に関するものとなることはあらかじめ了承してほしい。

①血液と酸素

 この稚拙な記事を読んでいる間にも,寝ている間にも,食事の最中にも人間というのは呼吸をしている。呼吸の最大の目的たるや酸素を体内に取り込むことだろう。細かい過程は省くが,酸素は呼吸によって肺から取り込まれ,血液から細胞,そしてミトコンドリアまで運ばれる。なぜミトコンドリアで酸素が必要なのかについては前章であるVol.2「アデノシン三リン酸(ATP)を作り出せ」を参照していただきたい。
 今ほど,血液から細胞に酸素が運搬されると記したが,これには語弊があるかもしれない。血液というのは大半が血しょうという液体から成り立っている。理系の方ならよく分かっていると思うが酸素というのは水に溶けにくいため,血しょうは酸素を供給する機能上としては非常に不向きな性質をはらんでいる。
 では実際には何が酸素を運搬しているのだろうか。その正体は赤血球の主要物質である「ヘモグロビン」という赤色のタンパク質である。「そんなこと小学生でも知っているぞ」と思われるだろうが,本章においてはこのヘモグロビンが大きな鍵を握ってくるため,しっかりと掘り下げさせていただきたいのだ。

②アスリートの命「ヘモグロビン」

 ヘモグロビンは1つにつき4個の酸素分子と結合することができる。ヘモグロビンは非常に興味深い性質をもっており,この結合した酸素分子を手放すタイミングを適切に選択することができるのだ。簡単に言えば酸素が十分に供給されている場所においては酸素分子をガッチリ掴んで離さないし,逆に酸素が欠乏している場所においては酸素分子をリリースして酸素を供給しているのだ。こうしたヘモグロビンの性質,酸素分子に対する「握力」が,効率的なATP生成の源となっていることは間違いないだろう。


 そして瞬時に多くの酸素を必要とするアスリートにおいてもヘモグロビンの重要性というのは揺るぎない。相手選手よりも酸素を効率的かつ大量にミトコンドリアへ供給できなければ勝負を制することは難しくなる。要するにヘモグロビンの量を増やすことができれば,それすなわち勝利へ直結するのだ。ではどうやったら血中のヘモグロビン量を増やすことができるだろうか。

③「高地生活・低地訓練法」

 アスリートなどが「高地トレーニング」と称して高地に赴き,トレーニングを行っているのを耳にしたことはないだろうか。高地においては空気中における酸素の割合は低地と変わらないものの,高地では気圧が低いために1回の呼吸における酸素の供給量というものが少なくなる。これを感知した身体は腎臓からEPO(エリスロポエチン)というホルモンを分泌し,赤血球の生成を促す。このメカニズムで血中のヘモグロビンを増加させることが出来るのだ。
 しかしこの「高地トレーニング」には大きな罠が潜んでいる。繰り返しになるが高地においては1回の呼吸における酸素の供給量が少ない。するとどうだろう,酸素が十分に供給される低地では可能であった高負荷のトレーニングができなくなってしまうのだ。ヘモグロビンを増やすことに心血を注いでも肺活量などは衰えていってしまうのである。
 その弱点を補うために編み出されたトレーニング方法が「高地生活・低地訓練法」だ。普段の生活は高地で行い,トレーニングの際のみケーブルカーなどで低地に降りるという奇抜な方法である。こうすることでトレーニングの負荷は保ちつつも高地での生活でヘモグロビンを増加させることができる。
 これをもっと単純化できないかと発明されたのが「酸素テント」である。低酸素状態のテント内で生活し,トレーニングは外で行えばケーブルカーを用いて高地に行かなくても同じ効果を得られるという考えから用いられるようになった。ただこの方法は各所から賛否の声があり,現在WADA(世界ドーピング防止機構)はオリンピック村での「酸素テント」の使用を禁止している。

 さて,いまお話したのはあくまでお行儀のいいやり方であり,あまり使いたくない言葉だが,スポーツマンシップ精神的にもそんなに問題ではない。WADAも「酸素テント」の規制などは重要視していない。むしろこれから記すことが本章のメインテーマである。

④同型輸血・自己輸血

 「高地生活・低地訓練法」も「酸素テント」も確かにヘモグロビンを増やすことが出来るという意味ではやる価値は十分にあるだろう。ただどうだろう,「そんなやり方よりも単純かつ効果的にヘモグロビンを増やすことが出来る」としたら食指が動いてしまうのがアスリートのサガというものではないか。それが禁じられた「血液ドーピング」だとしてもだ。
 2通りのやり方があるが,どちらも極めて単純だ。一つは同型輸血(ホモロガス)。血液型が同じドナーから輸血をしてもらうことで血液を増やす,すなわちヘモグロビンを増やすというやり方である。
 もう1つのやり方が自己輸血(オートロガス)。あらかじめ自分の体内から採血を行い,それを冷凍保存しておく。体内の血液量が従来の量に回復した段階で冷凍保存していた血液を体内に戻すという方法だ。
 どちらのやり方でも同様の効果が得られるが,その効果は先述の「酸素テント」などとは比にならないくらい絶大なのだ。この方法は1970~80年代に盛んに用いられたものの,現在では当然WADAによって規制されている。
 また同型輸血においては輸血をしてくれるドナーを探す必要があるし,自己輸血においては,採血後の血液が少ない時期に高負荷のトレーニングを行うことが厳しくなる。だが人類というのはそういった壁にぶち当たっても新たなドーピング方法を生み出してしまう

⑤EPOドーピング

 そこで生み出されたのがEPO(エリスロポエチン)ドーピングだ。先ほども説明したがEPOとは腎臓から分泌されるホルモンであり,赤血球の生成を促す働きがある。「EPOを注射すればいっぱいヘモグロビン増えるやん!」という天才的発想である。(元々EPO注射はエイズ感染者などの正常に血液を生成できない患者に投与されていた)当然,ドナーを探す必要も,採血も必要無い為,EPOドーピングは血液ドーピング界の王座に君臨している。これは単純なやり方という事に加え,元来EPOが体内からも分泌される物質であるためWADAによる取り締まりが非常に難しいという点からでもある。
 EPOドーピングが発明された当初は人の死体からEPOを採取していた為,コストが高く,細菌感染などの恐れもあったが,科学技術の進歩によって,安全で生産効率の優れたrEPO(遺伝子組み換えEPO)が開発されると多くのアスリートがEPOドーピングを使用するようになったのだ。
 かの世界的自転車レース「ツール・ド・フランス」で7度の優勝を果たしたランス・アームストロングも現役中にEPOドーピングを行っていたと告白している。

⑥様々な血液ドーピング

 EPOドーピングの規制が強化されはじめると,今度はまた新しいドーピングを模索し始める。(薄々気がついてきたと思うが,この流れは危険ドラッグの取り締まり回避と何ら変わらない。スポーツでの勝利の味とドラッグの快楽は案外同じものなのかもしれない。)

 まずご紹介したいのがエファプロキシラルである。この物質は冒頭に説明したヘモグロビンの「結合した酸素分子を手放すタイミングを適切に選択することができる性質(酸素分子に対する握力)」に作用する。要はエファプロキシラルをヘモグロビンへ作用させることで酸素が欠乏してる場所において,より酸素分子を手放しやすくさせることができるのだ。
 これをアスリートに投与した結果,確かに酸素をミトコンドリアへ供給する上では効率的に働いたが,これには大きな欠点があった。酸素分子を手放しやすくなる(握力が下がる)ということは,肺から酸素を受け取るときにも十分に酸素分子をキャッチできないということなのだ。結果として酸素の供給量自体が低下するため,総合的には効果が相殺される。

 次にご紹介するのが「代替血液」である。人工的に作られた血液…に限りなく似た物質と思ってもらって問題ない。現在,代表的な代替血液としてHBOC(人工酸素運搬体)PFC(パーフルオロカーボン)が名乗りをあげている。だがこの二つも毒性や拒否反応などで問題続出のため,はっきり言って当落線上にすらなっていない。

 まだまだ「EPOに酷似した人工ホルモン」などがあるがここまでにとどめたい。

⑦最後に

 近代スポーツの歴史はドーピングの歴史でもある。繰り返すが一部のアスリート達は規制を掻い潜り,新たなドーピングを模索し続けているのだ。
 少し前に,ロシアの大規模ドーピングに巻き込まれている様を収めた「イカロス」という映画を鑑賞した。そこにあったのは決して清く正しいアスリート達の葛藤などではない。勝つためであればどんなことでもいとわないというロシア政府・ロシア人アスリート達の汚れた信念であった。
 これは過去の話ではない。今のスポーツ界で起きていることなのだ。いつまでもアスリートの「スポーツマンシップ精神」とやらを信じているとオリンピックは注射器と輸血剤であふれかえることだろう。

次回はお待ちかね,アナボリックステロイドを中心とした筋肉増強剤の話となります。(投稿時期は1ヶ月くらいを見積もっといてね😔)

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