調子が悪い日が長く続いたら、出来ることだけやってじっとしておく

この体調の悪さが、一生終わらないのではないかという気持ちになる事がある。

来る日も来る日も体がだるく、節々が痛く、ずっと胃腸の調子が悪いという時。元気な時には簡単にできることが出来ない。友人の誘いも断らざるを得ない。病院に行ってもスッキリ解決するわけではない。そんな日が、1日2日ではなく1ヶ月、2ヶ月続くともう自分は一生このままなのではないかと思ってただひたすらに怖くなる。みんながやっていることが自分だけできないという事が悔しい。私も食べたいものを好きに食べて、行きたいところに自由に行きたい、という気持ちだけが強くなっていく。

メンタルの安定を保つためには、朝起きて朝日を浴びて、3食きちんと食べて、少しは運動して・・・と、そういった、「心の健康を保つためにやることリスト」のようなものは毎日のようにインターネットの海から流れてくる。それはもちろん大切なことだし、できるならやったらいい。

けれど、何かしらの理由でそれすらできない時というのがある。これは体調を崩して初めて分かったのだが、体が元気でなければ寝ることも起きることもできないのだ。適度な運動なんて夢のまた夢だ。そういった日が続くと、どんどん精神が闇の方に向かってしまう。闇の方向に向かい、闇の沼にハマる。そうすると、冒頭で述べたように、自分は永遠にこのままなのかもしれないと怖くなり、元気な人と自分を比べて悲しくなるのだ。

ただ、そんな先の見えない暗闇をずっと歩くような日々を過ごしていても、不思議とその苦しさのピークを抜ける時がやってくる。それが人間の体のすごいところなのだろうけれども、息をひそめてじっとしていれば、ふっと浮上できる瞬間は、来る。

それはもしかしたら1日しか続かないかもしれないし、半日しか続かないかもしれないけれど、その瞬間があるということが大事なのだ。

ずっと私は、我慢こそが美徳だと思って生きてきた。体調が悪くても我慢して働き、意にそぐわないことも我慢して受け入れれば、その先に輝く世界があるのだと思っていた。なのにそうやって生きていたら落とし穴に落とされるようにいきなり体調が悪くなって、我慢だ我慢じゃないのレベルの話ではなくなってしまった。きちんと自分の体を気遣わなくては、このままでは残りの人生棒に振ることになるのかもしれないということにそこでやっと気付いたのだった。

体の調子が良くないせいで行動を制限されるというのは本当に辛い。朝スッキリ起きられることなんてもう一生無いのではと思ったりする。そんな時はとにかく、今自分に出来ることだけをやってじっとしておくのだ。前回は1ヶ月で元気になったのに、今回は2ヶ月経っても体調が悪い・・・と、比べてしまうと良くないので、期間のことは出来るだけ考えないようにする。今出来る事を粛々とやって、食べられるものを食べて、あとは出来る限り自分の体を休めることに使う。そうやって静かに、抜ける瞬間を待つ。

先の見えない苦しさからふいに抜けた瞬間の、味わったことのないほど気持ちの良い目覚めは、苦しさを通り越さないと分からないものだったりするのだ。

#我慢に代わる私の選択肢




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