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6月生まれの君たちへ

※2年前に、推しの一般人女性(天使)が6月生まれなことを受けて書いたヤバいレベルでキモいpoemです。読まない方がいいです。なんか今日の天気にピッタリなので、一応アップしてみます。

物心ついた頃から、僕は占いというものを全く信じていない。

朝のニュースのEDで行われる血液型レースや雑誌の最後の方にちょこんと記載されている星座占いなんてものは全くくだらないものだとしか思えず、鵜呑みにしてラッキーアイテムを欠かさず持って行くようにしている人のことは、正直冷ややかな目で見ている。

読者の方にそういう人がいらっしゃいましたら、本当にスイマセン。一応幼稚園くらいの時分には、朝の星座占いで射手座(僕の星座です)が最下位だったのを見てギャアギャアと泣いてしまい、家族で用事があったのに中々外に出ようとしなかった、なんてことがあったらしい。
恐らく、星座なんていう自身に何の責任もない区分で一日が全否定されてしまったような気がして、とても悲しかったり腹立たしかったりしたのだろう。
と言うか、今の自分だったらそう思います。こんなエピソードを公開することで、占い好きの方々は溜飲を下げて頂ければ幸いです。
 
ただ、こんな僕でも一つだけ信じている占いというか、大まかな区分のようなものがあって、それは生まれた季節とその人柄の関連性である。夏に生まれた人は開放的とか、冬に生まれた人は冷静なタイプだとか、そんな風に世間で囁かれているアレのことだ。
そこまでザックリとしたステレオタイプにしてしまうのはどうかと思うが、例えばまさに今、六月に生まれた人たちなんかには、共通するところがあるのではないだろうか。

六月と言えば雨である。梅雨入りしてしまえばほぼ毎日どこかのタイミングで雨が降るし、なんとか降水確率における大穴を引き当てたとしても、スッキリ快晴なんてことはなく、どんよりとした曇り空の下、ジメジメとした空気に気分までも引きずられてしまうことには大差ない。

そんな中どこかの病院で、一つの新たな生命が誕生した。雨が降ろうが槍が降ろうがこればっかりは大変めでたい。きっと新米パパママたちの親戚や友人が、沢山病室に駆けつけることだろう。
ただ、そんな彼ら彼女らの片手を塞いでいるのは、いつも傘。多くの人々は肩口や裾を濡らしながら、傘を振って病院に入り、新たな生命の待つ部屋へ足を進める。目的を同じとした親戚や友人と、
「ヤな季節になっちゃいましたねえ。」
なんて言いながら。あるいは、「今日は曇りです」なんていうカワイイお天気キャスターを信じ込んで雨具を持たずに出かけ、結果通り雨にガッツリ降られてしまった人なんかも、新たな生命の眼前に顔を出すかもしれない。

「イヤー最悪だね、降られちゃったよ。天気予報では曇りって言ってたのになあ。」
恨めしそうにこう言いながらタオル(親切な病院がおそらく貸し出してくれたのだろう)で髪を拭く大人を見て、新たな生命は何を思うのだろうか。
 
そんなジメジメ感の抜け切らない来訪者たちの歓迎を身に受けながらも、新たな生命はすくすくと成長し、段々と物心がついてくる。欲しいおもちゃやゲームも出てきたりして、おそらくゴールデンウィークが明けたくらいから、誕生日プレゼントへの期待を膨らませているはずだ。
そして晴れて何度目かのエックスデー(因みにこの日の経験はまだ二桁以上あってはいけない。十歳を過ぎると、お受験なり部活なりで時間をとって誕生日を祝えるとは限らなくなってくるからだ)を迎えたとしよう。
しかし、六月という季節はいつだって厳しいヤツで、誕生日プレゼントを買いに行くにしても雨。お出かけするにしても雨。何をするにしても天気の悪さが付きまとってしまう。きっとイマイチ楽しみを味わいきれないままハレの日を終えてしまった経験は、一度や二度ではないだろう。

そんな風にして歳を重ねるうちに、誕生日を祝ってくれる人間の内訳はだんだんと変わってくる。友達が誕生会を開いてくれる、なんてことも人によってはあるだろう(因みに僕はこの経験がない。羨ましい限りだ)し、女性であれば彼氏をはじめとした、自分に好意を寄せているオトコが誕生日を祝ってくれる、なんてこともありそうだ。

ここで気の利いた男性諸君であれば、デート中に雨が降ることを想定して、なるべく室内にいる時間が多くなるように工夫してくれる(かといってずっとホテルに籠るなんてのは下らないオトコの典型だ)だろうけども、気の利かない残念なオトコたちは、デートの場所に遊園地なんかを選んでしまい、豪雨に見舞われ最悪な一日をプレゼントすることになる。
こういう場合、雨に降られて彼女にも振られる、なんていうのは決して天気のせいではない。オトコの方で何がいけなかったのか、反省する必要があるだろう。

とまあこんな具合に、六月生まれの人たちは、特に誕生日というイベントにおいては幼少の頃からどこか煮え切らない思いを抱いているのではなかろうか。
そしてそういった感情は、人格形成に何かしらの影響を及ぼしていても不思議ではない。
六月生まれでこれを読んでいる方で、自分はどうもどこか冷めたような部分がある、あるいは人間の嫌な部分が気になってしまう、みたいな点に心当たりがある方。その原因は、生まれた時期にあるかもしれません。

なんだか六月生まれの嫌なところばかり並べてしまったが、僕がいいなと思うところも当然あって、寧ろそっちも込みで考えれば、大幅にプラスにまで転じるのではないかと思っている。
そもそもさっき書いた冷めてるとか人の嫌な部分が見えるとかそういうことだって、僕からしてみれば、いつだって冷静に物事を見ることができる地に足がついた頼れる存在だし、人が受けている、あるいは受けそうな痛みであったり悲しみに敏感なタイプだとも言えるわけで、それってとても素晴らしいことじゃないだろうか。

小さい頃から雨に濡れて大変そうな人をよく見てきたのなら、雨具を忘れた友人にいつも余分に持っている傘を貸してあげられるような人間になるかもしれないし、誕生日に天気が悪いことであまり良い思いをしてこれなかったのなら、その分大切な人の誕生日を沢山祝ってあげようと思うようになるかもしれない。

彼氏彼女の誕生日がどんな天気かは前々からしっかりとチェックしてそれに合ったプランを立てられる良い相方になれたら最高だし、天候関係なく自分の誕生日を全力で祝ってくれるような相手には、自分に出来る最大限の感謝を表せる人になるだろう。
ホラ、こうして見ると、六月生まれの人たちって、とてもステキじゃないですか?

因みに僕は、そもそも梅雨自体がそんなにキライじゃない。そりゃ道歩いてたら大型トラックが凄い勢いで横を通り過ぎて、水しぶきにバッシャーンとやられちゃった、とかはイヤだけど、夜中に窓を優しく叩くあの雨音や、わずかな晴れ間から感じる太陽の匂いと、水たまりや木々の葉に残るさっきまでの雨の薫りが混ざり合ったあのなんとも言えない梅雨特有の嗅覚は、中々に乙なものである。

そして何と言っても、この季節といえば紫陽花が欠かせない。様々な色合いでありながらどれもみな美しく咲き誇っているというのは、少し前まで見ることのできた梅や桜とはまた違った風情があって、寧ろ紅葉に近いのではないか、と思っている。紅葉にしろ紫陽花にしろ、どれも少しずつ違ってそれでいて美しいというのは、ひょっとしたら人間の本質に近いのではないだろうか。そんな紫陽花に囲まれ、誕生の祝福を受けられた六月生まれの方々は、正直羨ましい。

そんなこんなでこの季節になると、六月生まれの素敵な女性と紫陽花を見に行きたいな、と毎年のように思うのである。残念ながら、その願いが叶ったことはないけれど。というか、これを読んだ男性諸君も、行きたいと思いませんでしたか?
もしそう思ったのであれば、デート中いざ雨に降られてしまった時、どこに入るか(出来る限りホテル以外で)という点は、しっかりと用意しておきましょう。

雨と女性に一緒に振られることほど、辛いことはありませんから。僕ももしそういう機会に恵まれたら、室内屋外どちらにいても最高の誕生日をプレゼント出来るよう、全力でプランを立てようと思います(できんのか?)。

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