とある男の日常

「同時に二つの事をやるやつより、一つに集中してるやつの方が強そうじゃない?」


平日で販売員が一人もいない家電量販店のフロアで、僕は嫁にそう言った。
しかし嫁は不服らしく、「まぁね」と小声で呟きながら、さっきから何度も見ているはずの空気清浄機のパンフレットを再びペラペラと見始めた。
そんな嫁を置いて、僕は一人で加湿器のコーナーへと足を運んだ。
僕は、空気清浄機よりも加湿器が欲しいのだ。

発端は昨日。
「加湿器欲しいな」
暖房をつけ始めたせいで、部屋が乾燥して喉が痛いと嫁が言ってきた。
確かに乾燥は酷く、朝起きると喉はカラッカラ、乾燥した唇の皮はまるで鋭利な刃物かというほどに水分を失っていた。
こんなドブの様な口臭と刃物のような唇で寝起きのキスでもしようものなら、嫁が10年以上も僕に与え続けてくれている愛もさすがに尽きてしまうだろう。

だから今日、こうして「加湿器」を買いに来たわけだ。
嫁もそのはずなのだが、色々とパンフレットを見ていると、最近の空気清浄機には加湿機能もついているという事を知ってしまった。
すると嫁は、「ホコリも吸ってくれて加湿もしてくれるならこっちの方がいいじゃん」と言い始めたのだ。
普通の人ならそこで、確かにじゃあ空気清浄機でもいいかも、などと思うのかもしれないが、僕は少しひねくれている。
「それなら、なんでメーカーは加湿器を開発してるんだ」
僕はすぐにそんな会社側の事を考えてしまう。

空気清浄機に加湿機能がついていてそれでしっかり加湿されるのならば、加湿器なんて開発する必要がない。すぐに撤退した方がいい。
もちろん値段の安い加湿器もあるが、それはミスト状の水分が発されるだけで、部屋には循環しにくいゴミ製品だ。中途半端な安さを求めてしまい結局要求のほとんどが満たされないという、人間の弱さを表したようなゴミ製品だ。
そんな物を僕は買いたくない。

だから、必然的に購入を検討している加湿器は、空気清浄機のラインナップと価格帯はさほど変わらない。
メーカーがコストをかけて加湿器なるものを世に送り出している以上、空気清浄機には持ちえないメリットがあるはずなのだ。

加湿器のパンフレットを見る限り、それは加湿されるスピードや湿度の調節、水の取り替えの頻度が低いなど、湿度を高めるという事に関して非常に機能が豊富なところだ。
それに比べて空気清浄機のパンフレットには、小さい文字で加湿機能使用時は、空気清浄の機能が落ちますと書いてあったし、そもそもプラズマクラスターが出ていると書いてあるが、そんなもの本当に出ていて効果があるのか不明だ。目に見えない。
しかし、加湿器は目に見えて補給した水が減る。そこには大きな現実的な違いがある。
だったら加湿器がいい。というのが僕の結論なのだが、嫁はどちらも兼ね備えた空気清浄機に魅力を感じるらしい。

そもそも僕は空気清浄機に限らず、広く浅くというのが嫌いだ。人間でもそういうやつがたくさんいるが、基本的に能力や才能がないからそうするしかないのだと僕は思っている。
社会における生産性や効率的にも、一つの事を極めた方がより高いに決まっている。これからの時代、下手に学歴などを浅く手に入れるよりも、特筆すべき何かがある方が収入も上がるだろう。日本の大学に行くなら、東大一択だ。それ以外は意味がない。

やっぱり加湿器にしよう。僕はそう決意して、嫁を口説き始めた。
「二兎を追う者は一兎をも得ずなんだって。だからさ―」
短期決戦で嫁をクロージングにかかろうと、次の言葉を考えている時、嫁が空気清浄機の値札を読みながら、僕にこう言い放った。

「二兎を追う者は一兎をも得ず?それ大谷翔平に言えんの?」

うーん、、なるほどね。
僕が黙って視線を下げた時、嫁は僕を一瞥し、店員を呼んだ。

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