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映画『ペンギン・ハイウェイ』を変態的にエクストリーム読解してみる

これは映画『ペンギン・ハイウェイ』へのいささか変態的な愛情表現というか、ふと思いついてしまったので書かずにはいられないエクストリームな神話的読解なのだけど、あの作品を少年の精通(はじめての射精)を描いたものとして観ることはできないだろうか。

(観た人に向けて書くので説明不足だし、ネタバレを含みます。いちおうあらすじ↓)

あらすじ
毎日学んだことをノートに記録している勉強家の小学4年生アオヤマ君は、通っている歯医者のお姉さんと仲良し。お姉さんも、ちょっと生意気で大人びたアオヤマ君をかわいがっていた。ある日、彼らの暮らす街に突然ペンギンが現れる。海もないただの住宅地になぜペンギンが現れたのか。アオヤマ君は謎を解くべく研究を始めるが、そんな折、お姉さんが投げ捨てたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。(映画.comより)
(トップ画像はHPからお借りしました。)

というのも、お姉さんから飛び出したペンギンたちの群れが、巨大な球体〈うみ〉に向かって突撃していくラストシーン。あれが、卵子に向かう精子のダイナミズムを強烈に想起させるからだ(変態だ)。

思えば、しっぽをフリフリ歩くペンギンたちはクルクルとしっぽを振って泳ぐ精子にそっくりだし(世の中にはTENGAメンズルーペというものがある)、〈うみ〉は世界の「穴」や「月」と呼ばれ、周期的に大きくなったり小さくなったりする。それは少年にとって未知の女性性の象徴のようにも見える。

アオヤマくん(森見登美彦の少年期を誇張して描いた少年像なだけあって、森見作品らしくずいぶん変態だ)にとって興味の対象となるお姉さんは、ここではいささか倒錯的だけど、ペンギン=精子を作り出す男性器、というか「未知の男性器」の象徴だ(どういう条件でペンギンが出るのかお姉さんもしらない)。お姉さんに協力してもらいながらアオヤマくんは実験を繰り返し、どうするとお姉さんからペンギン=精子が出るのか探る。そして少しずつ、お姉さん(=自身の男性器の男性性)との距離を縮め、その仕組を理解していく。

ペンギンやお姉さんを動かす未知のエネルギーをアオヤマ少年は「ペンギン・エネルギー」と名付けその真相を探ろうとする。劇中では明かされなかったペンギン・エネルギーの謎だけど、ペンギンが精子でお姉さんが男性器であれば、ペンギン・エネルギーは「未知の性的衝動」と言えるだろう。それはアオヤマくんが迫らねばならない、アオヤマくん自身の性的衝動だ。彼はその謎に惹かれ、真相に迫るにつれて物語は進行していく。

「未知の男性器」であるお姉さんの謎に迫るアオヤマ少年。クライマックスでお姉さんは大量のペンギンを放出し、〈うみ〉の巨大化をとめるべくアオヤマくんと一緒に〈うみ〉に向かう。お姉さんから飛び出したペンギンたちはダイナミックに世界を切り裂いていく。未知のものは既知になり、少年期が終わる愁いと新しい世界を迎える歓びとが同時にほとばしる。「未知の男性器」たるお姉さんから大量のペンギン=精子が生まれ、女性性(というよりアオヤマくん自身の中で大きく膨らみ世界を飲み込もうとしていた未知の女性性に対する感情の複雑さ)のシンボルである〈うみ〉に突っ込んでいく。これがアオヤマくんの初めての射精じゃなくて何だと言うんだろう。この描写はとりわけ美しく、神聖性すら帯びている。

こうして少年は、これまで未知のものだった「男性性を帯びた男性器」や「性的衝動(=ペンギン・エネルギー)」について知ってしまうのだ。それはつまり、「未知の男性器」として描かれたお姉さんとの別れを意味している。

アオヤマ少年は消えていくお姉さんを見ながら、「僕はえらくなってお姉さんや〈うみ〉の謎を解く」と心に誓う。そうすればもう一度お姉さんに会えるかもしれない、と。しかし彼が大人になる過程で自身の男性性や性的衝動を知ってしまえばしまうほど、彼はお姉さんから遠ざかってしまうのではないだろうか。なぜならお姉さんは、少年にとっての「男性性を帯びた男性器の未知さ」だからだ。「僕はえらくなって、たくさんの女性から求愛を受けるに違いない」とアオヤマくんは夢想するが、そんな青年になった彼のもとに、お姉さんが再度現れることはない。未知の男性器は、少年のもとから失われてしまったのだ。

『ペンギン・ハイウェイ』は一人の少年が、自らの男性性について知る過程の美しさと儚さを描いた映画だったのだ。

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