村の神様

 我が家はわたしの祖父の代から養蜂を営んでおります。そのわたしの祖父が初めて養蜂を始めたのが、あの村です。なんでも、養蜂を始めるのに適した場所を探して、最初にたどり着いた場所が、あの村の山だったんだそうです。
 我が家は元々は借地を耕して年貢を納める小作農でした。ですが曾祖父が反骨精神の持ち主だったらしくて、一念発起して息子だけは何とか学を修めさせようと働きました。曾祖父の息子――わたしの祖父ですね――も父の期待に応えて養蜂を一生懸命学び、あの村で開業するに至ったそうです。祖父はあの村に養蜂技術を持ち込んだ初めての人物なんですよ。
 祖父はあの村に引っ越し、開業するにあたり、「この村の山は日当たりも良く、草花をはじめ、自然が生き生きとした養蜂に素晴らしく適した環境だ! 是非、この山で養蜂を始めさせてほしい」という意気込みを、村民の皆さんに説明して回ったそうです。あの村の村民の皆さんからも、山の自然を生かせるなら是非、と言われ、大歓迎されたと言います。ですが村で養蜂を始めるや、その村が養蜂をするどころではない場所が分かったのだそうです。
 その村では、村全体で自給自足の生活をしていました。自分が田畑を耕し、育て、収穫した野菜やお米を、他の村民にも分けるという。閉め切った村の中だけで、村民達の人生が完結している状態だったそうです。
 あの村で開業した祖父もまた、村での慣習に倣い、自分の採った蜂蜜を村民の皆さんに分けて回りました。しかし開業から数年後、生まれたばかりの赤ん坊が蜂蜜を食べて、亡くなってしまうという事件が起きてしまったのです。
 祖父は糾弾されました。村民は「他人の子供に毒を盛るような真似をするとは」「赤ん坊が食べて死ぬようなものを作るなんて」などと言って、祖父を非難したそうです。ですが祖父も黙ってはいませんでした。祖父も予め、赤ん坊には食べさせないようにと警告していたと抗議しました。しかし村民達は、「こんな毒性のあるものを、神様に食べさせるわけにはいかない」と言って聞く耳を持たなかったそうです。
 今、神様と言いましたが、あの村では村全体で神様を祀っていたそうです。農耕と畜産の神様で、村で収穫した作物を毎日神様に供物として捧げ、村にいい恵みをもたらしてくれるよう、祈っていたと言います。神様に供物を捧げるのは、村民の義務と言っても過言ではなかったかもしれません。祖父も村で暮らしていた当時はずっと、村民のひとりであると同時に神様の氏子のひとりとして、神様に自分で採った蜂蜜を捧げていたとのことです。
 そんな村ですから、村民の「蜂蜜を神様に食べさせるわけにはいかない」という言葉は強く響きました。蜂蜜を村民に分けることと神様に捧げることが、祖父が村で生きていくことと同義だったからです。祖父は村で養蜂を続けるため、村民を説得しましたが、彼らは聞く耳を持ちませんでした。だいたい、赤ん坊に食べさせてはならないはずの蜂蜜を、注意も聞かずに生まれたばかりの赤ん坊に食べさせておきながら、「赤ん坊が死んだのはお前のせいだ」と言うのですから、祖父の苦労も当然でしょう。
 祖父は間もなく村民の説得を諦め、村を去りました。

   *

 この村にはおれの曾祖父さんの代よりも昔から、農業の神様が祀られておる。神様は村で穫れた作物がお好きでな、それをお食べになることによって、村にたくさんの恵みをお与えくださったんだ。それで村のもんは、自分達が村で作った米や野菜なんかを、毎日神様に捧げていた。
 村のもんが、田んぼで心血注いでやっとのことで作った米をたくさんの俵を背負って捧げに参った次の年なんかは、いい雪解け水や天候になって、例年以上の豊作になったって話だ。おれらはそんなふうに、昔から山を切り開いて田を作り、畑を耕して生活してきたんだ。
 でもおれの曾祖父さんの代になって御上が変わって、村のもんが都会に出稼ぎに行ったり、他の便利な街に出て行ったり、逆にどこの馬の骨かも分からんもんが入ってくるようになった。他にも土砂崩れや鉄砲水や、旱にも遭ったりしてな。なんもかんも変わってしまったんだ。そもそも、この村で神様の恩恵を受けられなくなったのは、余所のもんが入ってくるようになったかららしい。
 最初は馬鈴薯の時かな。この坂の下の家の子が馬鈴薯にあたって、激しい嘔吐をたくさんして、酷い目にあったんだ。まだ立って遊ぶようになって一年経つか経たないかぐらいの歳の子がよ。その子は辛うじて助かったらしいんだが。でもその馬鈴薯は村の神様への捧げ物の一つだった。村で穫れる作物だったからな。
 でも子供が食べて酷い目にあうようなものを、神様に捧げるわけにはいかない。だから村人皆で合議をして、馬鈴薯の家に警告しに行ったらしい。「そんな子供があたるような物を神様にお出しするわけにはいきません」と。そしたら馬鈴薯の家のもんに言われたんだ。「家は馬鈴薯で家計を支えている。もし馬鈴薯を捧げられなくなってしまったら、神様の恩恵を受けられず、いつ路頭に迷うかも分からない。坂の下には謝るし、何でこんなことになったのかは十分調べるし気をつけるから、捧げ物から外すのは勘弁してほしい」と。その時は坂の下も「分かった分かった」と言って、一旦は収まった。
 そうだ、山の下のあそこで鶏を飼ってるあの人達の先祖なんかも、おれの曾祖父さんの代に、この村にやってきた人達なんだ。あそこの人なんかはね、昔、おれのこの近所に住んでた娘に卵を食わせて、今でいう食中毒を出したんだ。酷い嘔吐や下痢で、何日も看病に追われて。それで死んでしまった。
 でもいけないことに、あそこの人達も神様の氏子に収まっていた。おれら村のもんとしては、そんな食中毒を出すようなものを、神様のお口に入らせるわけにはいかない。だから村で合議をして、あそこの卵を神様に捧げさせるのはもうやめようってことにしたらしいんだ。でも神様があそこで穫れる卵が大変お好きだから、わたしは卵を食うのをやめないって仰る。卵で娘に死なれた近所のもんも、神様がそう仰るならって言う。
 でも、人が食べて死んだ物だ。いくら神様がいいと仰っても、おれら村人としては心配だった。さっきの馬鈴薯の例もあるし、また次だれが何にあたって死ぬかも知れん。そんな物を神様に食べさせ続けるのも、村のもんとしては許し難かった。
 それでもあそこの人達は、神様が許しているのをいいことに、また次の日も卵を捧げに来たんだ。神様は「わたしが村で穫れる作物が全て好きなのだから、わざわざ村人がわたしが食べるのを反対しなくてもいいじゃないか」と仰るがね、おれら村人は、神様はあそこの人達にたぶらかされているんじゃないかと思ったよ。
 そんな中、川向こうの家で赤ん坊が蜂蜜を食べて死んでしまった。
 蜂蜜を採ったのは、村に住み始めて数年の若者だったらしい。「この村の山は養蜂に適しているから、養蜂を自分にさせてほしい」って言ってな、村にやってきたんだ。もともとこの村には養蜂の技術はなかったからな。時代が下って、村からは出稼ぎやら何やらで、若いもんは都会へ出て行きはじめていた。村としても、若いもんが村に来るのは僥倖だし、この山を生かせるなら一石二鳥だと、当時は思ったんだろう。
 だが赤ん坊が食べて死ぬようなものを、神様に捧げるわけにはいかない。合議で養蜂をしている若者に言ったらしい、「なぜ赤ん坊が死ぬようなものを育てているのだ」「そんなものを神様に捧げるわけにはいかない」とね。
 若者は、その合議の一週間後には村からいなくなっていたと聞いている。
 するとその後、驚くべきことが起きた。神様が「もう村人からは捧げ物を受け取らない」と仰ったのだ。
 おれら村のもんは困った。この村の生活は、村人が神様へ村で穫れた作物を捧げ、それによって神様がいい天候やさまざまなものを恵んでくださることによって、成り立っていたからな。
 曾祖父さんが宮司さんを問いただすと、養蜂をしていた若者が、村からいなくなる前に神様に謁見していたことが分かった。おれの曾祖父さんは、若者が村を去る前に神様が村のもんを悪く思うようにたぶらかしたのだと思ったらしい。
 それ以来、おれらは余所もんに対しては冷たく当たるようになった。これ以上、神様を余所もんにたぶらかされては敵わないと思ったからだ。それと同じに、神様には目を覚ましていただくよう、お願いした。おれらは引き続き、作物を捧げる。だから村にもお恵みをいただきたいと。けれども神様からはそれきり、何もお言葉もなくなってしまった。

   *

 この神社は、明治以前の古くから、この村にあったと言われています。農耕や畜産の神様で、村の人々が毎日、自分の家で作っている作物を供え物として神様に捧げることによって、村に恵みがもたらされていると考えられてきました。
 村の皆さんが、棚田で心を込めて作ってくださったお米をたくさん捧げてくださった翌年は、澄んだ雪解け水や天候に恵まれて、豊作になったと伝えられています。
 ある日、鶏の畜産農家さんが新鮮な卵を持っていらっしゃった時のことです。神様は豊作の感謝にと捧げられたお米を炊いた綺麗なご飯と、今日捧げられた鶏卵を合わせて、卵かけご飯にしてお召し上がりになっていました。すると、それを前にして畜産農家さんが、よよと涙を流されたんです。
 神様を前にして感動の涙を流されるのは、皆さん、よくあることではあります。しかし、今日の畜産農家さんが流されている涙は、感動とか嬉涙などではなく、悲しみの涙であるように思われました。
 神様は心配されて畜産農家さんに訊ねられました。
「どうしました。わたしは今日も鶏卵が食べられて嬉しいのに、どうして貴方は泣いているのか?」
畜産農家さんは、いやいや大したことではございません、目に塵が入ったのでございますと、最初のうちは誤魔化していたのです。しかし神様の御前でございます。誤魔化すのを良心が許すはずもなく、感情が涙と共にあふれたのでしょう。畜産農家さんは神様に理由を打ち明けました。
「実は、村では神様に鶏卵を食べさせることに反対の意見があったのでございます」
 畜産農家さんに訊くところによりますと、以前、鶏卵を食べて何かにあたったのか、亡くなった方が出たということです。村では合議が開かれ、なぜ亡くなったのかは分からないが、これ以上鶏卵での死者を出すことはできない。もちろん、人を殺すようなものを神様に捧げることも以ての外。だから、これからは鶏卵を神様に捧げるのはやめにしよう。そんな話が出たとのことでした。
 神様は、村人が亡くなったのをとても悲しまれました。けれど、鶏卵を食べることを取りやめられることはありませんでした。
「村人が亡くなったのは悲しい。しかし、鶏卵を食べるのをやめるのは別である。わたしは今日もこれを食べられて嬉しい。ご覧、この卵かけご飯を。きみの捧げてくれた鶏卵と、村人達の汗と涙の結晶であるお米が、見事に調和していると思わないだろうか? 人間もきっと、この卵かけご飯のように、調和し、仲良くすることができるはずだ」
神様の示すお椀の上では、お米の粒一つ一つと、鶏卵の卵黄とが、それぞれ鮮やかに光り輝いています。畜産農家さんはそれを見て、また元気を出されたようでした。
「ありがとうございます。励ましていただき、また明日からの仕事にやる気が出て参りました。また神様に卵を食べていただけるよう、頑張ります!」
 畜産農家さんには、次の日もまた鶏卵をお持ちいただきました。しかし、鶏卵をお持ちいただくその後ろ姿を見て、あまりいい顔をしない方もいました。神様の御前ですから、直接嫌な話を聞くことはありませんでしたが、神様が鶏卵をお食べになるのを見て、嫌そうに苦笑いする方はおられたのです。自分が作ったものであたったと文句を言われたという馬鈴薯農家の方ですら、その中にいらっしゃいました。
 それでも神様は、
「わたしが村で穫れる作物が全て好きなのだから、わざわざ村人がわたしが食べるのを反対しなくてもいいじゃないか。わたしは村人や村人達が作る作物を愛している」
と仰って、鶏卵や馬鈴薯のみならず、お米や、他の作物を食べることを、おやめになることはありませんでした。
 そんな中、神様が「もう村人からは捧げ物を受け取らない」と言われるきっかけとなる出来事が起こったのです。
 畜産農家さんの鶏卵が問題とされた日の数日後、村で養蜂をしておられる方が、蜂蜜を持ってきてくださいました。
 その方は村に住むようになられて数年の、まだ若い方でした。養蜂もこの村にはない技術だったのです。ですが、その方が「この村の山は養蜂に適している! 是非、養蜂を始めさせてほしい」と仰ったことにより、村のほうからも、この山を生かせるなら是非、と言ってお迎えしました。
 養蜂家の方から蜂蜜をいただき、神様は早速それを食べることにしました。すると急に養蜂家の方が立ち上がり、神様の手にあった蜂蜜の皿を奪い取って投げ捨ててしまったのです。皿は落ちて転がり、皿に盛ってあった蜂蜜は床に散ってしまいました。神様は叫びました。
「なぜこんなことをするのだ。貴方が心を込めて蜂を育て、採取した蜂蜜を、わたしは楽しみにしていた。貴方にとっても、蜂蜜はこのように床に投げ捨てられていいものではないはずだ。なぜこのように蜂蜜を粗末にするようなことをするのだ」
神様の声に、養蜂家の方は堰を切ったように泣き出しました。
「神様が蜂蜜をお食べになったのが分かれば、わたしは村八分にされてしまいます!」
 聞くところによると、この養蜂家の方が採取した蜂蜜を食べたことにより、村の赤ん坊が亡くなるということが起きていたとのことでした。村の合議ではこのことが勿論話題になったのでしょう。「なぜ赤ん坊が死ぬようなものを育てているのだ」「神様にこのようなものを食べさせられるか」などが話されたはずです。
 養蜂家の方は神様に懇願しました。
「どうかこれをお食べにならないでください!」
 神様は嘆く養蜂家の方を慰められましたが、養蜂家の方はその数日後、村をお出になってしまいました。
 神様はお困りになりました。自分がどんなものを食べるかどうかで、村人達の仲が悪くなるのを、神様はとても悲しまれたのです。神様は悩まれるうち、「自分が村人から捧げ物を受け取っているのが悪いのだ」と思われるようになり、先程申し上げた通り、村の方からの捧げ物をお断りになられるようになりました。
 神様が捧げ物をお受け取りにならなくなったとされる頃から、この村では土砂崩れや水害、旱魃など、災害に見舞われることが多くなったようです。

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