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映画のようには終わらない−−福島第一原発から帰る

いわき駅、午後8時16分。
最終品川行きの特急がホームを駆け抜けるのを、息を切らしながら見送った。

家まで帰るための最終列車がみるみる小さくなるのを見ながら、
まだ8時台なのに十分酔っ払った僕の口角は、主人の意思とは無関係に上がって笑みを作っている。

さっきいたお店で席を立ちながら流し込んだ福島の地酒が、お腹の中でカッカと燃えていて、
終電の去ったホームで立ち尽くしながら僕は、『もののけ姫』のアシタカのセリフを思い出していた。 

「わたしは自分でここへ来た。自分の足でここを出て行く」

といっても僕を連れて返ってくれるはずの終電は、アシタカの乗るヤックルのように戻ってきてはくれないのだけど。

知らない町に滞在するとき、僕はいつも「もう一度この町に来たとき絶対入りたいと思えるお店を探す」というのを自分に課している。

これは中学二年生のときに始めてした一人旅のときから、国内でも海外でも決して破らない不文律だ。
伊豆大島、京都、富良野、チェンマイ、会津若松、ヤンゴン、松山、ダバオ、尾道、メキシコシティ、、、数えきれないほどの町に、たしかに行けば思い出す店がある。(まだ潰れていなければだけど)

終電までの間、いわき駅に近い小料理屋におじゃまして、美味しいごはんをパクパク食べた。気さくなお母さんは、原発廃炉で好景気だという町の様子や、春から漬け込んでいたウドやタケノコの話をしてくれた。

「初夏は毎週、山菜採りに行くんだけどね。汚染されてないか心配だから、それをお客さんに出すにはすごく大変なのよ」

今回、科学研究費助成事業としてやってる調査に同行する形で、福島第一原発の中に入らしてもらった。

爆発したガレキを遠隔操作の重機で撤去した原発建屋、ちりが舞って放射線量が上がらないようにモルタルで固めた道路や崖、靴に付けるビニール袋や支給された白い手袋。

印象的だったものはいろいろあったけど、僕が一番揺さぶられたのは、爆発した原発建屋を見終わったあと、発電所の出口に向かう道で見た景色の美しさだった。

視界を覆って延々と続く汚染水のタンクと、頭上を走り回る配電線、そしてその向こうに広がる阿武隈高地の山々と、それを超えて広がるどこまでも青い空。

僕は今日ほど、空の青さを美しいと思ったことはなかった。
変なことかもしれないけど、本当にそのとき、僕は死ぬほど空が青いことに心から揺さぶられたんだ。

原発の様子は、写真が東京電力のOKを経て手元にきたら、どこかで詳しく語るかもしれない。

爆発した原発建屋は思っていたより大きかったし、無人の重機や氷土壁などいろいろな工夫でなんとかしようとしている建設・メーカー各社、作業員の人たちは本当にすごいと思う。

福島第一原発に向かうバスの中で、帰還困難区域を抜けながら思い出していたのは、『もののけ姫』の冒頭で主人公アシタカが言われる
「曇りなき眼で見定めよ」という言葉。

壁が落ちたままのゲームセンターや、汚染された土を入れたフレコンパックの山を見ながら、先入観を廃して世界を見ることの難しさを感じた。どんなにニュートラルに見ようとしても、湧き上がるのはやっぱり怒りだった。

福島はメシも酒も本当に旨いし、これからも遊びに来るだろう。震災後、両手で数えられるくらいしか来てない僕でも分かるのは、
福島の復興プロセスはまだぜんぜん終わっていないということだ。

原発の電力に頼っていた加害者でもあり、不安な日々を送った被害者でもある僕らは、
今後の展望を本当に「曇りなき眼で」見定めなきゃいけない。

「共に生きよう。会いに行くよ、ヤックルに乗って」 

アシタカだったら去り際にそうキメるところなのだけど、
僕はまずこの、とりあえず乗った常磐線で、どこまで帰れるか調べるところから始めなきゃいけない。

上野あたりまでヤックルが迎えに来てくれたら良いんだけど。

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